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65第六章 空き部屋 23-代役

「つまり」尚哉は唾を飲み込んだ。「冬子さん。あなたは、藍田雛子と芳川貴明の手で、殺された。そういうことになるのか」

 冬子の話は信じがたいものばかりだった。しかし否定することもできそうになかった。
「あの日…『私』が死んだあの日。私は義母に、この家の書斎に呼び出された。部屋に入った瞬間、後ろから誰かに口を塞がれたわ」
 それから意識を失った。冬子はそう述べた。
「目が覚めると、あのマンションの屋上だった。手足は自由だったけど、目の前にはその二人がいた」

 ——死ね。

「今でも、あの時の殺意は忘れられないの」冬子は身震いする。「私は彼らに突き落とされた形になった。それで、死んだの」
「でも、よくその状況で生きていられたな。何階建てか分からないが、警察が事故死として容易に判断できる、そのレベルの高さってことなんだろ」
 若月の疑問に真琴が返す。「一年間、冬子の命を狙った輩共と暮らすんだ。ふとした時に殺そうとしてくるかもしれないとは、常日頃考えていた。先手を打っておいたんだ」
 真琴の懸念が現実味を帯びてきたのは、冬子が死ぬ一ヶ月前。その頃の雛子と貴明は、頻繁に二人で出かけていた。後をつけると、彼らはしきりに、藍田家が管理しているマンションを訪れていた。
「まるで、賃貸物件を探す夫婦のようだったよ」実情は、冬子を突き落とすために都合が良い場所を選んでいたのだろう。何軒か回り、その場所に決めたようだった。
「奴らはマンションの管理人と話し込んでいた。口止めだよ。自分達のことは誰にも話さないように、冬子が一人でここに来て、一人で落ちた。そう、証言するように。
 僕は彼らが帰った後、その管理人に接触した。今の話を聞いていたぞ、犯罪に加担する気か…なんて捲し立てると、管理人は縮み上がって謝る一方だった」
 そこで真琴は管理人に一つ、雛子達に上乗せで依頼をした。
「証言はそのまま、言われたとおりにしてもらって構わない。でも、『どんな状況であっても、同様に証言しろ』と、そう指示した」
 結局は雛子と貴明の言うことに従え、ということになる。元々雛子達から口止め料を貰う手筈だったらしいが、管理人からしてみれば、どちらの依頼にも反することなく、 金を貰える、都合の良い依頼であった。
 そうして、その日がやってきた。
「僕はマンション屋上の、数個下のフロアで張っていた。それから、事前に決めていた地点から落ちてきた、彼女を受け止めた訳だ」
 冬子は喋らない。何も。しかし彼女がここにいる以上、事故死の偽装は上手くいったと考えて良いのだろう。
「その後は?」
「あいつら、驚いていたよ。なんたって、あるはずの冬子の遺体が無いんだから。あちこち探していたようだけど、そんな状況になっているとは知らない管理人が、警察に電話してしまったのだからしょうがない。彼らは、ろくに確かめることもできずに、退却するしか無かった」
 その後は大河内の力で、真琴は冬子を「事故死」として処理した。
 これが、事の顛末。嘘のような、本当の話。三年半前の事故死に、そのような陰謀が渦巻いていたなんて。
「それから私は、顔を変えたわ。生きていると知られたら、終わりだから。そうして、真琴さんと再婚した。芳川…いや、藍田志織として」
「藍田家の因縁を断つために、俺達は機会を待った。それが、今という訳だ」
 それから彼らは、彼らが考えた恐ろしい計画を、その場にいる者に説明した。
 藍田家の住人。勝治と雛子を、殺害する。しかしその行為は、真琴と冬子が疑われてはならない。一番の方法は、自分達も殺害されることだった。
 しかし本当に死ぬ訳にはいかない。そのために、自分達の代役を立てる必要があった。真琴の代わりが遠藤。冬子の代わりが芳美。互いが互いに年齢も近く、密かに調べた血液型、その他生体情報は近しいものだった。渡りに船だ。
「幸い、芳美さんは私に似ていたから良かった。けど、真琴さんの代わりを探すのは苦労したわ」
「遠藤はフリーターで、両親は遠方に住んでいるらしい。僕として死んでもらうには、うってつけだった」
「そこで、昔の知り合いなんて適当な嘘をついて、わざわざ藍田家の使用人にしたの。本人は喜んでいたようだけどね。安定した仕事、生活するには申し分ない程度のお給金。私にも相手してもらえたって。まさか全部、冥土の土産になるとも知らずにね」
 あと、必要なもの。藍田家住人皆殺し事件の犯人役となる人物である。
