ハーバード見聞録(29)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


アメリカ合衆国憲法(8月1日の稿)

■英語教育受講開始
私は、9月19日から、週2回(月、水)、ハーバード大学公開講座の英語教育の受講を開始した。ハーバード大学に来て矢張り一番困るのは英語である。「60の手習い」よろしく、恥も外聞もなく、ひたすら英語上達の為、金も時間もつぎ込む心境になった。

因みに、ハーバード大学公開講座の語学教育は、英語の他に日本語、アラビア語、中国語、フランス語、ドイツ語、ヒンドゥー語、イタリア語、韓国語、ラテン語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語、スワヒリ語、スウェーデン語、トルコ語などがある。

勿論、ハーバード大学のことだから、語学教育のやり方そのものも研究対象として、これまでに蓄積された優れた「ノウハウ」があるものと思われ、私のように頭と舌が固くなった老人も英語能力を向上させてくれるのではないかと期待しているところである。今後自らの教育体験を通じ、機会があればハーバードの語学教育について、別途一文を纏めてみたい。

私のクラスは15名で、トーマス先生(30歳後半の男性、白人)が担当だ。若禿で生真面目なタイプ。勿論、こちらがたじろぐ程の教育熱心な人物。私を含め二人の日本人のほか、ロシア、スイス、トルコ、メキシコ、ブラジル、韓国、中国と様々国からの受講者で構成されている。30歳前後の女性が多い。


■アメリカ合衆国憲法の読解が宿題に
アメリカの大学は宿題が多いとは聞いていたが、全くその通りだった。初日の宿題が「アメリカ合衆国憲法を読んで来なさい」というトーマス先生の指示で、憲法のコピーを渡された。

憲法を含む法律に関し、私は殆ど素人であり、これまであまり興味もなかった。しかし、宿題とは言え、アメリカ合衆国憲法の原文を渡され、これと向き合って見ると、次のような幾つかの理由でアメリカ合衆国憲法に興味が湧いてきた。

第一の理由。私の友人に小山正紀弁護士という方が居られ、会うたびに法律の話――といっても先生が担当された事案についての具体的で興味深い裏話など――を沢山聞かせていただいた。小山弁護士はよく「福山さん、法律は戦術と同じなんですよ。合理的・論理的に判断すれば良いようになっており、戦術が出来れば、法律も理解できますよ。そんなに難しいものではなく、やってみると存外面白いですよ」という言葉が頭の隅に残っていた。

因みに、小山弁護士は、反戦自衛官事件や海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船が東京湾内で衝突した事故などの自衛隊側弁護人を務められるなど自衛隊にとっての大功労者である。

第二の理由。私が6月にアメリカ到着後書き始めた「ハーバード見聞録」で早々に取り上げたテーマが「日本国憲法誕生秘話」で、日本占領直後の1948年、当時若干22歳のシロタという名のウクライナ系ユダヤ人のアメリカ人女性が日本の新憲法作りに参画した――という話であった。「日本に憲法を供与した(押し付けた)国――アメリカ―自体の憲法は一体どんなものだろう」という興味があった。

第三の理由。私のアメリカ留学の目的はいろいろあるが、少なくともアメリカという国そのものについて理解を深めることが大前提である。アメリカという国を理解する上で、アメリカ合衆国憲法に触れることは、けだし必ずや通らなければならない道だろうと思うに至った。

断っておくが、憲法や法律についてはズブの素人である私が、アメリカ合衆国憲法についての大論文を書こうなどと大それたことを思っている訳ではない。英語学習の教材として渡された憲法原文及びインターネットなどを通じ入手した資料などを読んで、その概要を理解し、限られた時間と情報の範囲内で、アメリカ合衆国憲法についての私なりの印象について書き止めて置きたい――という程度の軽い気持である。

