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キャリアの方向性より人間関係だったり

みなさん お暑うございますね。こんな毎日だと外に行くことが億劫になってしまいます。コロナで行動範囲も狭まって、やや引きこもり気味な状態。
3連休くらい身体を動かさなきゃなんて思うけれど…涼しい部屋でこうやって記事を書いてます。2級技能士、国キャリと試験も続いております。私もロールプレイの練習のお手伝いをしておりますが、未だに学ぶ事だらけ、まだまだ。と思う毎日です。
さてと、続きを。

退職理由の大半は人間関係

あれこれ煽てられて着用した下着は70万。取り囲まれて説得されたが本当にお金もなく…会社にいる限りは美人先輩との関係性もあるので、その場では考えさせてほしいと即決せず。帰りも車で送ってくれたが二人がかりですごく良いものなのになぜ迷う?と説得。なぜYESと言わないのか。と問われ。アレコレと理由を話したら。「あら、案外しっかりしてるのね」と。心をなくした菩薩のような表情で私を見下ろした。なんとか角を立てずに断る言い方はないかと一晩悩みに悩んで、言葉を考え、恐る恐る下着を拡販するビジネスのことは「私ではお役に立てそうにない」と丁重にお断りした。それから徐々に嫌な空気が立ちこめるのである。

行き場を失う

ちょうど少し前から自分のキャリアの方向性で悩んでいた。会社も合併する方向に舵を切り始めていた。時代の流れで私が専任としている商品一つが製造中止となり、自分のキャリアを次の新技術領域へとシフトしたかった…が、その部署にはその美人先輩が居て躊躇してしまう。そうこうしている内に他部署からお偉いさんの甥っ子が異動。そして、その女性のお気に入りの後輩も異動。これは本人キャリアの方向性ではなく、社内営業力なんだな…と。キャリアの方向性として行きたい部署への可能性がなくなった。そんな時に上司からも対処療法的にルート営業の打診が。話を聴くだけでいいから。と打診してきた。全く自分が思い描く方向性と違う…でも、会社員は命令にはあらがえないと思っているわけで。とりあえずは「はい…」と返事した。今思うとこれも何かの役には立っていたのかもしれない。

壁に耳あり

そんな中、私が仕事をしていた部屋に別部門の係長が激高して飛び込んできた。「おまえは、先輩悪口を言ってるのか。一体どういうつもりだ!何様だ!」って。※先輩とは、業務時間内に私用で抜けてる先輩のこと。

急に何のことを言われているか分からなかったが身に覚えのないことだったので「私はそんなことは言ってません」と伝えたが、怒りが収まらず、沢山の言葉を私にぶつけて去って行った。

その話の全容はこういった感じ。
氷河期世代の私の後には後輩が6年入らず、仕事も増える中、お茶出し茶碗洗い掃除などの雑用はそのまま継続。同僚に胸の内を聴いてもらっていた「先輩が業務時間内に私用をしている。そんなことをしているなら仕事をフォローしてほしい。どうしたらいいだろう…」という主旨の話。私用といっても家庭の事情とかではなく、次ハワイ旅行に行くためのワンピースを買いに会社を抜けたりして。私としては、鳴り止まない電話の一つでも取ってほしいと思っていた。ぶっちゃけ同僚にもフォローしてほしい気持ちもあった。※ここからはこの先輩をハワイ先輩と呼ぶ

この話をどこかで聞いた美人先輩が「ハワイ先輩の悪口を私が言っている」と課長に言ったのだ。そこから係長に話が降りたのだろう。係長が怒鳴り込んで来た日は、同僚は休んでおり、その件を報告したら「なんで知ってるんだろうね。まぁ課長に話すなら頑張ってね~」ってまるで他人事だった。唯一気持ちを分かってくれる同僚だと思っていたのは私の勘違いだったのか…と感じた。でもどこかで今日は休んでいるからこのゴタゴタが分からないからだよねっ。。て思うようにした。

本気の悩みは愚痴扱い

私は誤解を解こうと課長に話しに行ったが、課長は話をまともに聞いてくれることもなく、ただの愚痴と捉え「人のことの気にせず仕事をしろ」として、話は終了した。どこからこうなったのかというのはいったん置いておくとして、この世のいろんな思惑の渦のようなものを感じた。そして誰も信用できなくなった。私は味方がいないんだと。悲しかった悲しかった本当に悲しかった。係長が怒鳴り込んできてから仕事と相まって1日ゴタゴタして、心がしんどい状態が続いていた。自宅ドアを開けた瞬間緊張が途切れ、その場で泣き崩れた。そして私はこんな誰にも話しも聞いてもらえないような信頼されないような時間を過ごしてきたのか?ただただ真面目にやってきたのに何が悪かったか。。。私が何か悪いことをしたのか?と。自分を責め、人を責め、ままならない感情の中で過ごした。

ギックリ腰で退職

もう誰も信じられない…毎日のタスクをこなして、感情にフォーカスせず過ごす。その繰り返しでロボットのような毎日だった。ある日、疲労が蓄積していたのがぎっくり腰をしてしまった。まさに姿勢もロボットになった(笑)そんなロボット状態が数日続いて、ふとフロア全体を見渡した時に「私はもう居場所がない。行きたい部署もない。」という気持ちがワッとわいてきて、そう思った瞬間、立ち上がって、上司「辞意」を伝えた。腰が落ち着くまで休養をしては?と打診を受けたが、腰は引き金なだけで、本当はそんな事が理由ではない。もはやキャリアの方向性も見失い、私の言い分も聞いてもらえないところにいる意味が無かった。何十人もいるオフィスで孤独感にさいなまれているだけだった。

あれから20年

退職して心の傷が思い出になって来たように思えて、20年ぶりにOB会に参加して、その当時の上司たちとも再会したが「急にやめたもんね」と。表向きは「ギックリ腰」で退職なのだ。たかだかぎっくり腰なのだ。安易なのだ。
若気の至りなのだ。でもその奥に隠れた強烈な孤独感。悪者に仕立て上げられた孤立感。未だ「本当は?」みたいな事を聞く人もいない。でも、そんなものなのだ。それでいいのだ。と今なら思う。ただの一方的な期待感で自演自作で苦しんでいた。だからこそ自分の思い描くように自分を大事に生きたらいいと思う。

今思うと…は、沢山あるけれども。その時の決断はその時の精一杯考えた最善。諸行無常、悲喜交交、、

私は今、その時の自分にこんな人が居たら良かった。あの時の私を投影しているのかもしれないが…孤独感や絶望的な気持ちに寄り添える人に。まずは身近な人から。そして、痛みを昇華できるような。そんなキャリアコンサルタントであることを目指している。

続きはまたいつか。

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