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物語は裏切らない【#読書感想文】

本には、出会うべきタイミングがある。

"べき"という言葉は、強制みたいで使いたくない。
だが、テレビを通して、ウクライナで鳴り響く空襲警報と砲撃の音が聞こえてくる。ウクライナが侵攻され停戦の目処が立たない現在、この本は今読むべき本だと思う。

深緑野分・著『ベルリンは晴れているか』を読んだ。


この本を購入した時、書店の店長さんに「いい本ですよ」と言われた話を、1つ前のnoteで書いている。


実際読むと、店長さんが"面白い"ではなく、"いい本"だと言った意味がよくわかる。
単純に面白がる本じゃないからだ。

物語の舞台は、1945年7月、終戦直後のベルリン。
当時ナチスドイツの敗戦で、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスという複数の国の統治下に置かれている。

ここに住む主人公・アウグステは17歳。両親を亡くし、アメリカ軍の食堂で孤独に働く女の子だ。
そんな彼女が、毒によって恩人が不審死を遂げたことをきっかけに、旅に出るロードムービーである。


分割統治され戦争の爪痕の残る街は、進むのも困難な道行きだ。瓦礫がそこかしこに残り、食べる物に乏しく、不衛生でいつ襲われるかわからない危険が伴う。
道に咲く小さな花を見つけて、思わず近づくと、子どもの遺体が転がっている、なんていう描写にリアリティを感じさせる。

そんな旅の過程で、元俳優の泥棒や浮浪児、軍の関係者たちが登場し、スリリングな事件が巻き起こる。
旅の果てに主人公が目にしたものとは?という、お話だ。

夜明けの前は最も暗いと言うけれど、終戦間近のあの日々は暗いどころではなく、生き地獄だった。

そんな戦争の時代を生き抜いて、誰も彼もが打ちのめさせ叩きのめされ、傷を抱えている。
若き17歳のアウグステさえも。

戦争の悲惨さ、憤りを生々しく体感することができる。

これを読むと、「戦争反対!」とか、「平和が一番」だとか、生ぬるいことを平和な日本で口にするのが恥ずかしくなってくる。


この本を買った時、書店の店長さんの「最後まで読むと全部繋がっているのがわかります」という言葉がなければ、私は途中で読むのを断念していたかも知れない。
それぐらい、しんどい物語だった。

だが、淡々とドライな文体は、必要以上の悲壮感を与えない。
冒険あり、謎解きの要素もあり、コミカルに感じる部分もあって、続きが気になってやめられない。
本を開くと、一気に物語の世界に没頭出来るのだ。

どれほど困難な状況になっても、アウグステの傍らには1冊の本があった。

物語は困っている私を励まし、守ってくれる。

からだ。
本の存在によって向学心が芽生えたアウグステは、仕事を得たり、生きる活力を与えられたりするのである。

私もこれまでの人生、本にどれだけ慰められてきたことだろう。

私には悲惨な戦争体験はない。
国も違う。時代も違う。
でも物語が守ってくれる。という感覚は共通だ。
これは知らない国の遠い過去の物語ではない。
今と繋がっている。

しんどいまま、この物語を閉じなくてよかった。
「いい本ですよ」と言ってくれた店長さんを信じてよかった。最後まで読むと希望すら感じられる。


今回、この本を"いい本"だと教えてくれた書店の店長さんに、ちゃんと読み終えたことを伝えたいと思った。
でもお店は忙しそうだし、声をかけるのに気がひける。

恐る恐る書店に足を運んでみることにした。
レジに立つ店長さんに、また新たに購入する本を差し出しながら、
「先日、こちらのお店で購入したベルリンの本、読みました」
さりげなさを装って、話しかけてみた。

店長さんは、一瞬「ん?」となったけれど、すぐに「あぁ今日また、1冊入荷したんですよ。ちくま文庫でしたよね」と返答してくれた。

あ、ちゃんと通じてる!

「いやぁ、圧倒されました。凄かったです」
言葉少なに感想を伝えると、
「それは、よかった」
言いながら、買ったばかりの本を手渡してくれた。

あっさりした言葉だったけれど、それで充分だった。
私は満足して、何気なく書店の天井を見上げた。

…あっ。

これまで棚しか見ていなくて気づかなかったけれど、書店の天井には青い空が広がっていた。

ドイツがこの終戦の後、困難な道を辿ることを私たちは歴史の教科書等で知ることができる。
でも、本を読んでいる間くらいは、アウグステの頭上に青空が広がっていたと信じたい。

そして未だ空襲警報が止まないウクライナにも、一刻も早く穏やかな青空が広がり、平和に暮らせる日がくることを願っている。

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