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アルテミス これは少女の物語 第一章 王女継承と蜂起の影 (第一節)

著者 fullmoon イラスト ひよこ

© fullmoon・4.5



第一章 王女継承と蜂起の影

お城には、美しい美男美女が住んでいます。二人はいつも一緒に駆け回り、お城の中は、いつも笑い声が絶えません。そんな二人も、いつしかこんなに大きくなりました。



第一節

―思うんだ。


この大地には数億の人々が住み、毎日、たくましく生きている。その国民は皆、平和を望んでいる。しかし、その平和とは、人それぞれの理想や欲にまみれ、純粋な平和を望んでいるものは少ない。

 私が今、王となってはいるが、現に西方の集落には不満を蜂起させ、大きな部隊を形成していると聞く。いつ、この城が攻め入られてもおかしくないのだ。この城下街にも多数のスパイがいよう。もしかしたら、この城の内部にもいるだろう。

毎日、刻々と状況が変わる日々に目を向けなければならない。そして、心優しく人々を導くのが、真の王であるだろう。

「アルテミスよ。明日、私は王を退く。次期の王はアルテミスだ。女王となり、アルテミスが見聞きし、判断するのだ」

いつもと何ら変わらない月明かりが私たちを照らす。

王とアルテミスは、二階のバルコニーから城下の明かりを見ながら話している。

時折、木々が風で揺れ、落ち葉が地面を遊んでいる。

「まるで鬼ごっこをしているようですね」

アルテミスが父である王に言った。

「何がだ?」

「落ち葉です。風が吹くと、追っかけっこをしているように地面を舞っていくのです」

「アルテミスよ。その心優しい気持ちを忘れるでないぞ。美しいものを美しいと感じる心をいつまでも持っていくのだ。そなたには、武力もなければ、知識もない。しかし、その心があれば、大きな力を動かすことができる。絶対に忘れてはならない。武力も知識もなくても、大きな力を動かせることを」

「はい」

「アルテミス、人々は願っていた。暗闇だったこの地も、こうして明かりが灯り、人々は安心して暮らせるようになった。人々が望んだすべてがこの城下にある」

「はい」

 刻一刻と継承の儀が近づく夜更け、アルテミスは寝むれなかった。十一歳の私には、王の意味すら理解できていない。父の王務を近くで見ていただけで、ただのお仕事だと思っていた。しかし、父が時々見せた、鋭い眼差しで部下に指示をする姿は、鮮明に残っている。私には、あんなに優しい目なのに。

(王…。私は…)

 いつの間にか、私は眠っていたようだ。

徐々に空は明るくなり、朝がやってくると、一羽の大きな鳥のかけ声で動物たちは目を覚ます。

小鳥たちの鳴き声と共に、人々の声が聞こえ始める。

アルテミスも眩しく顔に射す朝日の光で、目を覚ましたが、光の当たらない布団へ潜る。

間もなく眠気が、再びまぶたを閉ざしていく。

すると、窓の外が賑やかになっていることに気がついて、再び目を開ける。

布団が恋しい身体をゆっくりと起き上がらせる。

窓枠の隅からそっと外を覗くと、城の広場にはたくさんの民が集まっていた。

重い身体と呼吸を合わせながら身支度を済ませ、急いでバルコニーへ向かった。

「アルテミス。よく眠れたか?うむ、その顔はよくは眠れていないようだな」

すでに父はバルコニーの手前にいた。アルテミスを待っていたようで、バルコニーの手前に立っていた。

アルテミスが到着すると、息を整える間もなく、親衛兵が私たちを取り囲むように護衛し、バルコニーへ上がった。

私たちの姿を見た民衆は、歓声を響かせた。

歓声が私たちに集中する中、集まったたくさんの民がアルテミスの目に映る。

拍手をしている人や正座をして頭を地面につけている人、腕を組んでいる人。様々だった。

子供たちは、駆けて競い合っている。

城と街を繋ぐ街道を見ると、広場に集まらず、仕事に勤しんでいる民もいる。

父は規則という、しがらみを嫌い、民には自由に生きて欲しいと強く願っていたためだろう、王を迎える仕方を定めていなかった。

しかし、幼いころの私の記憶には残っている。

王務をしている父の横で、おままごとをしている私を愛おしむような優しい目で見ては、自由なことが本当に自由なのだろうかと、つぶやいていた。

「頭を下げている者、頭を上げて聞いてほしい。これまで、この城下街を中心とする7つの街は、急速な発展を遂げ、他国との貿易も果敢に取り組んできた。それもこれも民である皆が私たちを守ってきてくれたからである」

