見出し画像

68第七章 応接間 3-吐露


 一か八かの大勝負。心臓がばくばくと激しく鳴っている。この状況、自分を主役から第三役へと引き下げるには、自分への興味を他者に移すこと。それが一番手っ取り早い方法だと、尚哉は考えた。
「ははあ。なるほど」
 鳩が豆鉄砲を食ったような表情から一転、貴明はにたにたと下卑た笑みを浮かべる。それから高らかと、尚哉を尻目に入り口へ声をかけた。「出てこいよ。俺はここにいるぞ」
 静寂。かと思いきや、案外すんなりと出てきた。真琴と志織、両名。真琴は既に拳銃を持つ手を挙げているが、銃口は貴明に突きつけられていた。どうやら賭けの土壌には上がれたようだ。ひとまずと、尚哉は安心する。
「いきなり物騒じゃないか」
 せせら笑う貴明に、真琴は冷たく言い放つ。「…娘を殺したのか」
 声には怒気が含まれており、ひどく重い。志織は涙を流し、睨み殺す勢いで貴明を見ている。一人娘を無慈悲に殺され、挙げ句の果てに死者を冒涜するような行為。自分達もやってきたはずなのだが、やられる側になるとどうも話は違うらしい。
「それで、どうする」
「殺して!真琴さん、あいつを殺してよ!」真琴の背より叫ぶ冬子を見て、貴明はわざとらしく、悲壮感を秘めた表情を彼女に見せた。
「志織。お父さんに向かって酷い言い草じゃないか。ここは命だけでも助けてやって!と彼に媚びるのが正解だろう」
 冬子はお生憎様と吐き捨てた。
「私はあなたの娘じゃないの。あなたの娘は、もうずっと前に、私達が殺しているのよ」
「はあ?何を言って…」
「ふふ、ご愁傷様。あの世で娘と仲良くすると良いわ」
「気でも触れたか。まあ仕方がないか。はは。死体なんて、早々見ることなんて無い…」
 貴明が彼女を鼻で笑ったところで、室内に発砲音が響いた。数秒後、目の前のテーブルへと前のめりに倒れ、動かなくなった彼を見てようやく、真琴が貴明を撃ち殺したことを尚哉は理解した。
 頭部から血が流れ出ている。真琴の放った弾丸は、貴明の顔中央を貫いたらしい。誰がどう見ても即死だった。
 まさに、あっという間の出来事。尚哉だけではなく、直前まで貴明に恨み事を言い放っていた冬子でさえ、真琴の素早い行動に驚いていたくらいだ。
「真琴、さん?」冬子は一転、不安げな表情で彼を見る。真琴は拳銃の撃鉄を、親指で再度引き上げ、悲しげに微笑んだ。「何を。あ゛っ」
 次の瞬間、冬子は腹部に強烈な痛みを感じた。体から力が抜け、その場に崩れ落ちる。痛みを感じた部位が、燃えるように熱い。床に突っ伏しながらも、彼女は現状が理解できていなかった。
 そんな彼女の目の前、何かが床に落ち、カランと金属的な音を立てた。絶命の間際、彼女の大きく見開いた瞳に、それは映った。鉄の…あれは薬莢。拳銃の、薬莢。
 数十秒後、冬子が絶命するまでの間、尚哉は驚きと恐怖のあまり言葉を発することができなかった。が、彼女がぴくりとも動かなくなったところで、尚哉は「なんで」と無意識的に呟いた。当然の疑問である。彼女は、彼女が一番信頼していた夫に撃たれ、殺された。眼前に起きたその事象は、納得できるだけの理由を携えてはいなかったのだから。
「冬子さんは、あなたの妻だったはずじゃ」
「…ああ。そうだね」
「彼女は、あなたと一緒に暮らすことを望んでいたはずだ」尚哉は二階で彼女と真琴から聞かされた話を思い返しつつ、彼に再び尋ねる。「なんで、彼女を殺したりなんか」
 真琴はしゃがみ込むと、足下に転がる冬子の遺体の頭を優しく撫でる。
「三年半前、冬子が殺された日。雛子さん達の計画を先読みして僕は、冬子を助けることができた。それは、冬子が上で話したと思うけど」
 肯く尚哉に、真琴も同調する。
「ただ、助けたは良いが、これからどうしようってことになってね。雛子さん達に、彼女が生きていることを知られる訳にはいかない。このまま死人のまま、生きることは難しいってことさ。それに何より、僕は彼女と一緒にいられないのが、嫌だった」
 そこで彼は、彼女に一つの案を示された。それが「顔を志織にして欲しい」というもの。その理由は、今更言うまでもない。
「でもね。冬子の顔が変わってみて、分かった。たとえ内面も体も声も、顔以外同じだったとしても、外見が違えば別人。彼女として、どうしてもみなせなかった。僕にとって冬子という人間は、内面、外面揃わないと駄目だったみたいでね。いくら綺麗事で自分を無理やり納得させようにも、駄目なんだ。長い目で見たら、すぐに無理が来ることは分かる。
 だから。だから、早くこの、藍田の血の因縁を切り捨てて、彼女の顔を戻してやりたかった。瑛子と三人、また一からやっていきたかったんだ」
「それならなおさら、おかしい話じゃないか。そんな彼女を、殺してしまうなんて」