 選ばれたのが、若月だった。彼は過去、芳川尚哉に恨みがあった。身寄りもないし、そうなっても悲しむ者はいない。ヒール役には格好の人間だった。
「復讐から芳川尚哉を殺害し、その後自暴自棄になった俺は、この家にいる人間を惨殺。最後は自殺…実際はあんたらに殺されて、か」若月は怒りに震える。「ふざけやがって。人をなんだと思ってやがる」
「申し訳ないとは思ったわ。でも、誰だって自分や家族のことが一番。よく知らないような他人の命や人生なんて、どうでも良いの。あなた、尚哉君に人生めちゃくちゃにされた口よね。一番わかっていることじゃない」
 平然と述べる彼女に、若月は口をつぐむ。
「遠藤と、塩原芳美」尚哉は横で、首を垂れたまま動かない亡骸を一瞥する。「でもなり変わるって、今回は整形もしていないだろう。一体どうやって…」
「顔だよ、顔」
「え?」
「顔を切断するんだよ。人間、顔が無いだけでそれが誰の遺体か、すぐに判別できなくなる。それに、遺体は燃やしでもして、もっと分からなくするつもりだよ」
「そんな安易な考えで、捜査を誤魔化すなんて…」
「私達のバックには大河内さんがいるのよ。二人の遺体を、私達として処理してもらうわ。それで、完遂よ」
 真琴と冬子の発言に、尚哉は目を見開く。
「顔だって?」そこで若月が呟いた。瞳は恐怖に怯えている。「やっぱり、そうなのか」
「そう?」
「あの隠し部屋のものは、あんたらが?」
 隠し部屋。尚哉が訝しげに彼を見ると、若月は「み、見たんだ」と焦ったように続けた。「この家の隠し部屋。そこに、剥ぎ取られた人の顔があったんだ」
「…それは多分、佐伯三郎、棚橋綾子。そして柏宮雄介。彼らのものだろう」
「佐伯?」
「ああ。そういえば、君は警官だったね」
首を傾げる若月、微笑む真琴。尚哉は問うてみた。
「三人を殺したのは、あなた達だったのか。つまり、あなた達が顔剥ぎだった」緊張で喉がカラカラだ。「そういうことなのか」
 顔剥ぎというフレーズに体を硬直させる若月。真琴は「少し違う」とかぶりを振った。
「最初の二人は、確かに僕達がやった。顔も、そうさ。でもね、柏宮は違う。彼をやったのは、模倣犯さ」
 模倣犯。尚哉は、それぞれの被害者の顔が別々の凶器が使われていたことを思い出した。
「一体誰が…」
「考えてごらん。案外、君の身近にいるかもしれないよ」
「あなたは誰か、知っていると?」
「君は、よく知っているはずさ」
「よく、知っている?」
「芳川貴明だ!」
 突然、若月が叫んだ。
「藍田勝治の部屋にさっき、寄ったんだ」一同の視線が集まった先にいる若月の声が、一段小さくなる。「そこで、その。藍田勝治と使用人が殺されていた。けど、使用人の方は、俺が行った時にはまだ、息があって」
「なんですって?」冬子が表情を硬らせる。
 若月はその後、勝治が顔を剥がされ、殺されていたことと、瀕死の清河が、芳川貴明に襲われたと口にしたことを説明した。
 彼の話に、尚哉は開いた口が塞がらなかった。しかしあながち、彼の言うことを全否定もできなかった。彼は、柏宮に会社の金を奪われた過去があるのだから。勝治の殺害の理由は分からないが、彼に対しては動機があるのだ。
 ただ、わざわざ真琴達のやり方を模倣してまで、十年以上前の復讐を今、するのだろうか。更に言えば、彼が勝治まで殺す理由が分からない。今、自分の後ろにいる二人が実行犯ならまだしも、である。
「どうして、彼がここに?」
 考えあぐねる尚哉はさておき、どうやらその事実は、真琴と冬子にとっても想定外だったようだ。眉間に皺を寄せる真琴に、冬子は青い顔で「ねえ」とすり寄る。
「瑛子、大丈夫かしら」
「分からない。さっき僕が家中を回った時には、あの子を見つけることはできなかった」
「そんな…」
「でも、彼とも会わなかった。けど、危険なのは事実だ」
 青い顔をした冬子の肩に手を置き、真琴は小さく肯いた。「瑛子は聡い子だけど、相手が相手だ。あの子を探しに行こう」
「え、ええ。そうね。彼らはどうするの?」
 冬子の言葉に、真琴は檻の向こう側へと視線を移す。そうした後に冬子から、彼女が持っていた拳銃を受け取った。
「良かったら、尚哉君も来るかい」
「え?」
「模倣犯。それが誰か…本当に、彼」若月をちらりと見つつ、「若月君が言うように、君の叔父さんなのか。その目で確かめることができる」
 目を大きく見開く尚哉。真琴はポケットから檻の扉のものと思わしき鍵を取り出した。それを、彼の目の前に掲げる。
「さあ、どうする?」

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