父が話しだすと、歓声は止み、王の言葉が建物に反響し、全体に広がっていく。

「その心優しき寛大な器で、娘であるアルテミスを助けて欲しい。今日(こんにち)、アルテミスは11歳となった。本日をもって、私は王を退き、アルテミスが女王を継承する」

再び歓声が上がった。民衆の中では、以前よりアルテミスが継承するのではないかと囁かれていたためか、驚く者はいなかった。

「アルテミス。一言、民に言って終わりにしよう」

父は、一歩後ろに下がると、アルテミスを促した。

圧倒される大きな歓声に、アルテミスの身体は小刻みに震えていた。

石のように硬くなった身体を奮い立たせ、一歩ずつ前へ進み、父の前に立った。

首筋にぶるっと走りむず痒い。

「あの、よろしくお願いします。…皆が笑顔になりますように。…小さなお花を大切にします。山羊やお馬を大切にします。もっと人を思いやって大切にします。…これからも変わらない日々を…努力し…願い…頑張ります」

皆に言葉が届くよう、大きな声で言うたびに、足がカサカサと震えた。

最後に、アルテミスは目をつぶり、右手を開いて心臓の鼓動がする左胸に手をおいた。ひとつ深呼吸をして、後ろへ下がった。

歩く足は地面を踏んでいるように感じなく、宙に浮いているようだった。

親衛兵が守る中、私たちはバルコニーから城内へ入っていく。

城内に入ると、親衛兵は、父に一礼して持ち場に戻った。

私たちの姿が見えなくなると、徐々に歓声は静まり、元の平穏な時が流れ始めた。

小鳥たちも居心地の良い場所を見つけては呼び合っている。

父とアルテミスと父の腹心、三人は、話しながら玉座のある部屋“玉座の間”へ進んでいく。

「…何点でしたか?」

アルテミスは、父の顔を覗きこむようにして聞いた。

「七十五点くらいだな。でも初めにしては上出来だ。そういえば最後に、手を胸に置いたのはどうしてだ?」

「私、決めていたんです。心の優しい国をこれからもずっと続きますように。こんな優しい鼓動を聞く民が、いつまでも居る王国でありますように。皆の鼓動を思いやれるように。そんな気持ちでバルコニーに立って、私の鼓動を聞いてみたら、早い!って、慌てて」

「はっはっは。王として合格だ。王は民を聞くこと。国は民でできている。その気持ちが備わっている。しかし、民衆の前では、むやみに言動や動作をしないほうがよい。噂が広がり、根も葉もないことまで肉付けされてしまうものだ。いろいろな噂があるが、良い噂はないと考えていたほうがよい」

