宣言したら、変わり始めた。
記事を遡ってみると、2018年2月からnoteを始めているらしい。
きっかけ
一番最初の記事がこちら。
今から始めるリスク。後で始めるリスク。
一発目にこの記事を書いた理由は、「noteというものがあるらしい。ちょっとやってみるか。」でnoteを始めたから・・・だと思う。その時の感情をnoteに書いた・・・のだろう。(1年半ほど前の内容であるが、その時の気持ちを正確に思い出せない。)書き方も今と違う。
始めてから1年半ほど。気が向いたら書こうという具合に、ボチボチ・・・本当にボチボチ書いていた。月に1記事・・・すらない月もあった。
変化
noteに対してその程度の姿勢であったが、”ある時”を境に更新数が伸びてきた。ひとまず、2019年の投稿数を貼り付ける。
かろうじて、2019年は投稿数0の月はなかったが、1月以外は1桁という状況。注目すべきは8月だ。2019年の中で一番伸びている。”ある時”はその直前。この記事を書いてから、変化が起きた。
宣言
7時間後、朝活。
朝活の宣言をした。少なくとも平日は、朝に記事を投稿すると宣言していた。それから朝に記事を投稿するようになって、8月18日時点で20記事(1日1記事以上)になっている。ここで面白いことに気づいた。毎日記事を投稿するとは宣言していないのに、毎日記事を投稿していることだ。
朝に記事を投稿すると宣言しただけで、毎日投稿するということまで、自分の中に義務感のようなものが生まれたらしい。
習慣化
それに伴って、アウトプット前提で情報収集する習慣も付くようになり、インプットする際に、どうアウトプットしようかと考えられるようになった。今までよりも、効率良く、視座高く情報収集出来るようになったと感じている。
あくまでnoteは自分の考えをまとめるツール。インプットしたものをアウトプットして、自分の知識や考えを整理・蓄積するためのツールとして捉えている。
だから、記事の内容は一貫性がなく、気づいたこと、思ったこと、考えたこと、時には妄想したこと(小説もどき)だって書いてしまう。
あしあと
たとえばこんな記事たち。
N、R、SR、UR、あなたはどれ。#福ログ【Vol.2】
不安⇒fan⇒fun#福ログ【Vol.11】
拝啓、1分後の私。【小説】
私と、わたしと、ワタシと。
実践
こんなにバラバラなのは、ちょっと前に読んだ、『読みたいことを、書けばいい。』の影響も少なからずある気がする。いい気づきを本当にありがとうございます。
副産物
そして、そんな一貫性も論理性も欠けるような拙い文章を読んでくださる方もいるという嬉しさ。
イケてる方々と比べればビュー数も、スキの数も少ないだろう。だが、前述した通り、好き勝手やっている記事をこれだけの方々が読んで、リアクションしてくださるだけでもありがたい。
次なる宣言
ここまで書いてきたとおり、宣言したことで、様々な変化が起きた。これからも、自分の心のままに記事を投稿していこうと思う。
noteに感謝。ありがとう。これからもどうぞよろしく。
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