 尚哉をちらりと見た後に、真琴は「戻らないんだ」と、呟くように言い放った。「顔は。彼女の顔は、もうもとの彼女の顔に、戻らないんだ」
 唖然とする尚哉をそのままに、真琴は自分語りみたく、つらつらと話し出す。
「考えたら当然だよ。そりゃあ、昔より技術が発達していても、人の顔が人の手で、ころころ変えられる訳がないんだよ。他人に成り済ますレベルの顔の整形となると、彼女元来の顔の各パーツは、崩してしまっているらしい。だから僕が愛していた彼女の顔は、永遠に戻らない。つまり冬子という存在も、生き返ることはない。僕からしてみれば、たとえ計画がうまくいっても、それでは何の意味もないんだよ。
 数ヶ月前に、冬子の顔をやった伝手の医者からそう聞かされた時、目の前が真っ暗になったよ。復讐をやり遂げた後は、家族皆で幸せに暮らせる。それを糧に、僕たち三人は色々なことに耐えてきた。でも、僕はそうじゃなくなってしまった。それは冬子が冬子であることが前提の話で、志織の顔をした彼女じゃ、僕を満たすこは、できやしないんだよ」
「あなたは、冬子さんの内面は愛していなかったのか」
「愛しているに決まっているだろう!」真琴は心外だと言わんばかりに、顔をしかめた。「僕は冬子を愛している。それは今も変わらない。でも、それなのに、だ。愛する彼女を見ると、僕達が殺した志織の面影がちらつく。冬子と分かっているのに、死人と会話しているような感覚が拭えない。それが、今後ずっと続くんだ。君は耐えられるか。僕は、耐えられそうになかった。耐えられる訳がないじゃないか」
「それで、殺した…」
 真琴は肯く。「夢から醒めたような気がしたんだ」
 嘘みたいな理由。しかし彼の立場、考え、この現実からしてみれば、今の状況で、嘘と決めつける方が、現実逃避をしているようにも思えた。
 尚哉の表情より、彼の心情を察したのか。真琴はかぶりを振った。
「まあ、君には分からないよ。それに、分かってもらおうとも思わない」
「…じゃあなんで、俺にそんな話を?」
「うーん」と顎に指を当てた後に、真琴は「冥土の土産かな」と言い放った。尚哉は、場の緊張が高まっていくのを感じた。「僕はまだ、やることがある。だから君も、早く殺さなくちゃ」
「や、やること?」
「そう、やること」
 真琴は肯く。「君には悪いと思っているよ。僕らの計画に、一方的に付き合わせてしまって。それに、叔父さんも殺してしまってね」
 真琴は銃口を、今し方殺した貴明へと一瞬向ける。
「ちなみにもう、分かっているだろうけど。君の叔父さん、僕が呼んだんだよ。あくまで保険だった。若月君が、今晩もしもここに来なかった時の、犯人役の代理のためにね。でも、呼んだのは間違いだったね。彼には、リビングで待つように言っておいただけだったんだ。彼がどうして瑛子を殺したのか。どうして僕達の模倣をしていたのか。もう、わからない。どうでも良いんだけど。
 でも、冬子が言っていただろう。誰だって自分や家族のことが一番なんだ。君のような他人の命や人生がどうなろうが、僕には関係がない。申し訳無くは思っているけど、許してほしいとは思っていないよ」
「真琴さん。もう、やめよう」
「やめる?今更君を殺さないなんて選択肢、無いよ」
「そうじゃない」尚哉は唾を飲み込みつつ、かぶりを振った。「俺の後は、上にいる二人も殺すんだろう」
 真琴はきょとんとした顔をする。彼のその態度に、尚哉の口から思わず声が出た。
「これだけやって、一生逃げることなんてできやしない。遺体の代役なんて、簡単に言うけど、必ず分かることだと思う。署長の力を使っても、いつか真琴さんにたどりつく誰かがいるかもしれない。今後の人生、そんなストレスを抱えたまま、日陰者として生きていくんだ。それこそ耐えられるのか」
 相手は凶器を持っている。死ぬかもしれない恐怖で体が震えるが、目の前の殺人鬼に言葉をぶつける。
 呼吸がうまくできない。ひどく苦しい。自分も案外勇気が…いや、無謀だ。誰かに似たのかもしれない。無謀でも、彼を上に行かせてはならない。尚哉はそう感じた。
「これ以上罪を重ねても、あなたのためにならない。やめよう、もう」
「君は何を言っているんだ」
 そこまで聞いたところで、真琴は顔を歪ませた。
「えっ」
「僕が、殺す訳ないじゃないか。あの子を」
「え…」
「もういい。君との雑談も飽きた。たくさんだ」
 そこで尚哉は、真琴の人差し指が、拳銃の引き金にかかっていることに気がついた。殺される。尚哉の頭にその言葉が浮かんだ次の瞬間、尚哉は視界がどろりと黒く濁った。

 そうしてそのまま、何も見えなくなった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?