「わかりました」

アルテミスは、少し目線を落とし、静かに言葉を返す。

すると、アルテミスの沈んだ顔は次第に明るくなり、父の腹心の顔をキラキラした眼差しで見た。

「私、合格頂きましたっ!」

両手を頭の上に上げ、喜びを全身で表現している。

「よかったですね。女王様」

父の腹心は、アルテミスをあやすように一緒に喜ぶ。

それを見て、父は優しく微笑む。

「明日から早速、女王のお仕事が始まるぞ。まずは、王国で働く皆に挨拶をしてもらうから、寝坊しないように」

「私なら大丈夫です。お父様こそ、お寝坊しないようにして下さいね!」

アルテミスは喜びが治まらないまま返事する。

「そのアルテミスが一番心配なんだが…」

次の日、城下街の朝は、少し印象が変わっていた。

アルテミスが継承の儀で振る舞った、右手を胸におく行為が、お辞儀の代わりとなり、通常の挨拶になり始めていた。

一人がその挨拶をすると、受けた相手も興味本位に同じ挨拶で返す。すると、自然と笑みがこぼれ、挨拶が挨拶を生み、瞬く間に広がっていった。

「おはようございます。お父様」

おぼつかない足取りで、父のいつもいる玉座の間に着いた。

アルテミスは、ぼさぼさの髪に、柔らかい角に似た寝癖を生やし、目もしっかり開かぬまま、父を見つけると、父のもとへと玉座の間の奥へ進んでいく。

微かに映る視界には、たくさんの人のようなものと、その先に父の姿が見えた。

ただ、父を目指して歩いていく。

「アルテミス。今日から、アルテミスが女王なのだ。身支度をして、また来なさい」

「ふぁ~い」

父の声がアルテミスに届くと、くるっと反転し、来た道のりを戻り始める。

「まったく…。皆、許してやってくれ。今日が女王の初日だからな」

父は頭を抱えながら、アルテミスの後ろ姿を見ている。

よたよたしながら自室へ戻っていく。

「すまないが、二度寝しないよう付き添ってくれるか?」

父は困った顔を見せながら、お世話係に伝える。

お世話係は優しく微笑みながら一礼をして、アルテミスの後ろをついていく。

「全く二度寝なんてしませんよーだ…」

戯言をごにょごにょ言いながら、自室にある鏡の前で、腰まである透き通った長い黒髪を束ねる。

時折、するんと通る手ぐしに満悦しながら、身支度を済ませていく。

徐々に目も開き始め、光が射し込む自室が鏡に映り込む。

今日もしっかりと髪がまとまったことに喜びの笑みを浮かべると、玉座の間に向かった。

到着すると、集まっていたたくさんの人の視線がアルテミスの顔に集中する。

そこには、各町の町長である重鎮、城の衛兵、親衛兵、父の腹心、城のお世話係が集まっていた。

全員、アルテミスがよく知っている人たちだった。アルテミスの顔を見かけては、必ず話しかけてくれて、重たい荷物を持っていると快く(こころよく)代わりに持ってくれる素敵な人たちばかりだった。

皆の視線は優しかったものの、眠気は一気に覚め、父の近くへ駆け寄った。

整った長い黒髪が、アルテミスの動きに合わせて、さらさらと流れ始める。

父は、玉座には座らず、その横に簡易的な椅子を用意して腰を掛けていた。

「遅れたが、本日より女王となったアルテミスだ。よろしく頼む」

父は、ゆっくりと腰を上げ、アルテミスの一歩後ろで言った。

「よろしくお願いします」

アルテミスは、いつも皆と話すように言い、頭を下げた。

「まだまだ未熟な女王であるから大目に見ることもあるだろう。しばらくの間は私と女王で王務を務めることとする。では、皆は任務に戻ってくれ。アルテミスは、お説教が待っているぞ」

「え?!はい…。」

アルテミスは、肩から気を落とし、しょぼんとしている。

皆は微笑みながら、玉座の間から退出した。

玉座の間は父とアルテミス、父の腹心の3人だけとなり、少しひんやりとする。

壁際に備えつけられている暖炉のぬくもりが顔を温める。

父は、何か言わんとばかりにアルテミスの前に立つ。父は思っていたよりも小さく見えた。

「アルテミス」

「はい…」

アルテミスは、うつむく。

「部下に頭を下げないよう、心しておくのだ」

「え?」

うつむいていたアルテミスは、父の顔を見上げる。

「王は、あくまで国をまとめる最高位だ。腰の低い、頭の上がらない王となると、この座を狙う者が現れる。例え、衛兵であろうと、重鎮であろうと。頭を下げるときは、この王という立場を捨てる覚悟のときに使いなさい」

「わかりました…」

再び、アルテミスはうつむく。

「以上だ」

「え?それだけですか?朝寝坊怒られるのかと…」

「叱るも何も、いつものことだからな」

父の腹心が微笑みを浮かべる。

父の顔を見上げると、アルテミスの表情が普段の表情に戻っていく。

「なんだぁ、よかった。そういえば、お父様、身長縮みました?」

父の腹心は背中を向ける。微かに肩が小刻みに揺れているのがわかる。

「アレス。なに後ろを向いている」

「す、すみません。女王が面白いことをおっしゃるので」

「まったく、どいつもこいつも。アルテミス。これは少し種があるのだ。実は、王であった頃は、常に厚底のブーツを履いて生活をしていたのだ。だから、身長が高く見えていたのだろうな」

