サンタ・クルス島|ガラパゴス旅日記
マーベル号は、サンタ・クルス島のプエルト・アヨラ港から出航する(プエルトはポート、つまり港なので、ほんとうは「アヨラ港」といえばよい)。
マーベル号の正式名称は、クイーン・マーベル。女王陛下の船である。まがりなりにも、H.M.S.(Her Majesty's Ship)ビーグルの向こうを張った名前である。いいねえ。
私は、重たいスーツケースともうひとつ小型のキャリーケースを引きずって桟橋まで歩いていった。昼間なら食堂や土産物屋などで賑わっているはずの港も夜はしんとしていた。
スーツケースには何が入っているのか。今回の旅において、私はかなり入念な準備をしてきた。というのも、この前の年(2019年)、私は台湾の南の孤島、紅頭嶼《蘭嶼》にコウトウキシタアゲハという希少な蝶を探しに出かけたのだが、ちょっとした登山だったにもかかわらず、わりと軽装備で出かけたため、泥だらけ、汗だく、疲労困憊してしまったのだった。その理由のひとつは、私が、一昔前の山歩きの服装をしていたからだった。その反省に立って今回は装備を新調することにしたのだ。
アウトドア用品の進化はすごい。速乾性のシャツ、パンツ、下着。軽くてグリップのよい登山靴、通気性がよいにもかかわらず、すばらしい防水力を発揮する雨具、便利な防水バッグ、そういったギアがいくらでも登場していることを知った。そこで、モンベルやフェニックスやフォックスファイヤーといったメーカーに(多額の)お金を払って、最新の装備を揃えた。実際、軽くて、すぐ乾く服を着ていることによって、快適さや疲労が大幅に違うのだった。誰だって、湿った服を次の日も着るのはいやなもの。それがあっという間に乾いてしまうのだ。
(念のために申し添えれば、今回の旅の外枠の費用(渡航費・取材費)は出版社が持ってくれたのだが、このような個人装備はすべて自己負担である。)
とどのつまり、私は、ナチュラリストを自任しているものの、その実際は、都会のファッションで着飾った、即席ナチュラリストなのだった。それは終始、寡黙なガラパゴスのネイチャー・ガイド、チャピさんの立ち居振る舞いとシンプルな装備とを比べてみれば一目瞭然だった。そのことについてはまた詳しく、自己批判を込めて述べたい。
その他、私はこまごまとした荷物を持っていった。ガラパゴスに関する本、資料、ダーウィンの『ビーグル号航海記』『種の起源』(どちらも分厚い)。MacBook 、電源、記録用のノート類、筆記用具、遠近のメガネ、携帯用の顕微鏡、サンプルを回収するための試験管、ピンセットやスライドグラス、解剖用具などなど。
それからもしかしてチャンスがあるかもしれないと思って、蝶をとるための捕虫ネット(志賀昆虫普及社製)、釣具一式なども入れていった。これは実際のところ、ほんとうに「お荷物」になってしまった。というのも、ガラパゴスの自然保護規制は殊の外厳しく、ネイチャー・ガイドも終始同行しているため、虫とりや魚釣りをするなんてことは絶対許されるはずがなかったのだ。
参考までに、携行品リストを以下に掲げる。
そんな装備を満載してパンパンに膨れ上がったスーツケースとキャリーケースとともに桟橋に着くと、そこに待っていたのは、マーベル号ではなく、小さな青い、1艘のゴムボートなのだった。
これはあとになって知ったことだが、ガラパゴスの島々のほとんどの港は自然の入り江をそのまま利用したものなので、船が着けるほど十分な水深がない。そこで船舶は小型のものであっても湾内の、比較的水深があるところに停泊し、接岸には、ゴムボートやはしけ(小船)が使われる。そのゴムボートが横付けできる桟橋があること自体が、実は贅沢なことであることも、すぐにわかることになる(別項「波を読む――ウェット・ランディングの心得」参照)。
私は船員さんの助けを借りて、スーツケースとキャリーケースをボートに乗せ、ついで桟橋からボートに飛び乗った。もし誰かに見られていたら、もう、旅の最初の第一歩からあぶなっかしかったはず。乗員全員をマーベル号に運ぶためにはゴムボートは二往復する必要があった。
ゴムボートには小型の船外機エンジンがついていて、船員さんはそれを巧みに操って湾内を進んでいった。向こうにマーベル号の白い船体が近づいてきた。ドリトル先生のカーリュー号もきっとこんな船だったに違いない。私のガラパゴスの旅は、このマーベル号とともに始まった。
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生命海流|GALAPAGOS
ガラパゴス諸島を探検したダーウィンの航路を忠実にたどる旅をしたい、という私の生涯の夢がついに実現しました。実際に行ってみると、ガラパゴスは…
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