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はじめは無闇矢鱈から

こんにちは。
スポーツメンタルコーチの福岡正一です。

2/4は出張の帰りに横浜国際プールで行われた、Bリーグ、横浜ビー・コルセアーズ‐千葉ジェッツの試合を視察してきました。1Qから両チームシュートの打ち合いで、特に序盤は横浜の3ポイントが次々に決まり「もしかしたら?」と思わせてくれる終始観てる者を飽きさせないアグレッシブな試合でした。そう言った彼らが積極的に打っていたシュートを見ながら感じたことを言葉にしてみたいと思います。


無闇矢鱈にシュートを打っても意味がない!
無闇矢鱈に練習しても意味がない!


という声が日常では聞こえてくる時もよくあるのではないでしょうか。僕もよく言われていましたね。僕は野球をやっていましたから初球からの好球必打、ギリギリを狙った走塁、ダイビングキャッチなどは成功したら褒められ、失敗したら「何しよるか!」となりその繰り返しが成長の礎となったわけです。質と量の話にもなると思いますが、国語的には正論ですよね。特に結果論に重きを置きパターンにはめたがる昨今の日本ではよくあるシーンではないでしょうか。


感覚を養う

まず、プレイヤー側からの視点ですが、本人がどういう意識をもってプレイしているかが重要で、「無闇矢鱈にシュートを打っても意味がない!」と言うのは周囲からはそう見えているだけの話なんですね。人が何と言おうと地に足をつけ目的意識を持ってシュートを打ち続ければいいわけです。シュートの数が増えると必然的に成功率も失敗率も増えます。同じく賞賛や批判も増えていきます。すなわち成功と失敗という結果の確率はいつでも50-50なんですね。シュートが決まった決まらなかったの数ではなく、シュートを打ったら成功、打たなかったら失敗なんです。シュートの機会に対する数の感覚を覚えることが大切でその感覚こそが名選手と並の選手の大きな差になるんですね。何事でも機会を損なうことは一生残ります。特に後者の場合は目先の結果ばかり気にしていますから「無闇矢鱈にシュートを打つな!」の声を気にしすぎたり、やがては使ってもらえないから辞めたいと悪いスパイラルに陥って抜け出せなくなります。


そして質を上げる

地に足をつけしっかりとした目的意識を持ってシュートを打ち続けていくと成功率が上がっていきます。大切なのはシュートが決まったことだけで終わるのではなく、体の感覚で覚えさせます。シュートを打った時の体の感覚。距離や態勢、角度、体調によて姿勢や力の入れ具合は変わります。他に相手のレベルによってもその感覚は数えきれないくらいのパターンがありますので、これらを脳にインプットするのではなく体に染み込ませることがメンタルトレーニングでは重要になります。そうしていくうちに上手くいかなかった試合での周囲の反響も含めて楽しめるようになるでしょう。いいも悪いも反響があるということは注目されているわけですからね。


スポーツメンタルで1番重要なのは体力

無闇矢鱈に練習しても意味がない?

無闇矢鱈ってなんでしょう。何も考えず数だけをこなすとか、そんな感じでしょうか。僕は野球の審判を3,000試合以上やっていて、実力ではなく体力で勝敗を決した試合をかなりの数見てきました。がっぷり四つの試合展開でバテて負けるというのは結構悔しいんです。高校野球であれば真夏に開催されますので、やはりランニングなど、野球以外の体力強化も必要になってきますので、一見、無闇矢鱈に見える練習方法も、技術の向上や体力強化に関する体に染み込ませる反復練習はスポーツ的な古い脳が活性化され基礎となりスポーツのあらゆるシーンで好結果に反映されるというのが僕の考えです。基礎体力があって初めて最新の科学トレーニング(新しい脳)が活かされるわけで、たとえ古式の手法であっても高いレベルで結果を出したければ無闇矢鱈に否定するのではなく必要に応じて取り組めることも多いのではないでしょうか。


環境も大切

では、指導者の方へ

無闇矢鱈にシュートを打っても意味がない!
無闇矢鱈に練習しても意味がない!


本質的には正しいと思います。ただ、このフレーズを浴びる選手たちにとっては感じ方も色々です。その感覚がわかる選手は、シュートの回数を重ねながら、反復練習を重ねながら、それらの言葉を意味のある行動に変える力があります。一方、受け取った言葉を意味のある行動に変える感覚がわからない選手も多く、「どんどんシュートを打て!」「無闇矢鱈にシュートを打つな!」という言葉を別々に捉えられず、「どっちをすればいいの?」となってしまい、指導者は愛情と責任感のあまりそれに付き合ってしまい、選手側も「意味が分からない」「のびのびできない」となり、これまた負のスパイラルに陥り抜け出せなくなってしまいます。愛情を注ぎ伝わるまで伝えるというパッションには僕も同意です。ただ、選手それぞれが持っている受け取り方は、それまでに生きてきた環境や教育、親の口出しなどが影響しているものであり指導者のせいでないことの方が多いんですね。そういった選手には出来る出来ないの目の前の結果を見るのではなく、「何を為そうとして何を為したのか」を見てあげると言う安心な環境を作ることが賢明です。

「今日はたくさんシュートを打てたね、だんだん決まるようになるよ!」

シュートの数を増やして得点力をアップすることを為そうとして、結果としてシュートが決まらなく得点力が上がらなかったとしても、本番で物怖じしなくなったことを為したという視点で成長を見てあげれば次の試合でもまた起用したくなるんですね。そうすることでわかる選手よりワンクッション、ツークッション遅れて結果も出てくるわけです。


もっと生々しく野生的に!

序列やパターンからはみ出すと「おかしい」と言われ「みんな一緒に」を摺りこみ、怒っちゃダメだとか表面だけのきれいな言葉しか発してはいけない世の中へ変わっていく日本。その反面、高いレベルで結果を出し続けているスポーツ選手をはじめ、トップ経営者、トップのエンターティナー、いいものを追及する芸術家、トップの国会議員、大手術を繰り返す外科医などなど、きれいな言葉だけでは表現できない生々しい場面を、類稀な努力や精神力とポイ捨てされる覚悟で野生的に乗り越えてきたハイパフォーマーたちはかなりの葛藤を抱えています。まずはそう言った自身の生々しく野生的な葛藤を正直に受け止めることでスタートラインに立つことができます。そうすると心の奥から純粋に競技に取り組むことができ、自然体でポジティブな行動や言動として表現されていくでしょう。ほとんどのハイパフォーマーは物事を始めるときには無闇矢鱈から入っています。その中には結果的に意味がなく無駄と思われる時間もあったでしょう。ただ、それらの人たちに共通して言えるのは無闇矢鱈で得た無駄を学びに変える力を持っているということです。体力や技術が体に浸透し「来た球を打つ」「開いてたからシュートを打つ」という野生的にのびのびとプレーできるようになるために、まずはあれこれ選ばず、何事も拒まずに取り組む姿勢が将来を左右することになるでしょう。

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