「なんで、厚底を?」

「身長が低いと、整列した部隊の最後尾に私の顔が見えなく、士気も落ちてしまう。また、民衆の前でも、すべての人に私の顔が見えないと、不安になってしまう」

「え、でも私、大きくないです」

「アルテミスは、大丈夫だ。アルテミスは、すでに部隊や民、皆と共有する術を身につけた」

「なんのことですか?」

「アレス。新米へっぽこ女王に報告してやりなさい」

父の腹心であるアレスに言った。

「はい。本日、城下街に配属する偵察の定時報告によると、早朝より、挨拶で使われていたお辞儀の代わりに、昨日(さくじつ)、女王がなさった、右手を胸に置く行いが挨拶の動作に加わり、今までのお辞儀をする挨拶が見られなくなったとのことです」

「え?」

アルテミスは、父の腹心のアレスに顔を向ける。

「私も城下街に降りて、偵察を行いましたが、皆、表情が良く、昨日よりも活気に満ちていました」

アレスは、アルテミスが一番聞きやすいだろう優しい声を選んで話す。

「噂とは早いものだ。常に王族の仕草や動作は見られている。城下街の流行は、王族が大きく関わっているのだ」

父は腕を組み、天井に描かれている女性の肖像画を見ながら言った。

玉座の真上に位置して天井全体に描かれている美しい女性は、玉座を覆うように描かれている。

「はい、気をつけます」

「いや、今回はアルテミスの行動がひとつにまとめる良い仕組みとなった。これで城下町のみならず、王国全土にアルテミスの名が広まるだろう」

「私、そんな有名人になりたくないです」

「最高位の名を轟かせておかねば、王威もなくなってしまうから、良いのだ」

「…はい。王様って大変だなぁ」

アルテミスは下を向くと、地面の模様を足でなぞっている。

「困ったな、一日目で弱音を吐かれては、私も先行きが心配になるではないか。さて、もう話は良いだろう。アルテミス、今日から王女ではなく、女王になったのだから、まずは、玉座に座ってみよ」

「あ、はいっ」

アルテミスは、黄色で染色された生糸で全体が仕上がっている玉座を見つめると、ゆっくり肘置きに手をかけ、徐々に腰を掛ける。

さらさらとした手触りに、ふんわりとした感触がお尻を包み込んでいく。

「ふわふわ~」

アルテミスは思わず、顔がほころんでいく。

「この玉座は、代々この城に受け継がれる平和の証である。金の装飾もなければ、宝飾もされていない。この玉座には、常に部隊や国民と平等な立場であり続けるという志を示しているそうだ」

