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70終章 S区警察署にて 1-真意


「つまり彼は、あなたのことを冬子さんと?」
「ええ」
 ありさは、目の前の尚哉を見つめ、こくりと肯いた。
「真琴さんに初めて会った時、姉の元の顔と瓜二つの顔を持つ私の存在に、彼はとても驚いていました。でもその時は、ただ優しいだけの義兄だったと思います」
 真琴の態度が変わり出したのは、つい数ヶ月前のことであった。彼女のことを冬子のように扱うなど、明らかにそれまでの優しい義兄とは異なって見えた。
「一番おかしいと思ったのが、二人だけで写真を撮りたいと言われた時です。姉さんの顔を元に戻すために必要な写真が無くなった…だなんて、仕方なく撮りましたが。正装して来い、撮影時の振る舞いはこうしてくれ、色々と注文が多く、不審に思いました」
 尚哉は先日の若月の取り調べの内容を思い出す。若月は藍田家に侵入した際に、真琴の部屋で、真琴とありさ、二人の写真を見つけ、持ってきていた。
「彼はその頃に、冬子さんの顔が元に戻らないことを知った。そこで、その代わりとして、あなたを選んだ」
 真琴から聞いたとおり、彼にとっては「藍田志織」化した冬子は、冬子ではなくなっていたのだ。
「君は、彼の思惑を少しは分かっていたんじゃないか。だから、俺が真琴さんと冬子さんと部屋を出た時に、若月と一緒に隠し通路を通り、書斎の窓から逃げた」
「…はい」
「それでいて、どうして二人の計画に加担したんだ」
「それは」ありさは言い淀む。「私が、姉さんの、妹だから」
「妹といっても、幼い頃に生き別れたんだろう。犯罪に加担する程の仲とは、とても思えないんだけど」
「それは、刑事さんがそう思うってだけでしょう。私と姉さんとの間には…」
 そこでありさは、言葉をつまらせた。
「間、には?」
「ああ、いえ。なんでも。そもそも、なんでそんなことを聞くんです」
 そこで尚哉は、手元の資料をパラパラとめくる。「…藍田家で殺された人を除けば、今回の件で亡くなったのは、佐伯三郎、棚橋綾子、柏宮雄介の三人だった。その中の、二人目の棚橋綾子。彼女の殺害について、俺はどうしても違和感があってね」