■アメリカ合衆国憲法制定の背景と特色
英語教師トーマス先生は、アメリカ合衆国憲法制定の背景・特色などについて次のような説明をしてくれた。
 
「1776年英国から独立したアメリカは、たったの13個の州だけの連合体であった。当時のヨーロッパ諸国などとの国際関係で、より強力な中央政府の必要性を主張する保守派を中心に、独立から10年以上経った1787年9月17日フィラデルフィアのステートハウスで開かれた憲法制定会議で、アメリカ合衆国憲法が制定された。

この憲法は、各州の大幅な自治を認めながらも中央政府の権限を従来よりも強化する「連邦主義」のほか、「三権分立」、「硬性憲法(改正が困難な憲法)」という特色を持つ「世界最初の民主的な近代成文憲法」である。しかしこの憲法には「人権」に関する規定がなかったので、フランス憲法が制定された1791年に「修正10か条」(「権利章典」と呼ばれる)が追加されるなど現在までに26か条の修正が加えられている。」

■アメリカの成り立ちについての根本的特質
ハーバード大学のアーネスト・メイ教授は、アメリカ政府の国防・治安機関高官などを対象にしたハーバード大学主催の特別セミナー(8月21日~9月2日、筆者も特別枠で参加を認められた)において次のように述べた。

「アメリカは今も昔も世界の超大パワー(great world power)として振舞うようには作られていない。(The United States was not ---and is not ---designed to act as a great world power.)

その理由は、
①アメリカ合衆国憲法は、アメリカ政府を恐れている人々により書かれた
②アメリカ連邦政府のシステムは、力と権力を分散している
③国家レベルでは三権分立している(唯一の例外は大統領が三軍の最高司令官であること)
④上・下両院と大統領は多少異なるが、それぞれアメリカを代表している
⑤行政部門は内在する弱さを持っている(各省庁は大統領と議会の双方に責任を負う。多くの行政部門のトップクラスのポストは大統領の指名によるので、業務に未熟で、実務経験に乏しい)
である。

メイ教授が挙げたこれら5項目の理由はいずれも、アメリカ合衆国憲法に由来していると読み取れる。

■アメリカ合衆国憲法に書かれていない2か条の内容
これは、私の私見であるが、憲法には書かれていないものの、これまでアメリカの国際・国内における規範となってきたものが2か条あると思料する。

第一は「Manifest destiny」である。この意味は「アメリカの民主主義(インディアンを駆逐し黒人奴隷を認めた)は神意にかなっている」とするもので、アメリカ建国以来、その行動原理の根本であるといわれる。先のイラク戦争の「聖戦理論」の背景にもあると思われる。この行動原理は、英国から逃れたピューリタン「ピルグリム・ファーザーズ」により最初の植民地が開かれたのがアメリカ建国の起源にあることに由来しているものと思われる。

勿論、この考え方の背景には、アメリカの国教は「キリスト教新教(プロテスタント)」であるという言外の意味も込められているものと思う。
憲法制定会議の議長を務めたジョージワシントンは、「賢明で正直な人々に尊敬してもらえるような憲法を作ろうではないか。事の成り行きは神の御心にゆだねよう」と会議の冒頭で述べたという。この神にゆだねる気持こそがアメリカの行動原理「Manifesto Destiny 」表れではないだろうか。

第二は「WASP(White Anglo –Saxon Protestant )の優位性」である。ニューイングランドの植民地を拓き、憲法を起草した主人公達はピルグリム・ファーザーズの志を受け継いだ人々であり、彼らは紛れもなくWASPであった。

インディアンを駆逐して西に進み、その後、南部の綿花栽培の労働力としてアフリカの黒人を奴隷として導入した経緯を見れば納得できるのではないか。勿論、その後の憲法修正でこのような考え方を払拭しようと努めており、今日ではコーリン・パウエル将軍に続いてコンドリーザ・ライス女史が国務長官を務めるなど、大きな変化が実現しているのは確かである。また、今後アメリカは、アジア系やヒスパニック系などの著しい人口増加で、今後WASPの優位性はいっそう地盤沈下をするのは避けられないと見る向きが多い。

