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道徳は数学だ!「1=2」を証明したい。

「1=2」を証明したい。けど、どうすれば?

元もと理系学生だったSeichanです。理系といっても国語が好きな理系でした。とくに感情や愛情などを表現した作品や考えることが好きだった学生時代。国語が好きな理系は何を考えるか。それは、道徳的な数学を考えます。ゾウとネズミの大きさに差がある動物たちが、同じ心拍数なのか?同じ寿命なのか?とか命には価値はあるのか?果たしてその価格は?…などなど。数学で表せそうで表せない、そんな数学を考えることが好きです。

こんな道徳的な数学が好きな自分に、さらに道徳を考える数学にのめり込むキッカケがありました。それは、友人のポッドキャストへの出演です。友人のポッドキャストは、3人構成でトークをしていく収録の仕方です。そして、今回自分がそのポッドキャストへコラボ出演させて頂いたタイミングがありました。

そこで語ったのは、色の波長が体内へ作用する仕組みとか、人体の波動とか…などなど数学的に、解剖学的にありえないトークを繰り出していました。中でも一番印象的だったトークがあります。それが「1人と1人がいると3人分」というトーク内容。「1+1=3」には数学的には成り立ちません。それでも、「人」という単位が付くことで、「1+1=3」を証明できる気がしたのです。

ありえないトーク内容でも、道徳的な数学に興味があった自分。ついには「1+1=3」を証明しようとしています。「1+1=3」を証明するには「1=2」を証明してあげれば可能です。今回のnote記事は「1=2」を証明していきたいと思います。「1+1=3」を証明することで、「1人と1人がいると3人分」という道徳的な数学を深掘りしていきます。


■本日の「○○したい」は…

本日の「○○したい。」は『「1=2」を証明したい。』です。

「1+1=3」を証明するには「1=2」を証明します。「1=2」を証明することで、「1人と1人がいると3人分」を証明したいです。

そこで、こんな式を発見しました。

0=0
0に何を掛けても0よって、
1×0=2×0
両辺を0で割り、
1=2

どうでしょう小学生でも解ける掛け算と割り算を使った「1=2」の証明です。これによって「1=2」が証明されました。

…というのは冗談です。(笑)

この式で使った「0で割る」という行動は、ゼロ除算(0で割るという事)といって数学的に矛盾した(不可能な)行為なんです。パソコンの計算機で「ゼロ除算」をすると、システムエラーとなってしまいます。

ゼロ除算が出来ないので、今回の掛け算、割り算を使った「1=2」の証明も「1+1=3」の証明も不可能となりました。

つまり、「1人と1人がいると3人分」を数学的に証明はできませんでした。しかし、「人」という単位には、数学的な不可能を可能にする。つまり、「1+1=3」を証明してくれる気がするのです。

例えば、「一人の能力」は「1」と断言できるでしょうか?「一人の愛」は「1」と言い切れるでしょうか?

「一人の能力」は「1」と仮定は出来ますが、「1」と決して断言できないと思います。「バイト先に3年居る一人」と「バイト初日の一人」では確かに「1=1」ですが、バイト内容を処理する能力に差があります。「バイト先に3年居る一人」を「2」として、「バイト初日の一人」を「1」とすると、「1=2」となります。つまり「1+1=3」が成り立つのです。

「一人の愛」とは、つまり「愛しているベクトル」を定義します。「妻を愛している。しかし子供も愛している。」と言うように「一人の愛」は「1つの愛」では無いのです。「一人の愛」は様々な方向へベクトルとなって向かっていくのです。つまり「1=2」で「1+1=3」となります。

「一人の能力」も「一人の愛」も「1」と定義できなかった。つまり「1=2」であることを、このnote記事で証明できたのです。数学的には「1=2」は証明できない。未だに「1=1」である。それでも道徳的な数学では「1=2」を証明できたのです。

定義できない「一人の能力」も「一人の愛」も「人」が関係しています。「人」が関係している数字には「1=2」を証明するチカラがある様な気がします。能力も愛も、1にもなれば2にもなるのです。「1人=2人」は、つまり「1人と1人がいると3人分」を証明してくれているのです。

「人」が持つ「目に見えないモノ」には数学の不可能を可能にするチカラがあるようです。


もっと深く「1+1=3」

今回の「1+1=3」を深く証明していくため、新しいnoteマガジンを作成しています。その名も「1+1=3」です。


■まとめ

数学的には「1=2」は証明されず、不可能な事と一蹴されてしまった結果になりました。しかし、「1=2」という数学的に不可能なことを可能にする道徳的な数学。道徳的な数学には「人」が絡む「目に見えないモノ」が「1」と定義できないことを今回証明しました。人の能力とか愛とかには「1=2」にするチカラを持っていることが見出されます。つまり「1人と1人がいると3人分」というトークの内容には数学的な根拠はないけれど、道徳的には間違いはないのです。

皆さんの「目に見えないモノ」は一体何なのでしょう。そして、それは「1」でしょうか?「2」でしょうか?「0」でしょうか?

どんな数値になっても「1人と1人がいると3人分」とプラスの方向に事が進んでいくと素晴らしい結果になりそうですね。


■note記事をポッドキャストにしてみました

Fullcity ポッドキャストのジャケット(自作しました!)

今回のnote記事をポッドキャストに収録してみました。ポッドキャストの名前は「Fullcity ポッドキャスト」です。Fullcity(中深煎り)の様に深くて香り高いトークを繰り広げる舞台はFullcity ポッドキャストSpotifyApplePodcastです。そしてstandエフエムにて公開中です。

https://xn--fullcity-ss4gua2s6u3c.online/podcast/podcast078/

ポッドキャストへのお便り・質問をお待ちしております。アナタのお便り・質問がポッドキャストで紹介されるかも!


「〇〇したい」をnote記事にしてみたい。

こんにちは!Seichanと申します。僕のnoteの使い方は自分の「○○したい」を表現する場所として使っています。noteとポッドキャストを投稿しています。

「○○したい」という考えは、誰しもが持っている欲求だと思っています。それでも大体は挫折したり、時間が無くて諦めたり、様々な障害が自分の欲求を遮ります。

僕には挫折した「○○したい」がたくさんありました。「あの時、こんなことをやり遂げればよかった」なんて思い出は数知れないのです。

「○○したい」は言わば「夢」や「目標」です。そうです。数知れないくらいの「夢」や「目標」を声にも出せずに諦めてきた人生でした。

「夢」や「目標」になるはずの「○○したい」という「アイデア」を表現していくという「目標」を持っています。

これからは、そんな「夢」や「目標」を声に出す事を、とりあえずの「目標」にしたい。そこでnote記事で自分の考えている「夢」や「目標」を表現していきたいと思っています。


公開済みの「○○したい」


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