 ——この藍田家という呪縛から、私達の家族を解き放ちたかった——

 冬子の目的は、本人から聞いた。しかし藍田家と綾子は何も繋がりはないのだ。冬子が綾子との縁を切りたいのであれば分かるが、いくら調べようとも、冬子達は綾子から何か、彼女を殺す程の実害を受けていた訳でも無かった。故に、彼らが彼女を殺害した理由が、藍田家の呪縛からの解放とすると、不自然に思えた。
 尚哉がそこまで述べると、ありさは観念したように彼女は言葉を返した。「母の殺害は、私達のためにやったことなんだと思います」
「私達の、ため?」
 呆気にとられる尚哉をそのままに、ありさは続けた。
「母の再婚相手のこと、もう調べてますよね」
「ああ。中々ひどい輩だったようだ」
「姉さんはあいつから、いつも私を守ってくれました。けど、姉さんは逃げたんです。私を、あの家に置いて」
 ありさはぶるると、全身を震わせた。「姉さんが家出をした後、あいつは姉さんの代わりを探していました。そこで目につけたのが、彼女と瓜二つの容姿を持つ私でした」
 それからの彼女の生活は、幼いながらも地獄に変容した。
「最初は、逃げた姉さんのことを恨みました。でも、それまでずっと姉さんが守ってくれていたことを考えると、完全に憎むことができなかった」ありさは儚く微笑む。「この男を殺したい、殺してやるって。私、いつも思っていました。でも、非力な女が勝てるわけがない。かといって、姉さんみたいに逃げられる程の勇気もない。死ぬのも怖い。一時我慢するだけ。無気力な毎日でした。私の人生、外れくじだったんだって、思ったりもしました」
 そこで暗い表情から一転、「でも」と明るく彼女は上を向いた。「それから少し経って、姉さんがまた、私を救ってくれたんです」
「救ってくれた…」
「殺してくれたんです。あいつを」
 尚哉は手元の資料に目を落とした。冬子が家出をした次の年に、母の再婚相手は事故死している。自宅付近の崖から、車ごと転落したらしい。雪の降る冬の日。道路は完全に凍っていたが故に、ハンドルミスによる不慮の事故として扱われたようだ。
「それ、姉さん達の仕業なんです」
 やられたから、やり返しただけよ。
 冬子は、ありさにそう述べたという。
「それから、私は姉さんのために生きてきました。姉さんが真琴さんと駆け落ちした時も、家の手配や生活の支援をしました。それが恩返しになると、思っていましたから」
「だから君は、冬子さんの計画を手伝ったわけか」尚哉は腕を組む。「でもそれが何故、実の母の殺害に繋がるのかな」
「私達、母のことも再婚相手と同じくらい、憎んでいたんです。だって、私と姉さんがあの男に嬲られていることを、知ってて黙認していたんですから」ありさは、吐き捨てるように述べた。「姉さん、言っていましたよ。再婚相手と一緒に、あの女も殺せればよかったって。再婚相手が乗っていた車に、母も同乗するつもりだったんです。でも、当時母は風邪で寝込んでいて、結局乗らなかったんです。
 姉さん達は複数人殺す予定だったようですから、このタイミングで殺そう、そう考えたんだと思います」
「…なるほど。動機は昔の復讐か」
「筋は通っていると思いますけど」
「まあ、そうだね」尚哉は頷いて、「でも有紗ちゃんは冬子さんから、具体的に棚橋綾子の殺害理由を、聞いた訳ではないんだよな」
 淡々と彼女に訊く。ありさは首を横に振った。
「そんな、世間話でするような話題でもなさそうですし」
「そうか」
 腕を組み唸る尚哉。ありさは眉間に皺を寄せる。
「あの、今の私の話に何か不満でも?」
「いや。動機は君が話してくれたとおりなんだろうな。というか、他には無いと思う」
「それなら、何をそんな悩むことがあるんです」
 彼女の問いに、尚哉は俯いて答えた。「それが事実だと、矛盾する点があってね」
「矛盾、ですか。一体何が…」
「凶器だよ。一人目の佐伯三郎、二人目の棚橋綾子。三人目の柏宮雄介。この三人は三人とも異なる凶器で、顔を剥がされていたんだ。
 そのうち、佐伯三郎の顔を剥がした凶器は見つかっている。冬子さんが若月に、俺を殺すよう命じた時に置かれていた、鋸。あれだよ。刃が、切り口と一致した」
 更に言えば、藍田家の焼け跡から発見された、勝治の遺体の顔も、同じ切り口だったという。つまり、佐伯と勝治は同じ人物…勝治を殺したのが真琴であるため、二人は彼に殺されたことになる。
「柏宮は俺の父親で、雛子さんと芳川薬品本社にあった俺の父親の遺体は、俺の叔父の仕業だった。二人は同じ凶器を使ったみたいだ。ただ、やはり棚橋綾子の切り口とは一致しない凶器を使っていたようだった。
 結論、何が言いたいかっていうとね。今もなお、棚橋綾子の顔を剥ぎ取った凶器だけ、行方が分かっていないんだよ」
「…つまり?」
「ここからは俺の推測になるんだけど。棚橋綾子の顔を剥ぎ取った…彼女を殺した犯人は、藍田真琴でも冬子でも無い、別の誰かの仕業なんじゃないか」
 そう考えると、切り口による凶器の矛盾は解消されることになる。
「でも」と、ありさは異を唱える。「それならどうして、姉さん達は母を殺したって言ったんです。刑事さんの言うとおりなら、あの人達がやった訳じゃないのに」
「多分、藍田夫妻は棚橋綾子を殺した犯人のことを、かばったのかもしれない」
「馬鹿馬鹿しい。それをして、姉さん達に何の意味が」
「犯人が、彼らの目的を達成するための手助けをしていた」目を丸くする彼女を前に、尚哉は淡々と告げる。「代わりに彼らは、棚橋綾子殺しの責任を引き受けた」
「…」
「どうかな」
 尚哉の問いに、ありさは無言で彼を見つめていたが、少し経ってから拍手を数回、行なった。しかし力は入っていないのか、音は鳴らない。
「なかなか」ありさは息を吸った。「なかなか、面白い空論ですね」
「空論と言い切るだけの根拠はあるのかな」
「ええと。色々ありますが」ありさは顎に人差し指をあてた。「一番はやっぱり、顔を剥いだ凶器が違うってことです。例えばですが、姉さん達が母を殺す時に持ち合わせがなく、別のものを使った。そんな可能性も考えられますよね」
 尚哉は肯く。「俺もそれは考えた。でも、彼らは若月に罪を被せようとしたんだぞ。たとえ別の凶器を使っていたとしても、藍田家に見当たらないのはおかしくはないか」
「確かにそうですけど」
 動じることなく、ありさは尚哉に顔を向ける。「だからといって、顔を剥いだ凶器が違うこと。犯人が違うこと。この二つが繋がるだけの、根拠はあるんですか」
「それは、うん。今は無いね」
 彼女の言うとおりだった。今の推論は、尚哉の中でそう考えているというだけであって、捜査本部の総意というわけでも無かった。
「それなら、もうこの話は幕ですよ」
 にこりと、ありさは尚哉に向けて微笑む。それはキャスト「ユサ」として働いていた時の、客に向けたものと一緒だった。
 しかしそれは、己の思惑を隠すために彼女自身が作り上げた仮面。今の尚哉には、そう思えてならなかった。

「顔剥ぎはいなくなった。もう、それで良いじゃないですか」

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