先日のハリケーン「カトリーナ」災害対処に際し人種差別論議が沸騰するような状況を見れば、あながち私の見方を暴論と看做し得ないものがあるのではなかろうか。

■アメリカ合衆国憲法の年輪
アメリカ合衆国憲法は制定以来、今年で218年を迎えるが、超大国アメリカ、世界の民主主義の盟主アメリカを支える支柱として聊かも「制度疲労」は見られないようだ。それはアメリカがそれぞれの時代に必要な憲法修正を行ってきたからだ。アメリカ合衆国憲法の修正にあったっては厳重な手続きが必要であり、硬性憲法に属するとされるが、既に述べたようにアメリカは国内外情勢の変化を踏まえ、現在までに26か条の修正が加えられている。

例えば有名なものとしては、既に触れたが、1789年のフランス革命勃発後のフランス憲法制定(17891年、人権宣言採用)に合わせて1791年には「修正10か条(権利章典)」が、また南北戦争(1861~65年)直後の1865年12月には修正第13条「奴隷制度の廃止」が、さらにキング牧師(公民権運動指導)暗殺(1968年)後の1970年3月には修正第15条「黒人の選挙権」が修正されている。

このようにアメリカ合衆国憲法の修正はアメリカという国の生成・発展と共にまるで年輪を重ねるように増加している。

翻って、我が国の日本国憲法は制定後半世紀以上も「一指も触れられる事無く」、マッカーサーから頂いたそのままで今日に至っている。「『反米を信条』とする左翼の政党・人士・マスコミ」がアメリカからの押し付け憲法であるにも拘らず、「護憲、護憲」と叫んでいる。この様を見ると「この人たちは半世紀以上も思考停止しているのではないのか」あるいは「日本人ということに誇りと自信がないから、他国からもらったものを『天与の宝』のように有難がっているのではないか」と、本当に不思議に思えるのは私だけだろうか。

■アメリカ軍に関する記述
アメリカ軍に関するものを拾って見ると、以下の記述が見える。

・第1条第8節(連邦議会の権限)
(11)戦争の宣言
(12)陸軍を徴募しこれを維持すること
(13)海軍を具備しこれを維持すること
(14)陸海軍の統括と規律に関する規則を定めること
(16)民兵の編成、武装及び規律、ならびに合衆国の軍務に服する民兵の一部についての統括についての規定を設けること(以下略)

・第2条第2節(大統領の権限)
 大統領は合衆国の陸海軍と、合衆国の軍務に服する為に召集された各州の民兵の最高司令官となる(以下略)

このようにアメリカ軍については「憲法」にしっかり規定されている。一方、日本国憲法においては、自衛隊について憲法に明確な規定が無いばかりか、字面どおり読めば「違憲」とさえ解される文言になっている。人間にとって「背骨の歪みが万病の元」であるように、自衛隊の憲法上の「歪み」は、自衛隊の「万病の元」であり、アメリカ軍同様明確な憲法規定が何としても必要であろう。

またアメリカ合衆国憲法でさえ、議会と大統領の権限については不明確なところもあり、細部権限をどちらが持つかについては、過去両者の間で振り子のように行き来してきた模様(大統領が圧倒的に優勢)。やはり憲法はどこの国のものでも曖昧さがあるものだと実感した。

ベトナム戦争において、政府と軍が、議会と世論の意向を無視して、泥沼の兵力投入に陥ったという苦い反省から、議会は1973年に戦争権限法という法律を成立させ、大統領の軍事力行使を制限する力を議会に与えている。戦争権限法では、宣戦布告は議会の権限となっており、宣戦布告なしに、大統領が軍に戦闘行為を命じた場合には、48時間以内に議会に報告し、60日以内に議会による法的承認がなければ、大統領は兵力を撤収しなくてはならない。

余談だが、宿題で付与されたアメリカ合衆国憲法の原文を見る限り、空軍及び海兵隊についての記述は見当たらない。因みに、空軍は第二次世界大戦直後1947年9月18日に創設されている。