アルテミスは父の話を半分に、ふわふわした玉座を堪能している。

「このお城は、お父様みたいな人がずっと守ってきたのですね」

ふわふわを堪能していたアルテミスは、次第に王座の細部が気になり、目を凝らして肘置きを見つめながら言った。

「うむ…」

「あ、ここ、ほつれてる」

肘置きに綻びを見つけると、アルテミスは摘まんでいじくっている。

「かなり年期の入ったものだからな。…これこれ、あまりいじると、ほつれが大きくなってしまうではないか」

父は、すかさず止める。

アルテミスは綻びから手を離すと、天井を見ながら、ふわふわの弾力を利用して、身体をぽんぽん跳ねて遊んでいる。

「お父様、この天井の綺麗な女性は誰なのですか?」

「…これか。これは、私が一番愛している最高の肖像画だ」

父もアレスも天井を見上げる。

「とても綺麗な方ですね。長い髪に小さな顔立ち、すごく優しそう」

アルテミスは天井に描かれている女性の肖像画の全体を見渡して言う。

「そうだろう、まさしく絶世の美女だな。アルテミスに少し似てはいないか?」

父は腕を組むと、にこやかな表情で言った。

「え?私ですか?私はこんなに美人ではないです」

「いや、似ているであろう。アルテミスも絶世の美女であるからな」

「私、素直に受け取ってしまいますよ、お父様」

「お世辞ではないのだがな。これ以上言うと、アレスに親ばかと言われてしまうから止しておくか」

聞いていたアレスは、優しい眼差しでアルテミスを見ている。

「さて本題だが、アルテミスよ。女王となった今、まず何をする?」

父は、アルテミスの顔をじっと見つめ、尋ねた。

「えっと、いろんな町に行ってみたいです」

「うむ、さすがだ。私が言おうとしていたことを言った。そう、街を視察して、この国を知っておく必要がある」

「え!行っていいの?」

アルテミスは玉座から飛び上がると、目を見開いて父に言う。

「しかし、一人で視察ということはできない」

「別に、私服で帽子をかぶってしまえば、わからないと思います」

「アルテミスには、まだわからないかもしれないが、街を見てくれば徐々にわかるはずだ。街とは、我々王族ではどうすることもできない問題が、山ほどある。そして、国民は王族よりも強いことを理解してくるのだ」

父はアルテミスに背中を向ける。

「そこで、私の腹心である、このアレスと共に街を視察してきてくれ。こいつは、まだ17歳だが、剣術でこいつの上にいく者は誰一人としていないと断言できるほどの実力を持ち、私のほとんどを知っている。全部と言っても良いだろう。どの親衛兵よりも重鎮よりもこいつを信用している。アレスになら、愚痴を言っても大丈夫だろう。私は、本当にこいつの強さには敬服している。度重(たびかさ)なる戦でも鎧に傷ひとつ付けずに、さらには、剣と剣が交わったときにできる剣の傷すらないのだ。これは武力だけではなく、心も強いのだろう」

「とんでもございません。ありがとうございます。感謝致します」

アレスは、父に頭を下げる。

「しかし、趣味も持たぬ、実直で生真面目なやつでな。先を考えて行動する反面、保守的になりがちだから、そこはアルテミスが助けてやってくれ。いろいろ、私の近くに居て、苦労をさせてしまったのだろうな、すまない」

