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陰謀論と世界平和

 ケネディ暗殺以降まことしやかに囁かれる数多の陰謀論の言いたいこととは、社会システムの歪みの原因は特定の個人や集団の陰謀により生み出されたものであるということ。確かに今の社会において理不尽な不幸を生み出す構造が多見されることは事実であり、またおそらく陰謀自体もいくつかあるのであろう。事実を正しく認識することでしか問題を解決する手段を講じることは不可能であるから、社会構造の根本問題が陰謀により画策されたものであるのであれば、陰謀論を読み解かずに世界平和は訪れないとも言えるわけである。その意味で陰謀論を読み解こうとする行為や、メディアや権威の語らない真実が開示されることは今後の社会にとって必要不可欠なものとなるであろう。

 しかしながら、社会というのは常に循環の中で変容してゆくものであるから、たとえ発端が一つの陰謀であったとしても、陰謀を明るみに出し粛清することだけでは解決ができなくなっている問題がほとんどではなかろうか。そのため、「事実誤認は正しい解決法を生み出さない」と躍起になる陰謀論者の多くの勘違いは、「不正を働く当人さえ粛清できれば世界は平和になる」と考えていることにあるということになる。更に言えば、陰謀論を語る場合に、その向こう側に描く目的が自らの人生の失敗に対する言い訳とそれに対する復讐心からでしかない場合が多く、他者に陰謀論そのものの正当性を検証してもらう以前に門前払いを食らう場合が多々あるということである。それらの陰謀論者側の問題によって、公な情報操作が関与せずとも陰謀論という真実が広まらないという構造を作り上げている様は、まさしく陰謀を仕掛ける側の思う壺といったところである。Qanonの活動などはまさしく支配者が仕向けた「陰謀論」に他ならないものと成り下がっている。

 様々な陰謀論が展開されているが、(現在ではカバールと呼ばれる方がメジャーなようだが)イルミナティが生み出した金融支配の構造が世の中の歪みの根源であり、金融支配の崩壊こそが世界再建の要であるという見方に対して言及するならば、陰謀の有無は別としても金融による支配は世界秩序を良からぬ方向に固定していると言えることは事実である。金融経済と併せ資本主義がゆきすぎることによって生み出される諸問題の本質は、人々の価値基準を、貨幣が決定してしまっているということにある。本来の「平和で豊かな世界」を目指す価値基準と、より多くのお金を生み出すものが価値の高いものであるという拝金思想の間に、ズレが生じていることが最大の歪みであると考える。その意味で、金融支配構造が変革されるときには、貨幣もしくはそれに変わるものとしてのお金によって生み出される価値基準が変容することに他ならないというわけである。おそらく、現状の金融支配構造に対して真っ向から対立することは、金額が力を表すこの資本主義経済においては不可能であるだろう。あらゆる行動力が「お金」にすり替えられることで、人々は本来の行動力、エネルギーを奪われているという言い方もできる。そして社会を完全に破壊することで再建するという行為により、歴史の産物を全て否定するほどにはこれまでの人類の歩んだ道が無駄なものではないだろう。

 支配というものの本質が、搾取と不安による(被支配層内部での)対立であると捉えるのであれば、不正をただし搾取を終わらせることの本質は対立を避けることであろう。現代は社会構造から生み出される恒常的な不安に支配された人間が多いが、その不安の解消としての無駄な情報発信や怒りの矛先を探すべく論じられる政治批判や陰謀論などは、世の不正を正すものとはなり得ない。「権力者」による純粋な善行があったとしても否定しかねない。もちろん真実を知ろうとする行為は、権力に対する大衆からの監視作用であり、「社会の自浄作用」であるために大変重要なものであるのだが。
 支配構造における、「やられたらやり返す」精神の上では、対立により新たな支配者が登場するだけであるということを肝に銘じ、陰謀を仕掛けた当人こそ、自らの生み出した社会の歪みの最大の被害者であるという考え方こそ、陰謀論の向こう側に描く理想の世界を創り上げる精神性なのかもしれない。
 その上でなによりも、不正が正された後の世界、展開されるべきであった本来の社会構造というものについて議論し導き出すことこそが、この世の中を修正するということであり、陰謀を終わらせるための行動なのではないだろうか。

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