■アメリカ合衆国憲法の前文の印象
日本国憲法の前文には「諸国民との協和」、「人類普遍の原理」、「恒久の平和」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」「全世界の国民」などの言葉が並べられており、敗戦に打ちひしがれた当時の日本人の心理状態とは程遠い感じがするのは否めない。

むしろ戦勝の余韻に浸るアメリカ軍人たち(連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のなかで占領政策の中心を担ったの民政局が日本国憲法制定過程へ関与)が、「Manifest Destiny」――日本の「八紘一宇」に相当――というアメリカの信条を、日本を降伏させることで実現し得た喜びに浸り、高揚した感情が憲法前文全体の中に垣間見えるような気がする。

これに比べ、アメリカ合衆国憲法前文は、次の通り至ってシンプルなもので、日本国憲法前文のように長文で大上段に振りかぶったものではない。

「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的を持って、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する」
 
日本国憲法前文の文字数の五分の一程度の極めて簡素なもので、「13個の州よりなる連邦」という視点から見たもので、「世界」や「人類」という日本国憲法前文に出てくる言葉は無い。

■憲法とは何だろうか
世界を支配する超大国アメリカの憲法は一体どんなものか。きっと格調高く、アメリカ国内のみならず世界を視野に置いた複雑な長文の憲法だろうと思っていた私だが、この予想は見事にはずされた。

218年前に書かれた憲法は実に素朴で単純・具体的なものに見える。素朴で具体的な例として言えば「大統領就任時の宣誓の『セリフ』」まで書き込まれている。
 
「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを厳粛に誓います( I do solemnly swear(or affirm) that I faithfully execute the Office of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States. )」

このアメリカ合衆国憲法に書かれた「大統領就任時の宣誓の『セリフ』」は、高校時代、ケネディが聖書の上に左手を置き、右手を挙げて就任演説の直前に宣誓をした場面を何回もテレビやテープレコーダーで見聞きしたが、「あの言葉」そのものだった。ケネディの場合はこの後「 So, Help me God 」と付け加えた。

私流に言わせて頂けば、「幼児」の如き植民地時代に書かれたアメリカ合衆国憲法は「世界一の巨人」に成長した今日のアメリカにとって謂わば「三つ子の魂」のようなものではなかろうか。

「三つ子の魂百まで」の諺のように、200年以上も前、いまだ「13個しかなかった州」を纏めるため作られたアメリカ合衆国憲法が今日の「世界の超大国アメリカ」を実質的に方向付けている。

自民党・小泉政権が大勝利する中、日本国憲法の改正論議がようやく緒に就くことが期待される今日、我々日本人は、200年以上も前に行われた草創期のアメリカ人たちの素朴で誠実な起草作業にいささかの教訓を見出すことが出来るかもしれない。

アメリカ合衆国憲法を読んで思ったのは、「憲法はそれぞれの国の置かれた歴史と現実の国内外情勢に立脚し「国の背丈」に合うものであるべきで、国民の心のこもった手作りで無ければならない」――ということだ。夢想に等しい理想を目指すような背伸びしたものではいけない。さらに言えば、「完全(無謬)な憲法などありえない。時代に従い、必要があれば年輪を重ねるように少しずつ修正すればよい。「不磨の大典」にすべきではない」とも思った。

【追記】
 今次コロナへの対応や、牙をむいて襲い掛かろうとする中国や核ミサイルの開発・装備之奔狂する北朝鮮を見ると、現行憲法の制度疲労はいよいよ明らかだ。

 我々は、左翼政党やメディアが主張するように憲法を守って夥しい犠牲を払うか、憲法を改正して生き残りを図るかという「待ったなし」の二者択一を迫られる歴史的な関頭に立っている。

岸田政権は「安保3文書の改定」を契機に防衛政策を大幅に転換した。本来は憲法改正が先にあるべきであるが。防衛政策の大転換は、必然的に、今後、憲法改正は遅まきながら進むのではあるまいか。期待したい。


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