父はアレスに浅く頭を下げた。

アレスに頭を下げるなんてこと、今まで一度もなかったので、アルテミスは驚いた。

アレスも驚きを隠せずにいる。この状況を理解すると慌てて、父の頭の位置よりも下までアレスは頭を下げた。

「とんでもございません。お上げください。でないと私も頭を上げることができません」

父が頭を上げると、アレスもゆっくり頭を上げた。

「まったく。アレスはいつまで経っても実直な鎧の中から心を表すことがないな。少しは私に心を許してくれても良かったであろうに」

「いえ、私から見て最高位であることには変わりません」

「アレス。私はもう最高位ではない。アルテミスを頼んだぞ」

父ははっきりとした口調でアレスに言った。

「はい」

アレスは父の言葉をしっかり受け止め一礼した。

 あれから数日間、アルテミスとアレスは、旅の準備に忙しなく動いた。

「これも持って、あ、あとはこれも持っていかないと」

アルテミスは華やかな町並みを想像して、必要な物を考えていく。

「アルテミスね、今度、街に行くことになったの!」

「それはよかったですね。女王様の念願でしたものね」

お手伝い係はアルテミスの部屋で洋服を畳みながら、ウキウキしたアルテミスの話を聞いている。

「うん!それでね、街ってどんな場所かなぁと思って」

「そうですね。美味しい食べ物や綺麗なブレスレットなどが揃っていて、各町によって住んでいる人たちの性格も違ったりしてきます」

「少し前、私にプレゼントしてくれたブレスレットも街で買ったの?」

アルテミスが棚からブレスレットを取り出して見せた。

「あら、女王様、まだお持ちでございましたか。女王様が8歳の誕生日の時に隣街で買ってきたものですよ」

「そうなんだ。こんなに綺麗なブレスレットがある街かぁ。どんな場所なんだろう」

「そうですね、賑わっていますが、お祭りみたいで楽しいところです」

「お祭りも、城のバルコニーからしか見たことないから…でもお買いものまで父が許してくれるかな」

「きっと、お嬢様も…失礼しました、女王様もお買いものできますよ。あのアレス様も一緒ですし」

「普段通りに呼んでいいよ。お買いものできたらいいなぁ。このブレスレットもちゃんと手首につけて行くね」

「ありがとうございます、お土産話を待っていますね、お嬢様」

アルテミスは、お世話係にどのくらいの道のりなのか、寒いのか暑いのか、天候などを聞いて、旅の準備を進めていく。

お世話係も退室し、日も傾き始めた頃。

「女王。入ってもよろしいでしょうか」

自室の扉の外からアレスの声がして、アルテミスは手を止めた。

「アレス。ちょうどいいところに来てくれた!入って」

アルテミスの招き入れる声を聞くと、アレスは静かに扉を開けた。

「アレス、これも持っていったほうがいい?」

アレスは目の前の光景に思わず言葉を失った。

「あれ?アレスどうしたの?」

アルテミスは、全身が映るくらい大きな鏡を両手で抱えてながら言った。

「女王。これはいったい…」

アルテミスの部屋にはアルテミスの身体より大きな荷物がいくつも転がっていた。

「え、準備してるの…。あれ!?もしかして、お父様の気が変わって、外に出るなーって言われてきてます?」

「いえ、先代王からはそろそろ出発しなさいとお話を受けました。しかしながら女王。これだけの荷物はさすがに持っていけません」

「でもみんな必要なものだよ」

アルテミスは、ガサガサと荷物の中身を取り出してアレスに見せ始める。

手鏡や髪を整えるくし、更には衣類の数々。

布団なども敷布団からすべて。

可愛そうなくらいベッドが骨組みだけになっている。

「あ、アレス、これ覚えてる?」

すると、アルテミスは動作を止めて、アレスに一枚の賞状を見せる。

「覚えておりますよ。それは初めて先代王から勉学で認めてもらった時ですね」

「そう!私は頭がいいんだから」

「はい、そうですね。女王は素直な方です」

「それじゃあ、頭良さそうに聞こえないー」

「すみません、素直で聡明な方ですね」

「そうね。それで許してあげる」

賞状を丸めると、再び袋の中へと入れる。

次から次へと袋の中の物を出す度に、アルテミスは満面な笑みでアレスを見た。

アレスもそんなアルテミスを見て、自然と笑みがこぼれた。

「女王、そんなにお持ちになられては、乗っていく馬もかわいそうですよ。思い出も大切ですが、旅先で落とされては一大事になります。持ち続けなくても覚えていればそれが思い出になります」

「んー、確かにお馬さんがかわいそう…」

渋々、袋から出していく。

時々、これは絶対に持っていく。と言いながら、大きな袋の中を仕分けていく。

その頃、民衆の中では、アルテミスの挨拶が七つの街にも浸透し、挨拶が定着した。一部では王節(おうせつ)という、挨拶の名称も名づけられ始めていた。

「では行きましょう、女王」

アレスとアルテミスは、荷物を馬に載せ終わると、綱をひいて城門前に向かった。

そこには父が見送りに来ていた。

「何ヵ月もの旅路になるだろう。これを持っていきなさい」

父は、小袋に入れたお金をアルテミスの手に持たせた。

「お父様。お金は持ちましたよ?」

「これは、本当に何かあったときに使うのだ」

「何かあったとき?」

「いつどうなるか、わからないからな」

「でもこんなにたくさん…」

「女王、頂いていきましょう。旅路では何かと役に立ちます」

アレスは、アルテミスに言う。

「わかっているようだな。持って行きなさい」

父は一瞬微笑むと、アルテミスにお金の入った袋を渡す。小さなアルテミスの手には重い。

「わかりました。持っていきます」

アルテミスは小袋を荷物に入れ、馬へと乗った。

「アレス、アルテミスのことを頼んだぞ」

「お任せ下さい。…お言葉ながら、もし、城に…」

アレスが話している途中で、父は話を挟んだ。

「大丈夫だ。城なら親衛兵もいれば、アレスの小隊もいる。気にせず行ってこい」

「…かしこまりました」

二人の会話を待ちながら、アルテミスは乗っている馬の頭を撫でている。

アレスは何か言いたいことをぐっと押し込めたようにも見えたが、アルテミスの目には、これから始まる初めての旅に、大きな喜びと期待しか映っていなかった。

「大丈夫だよ、早く行こっ」

アルテミスは両足をバタバタとさせながら、アレスに言った。

「…では行ってまいります。」

「うむ。」

父とアレスは目と目を合わせると、アレスは父に一礼した。

「はい。行きましょうか、女王。」

アレスはアルテミスに応えると馬に近づく。

すると、馬は乗りやすいように屈み、アレスが乗ると立ち上がった。

アレスは、ありがとう。と言いながら馬の体を擦る。

「行ってきまーす。お父様ー、帰ったら旅の思い出いっぱいしますねー」

アルテミスは見送っている父に手を振りながら、遠足に行くかのように軽やかな足並みで出発した。

父は沈んだ顔でも喜んでいる顔でもなくどこか遠くを見ているような顔で見送っている。

しかし、その眼差しは、しっかりとアルテミスとアレスを見て続け、アレスもまた父の顔をずっと見ていた。

 木漏れ日の射す街道をゆっくりと進んでいる。足元には落ち葉のじゅうたんが敷かれ、時々の強い風に落ち葉が波のように私たちを追い越す。

「では女王。どちらから向かいましょう」

「旅なんてしたことないから、どこに行ったらいいのか…。アレスはどこがいいと思う?アレスならいろんな町のこと詳しいでしょ?」

「では、まずは隣町から行きましょう。海に面している街なので、見晴らしもいいですし…」

「もしかして綺麗な場所?」

アルテミスは目をキラキラ丸くしている。

「はい。崖の上から見た海を初めて見たときは、偉大な大地に産まれたことを感謝したものです。」

「見たい、見たい!私なんて産まれて今まで、城の庭から外に出たことないし、子供の頃の遊び場なんて、お父様の書庫でしたから、綺麗な場所と言ったら、バルコニーに出て、月や星を眺める程度…」

「確かに女王は、城の箱入り娘でしたからね」

「少しは、お父様も私のことを考えて、いろんな場所に連れて行ってもよかったのに」

アルテミスはぶーすかぶーすか言っている。

「先代王も考えがあってのことでしょう。女王を可愛がられていましたから。私と先代王、二人だけになると、いつも女王の話ばかりされていましたよ」

「そうなの?まぁ、今こうして、旅に出させてくれているから許そうかな」

アルテミスは馬から降りると、落ち葉のじゅうたんを初めて雪を踏む子どものように踏み歩いている。

アレスもその後ろから馬を連れて歩いている。

「隣町は、綺麗な場所だけではありません。海に面しているので、外交、貿易も盛んで、賑やかな街です。いろんな街の人たちが交わる経済の街です」

「ふーん」

「しかし、一歩、路地に外れると、闇市をしている怖さもあります。暴くれ者や人身売買がはびこる街でもあります。街に着いたら、私から離れぬよう、お願いします」

「はーい」

「女王。聞いておられますか?」

「え!聞いてるよ。聞いているに決まっているでしょっ」

落ち葉のじゅうたんを踏み歩くアルテミスは、足元をキラキラした目で見ながら答えている。

「発展して、賑やかな場所には必ず危ない場所もあります。お気をつけ下さい。ところで、やはりお買いものをしたくありませんか?」

「お買いもの?」

「はい。隣町には大きな市場が連なっているので、いろんな街からの特産物が買える場所なんです」

「お買いもの!?私、お買いものもできるの?していいの?私、初めてのお買いものだよアレス!いつも、お世話係が買ってきてくれてたから、買うなんていう機会なくて、お買いものっていうのがどういうのか、知りたかったの!」

「はい。そう仰せられると思って、隣町を選んだんです」

「なに、早く言ってよー」

アルテミスの足運びが速くなる。次第にスキップに変わっていく。連れられている馬も足並みを揃える。

「女王は素直な方です」

アレスは、先に進むアルテミスに聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

「何か言った?」

スキップして前に進んでいる、アルテミスは振り返った。

「いえ、何も言っていませんよ」

「そっ」

アルテミスは更に先に行く。連れている馬も心地よさそうにしているから、安全な場所だ。少し遠く離れても大丈夫だろう。

「女王。女王はいつまでも素直で純粋な御心のままで。…先代王、私は、この運命を信じています」


(第二節につづく)

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