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六月について(父と父の日とオートバイ)

今年も六月になった。
六月には父の日がある。
母の日と比べて父の日はマイナーだと思う。
いけない、いけない。
今年はネガティブな言葉は使わないように決めたばかりだ。
言い直す。
母の日と比べて父の日はメジャーではない(同じか)
父の日は、母の日があるから付けたしのような気がする。
バレンタインデーの付けたしにホワイトデーがあるように。
きっと、母の日があるのに、なぜ父の日は無いのか!と全国父組合が国に要望したに違いない。

兎にも角にも今年も父の日がある六月を迎えた。
しかし13年前を最後に、私のカレンダーには父の日は無くなった。
その替わりに翌年から、父の命日が増えた。

今あらためて振り返ると、我が家では父の日はそれほど重要視されていなかった。
何故なら父の誕生月が六月だったからだ。
誕生日には、前倒しで父の日と兼ねています。
とか、
父の日には、後ろ倒しで誕生日と兼ねています。
と言うのが我が家の暗黙の了解だったような気がする。
だからといって、スネるような父では無かった。
(というか、そんな事でどこの家庭のお父さんもスネないだろう)
そんな六月、こんな事があった。
それは私が二十歳の時である。
私は進学の為に遠く故郷を離れていて、その年は父の日に帰省して家族でお祝いという段取りになった。
その時、父に何をプレゼントしたかは覚えていない。
ただ、その日の事はよく覚えている。
私は夜明けとともに下宿先を発ち実家に向かった。
買ったばかりのバイクに乗って。
ひとり暮らしをいい事に、勝手に免許を取得してアルバイトで貯めたお金で勝手に両親には内緒でバイクを買った。
バイクで帰ったら驚くだろうなぁ。
私はワクワクしながらアクセルを回した。
家の前に到着すると両親は案の定、驚いた表情で出てきた。
その時初めて事の経緯を説明すると、父は何も言わず家に入った。
母は取り敢えず家の中に入りなさいと私を促した。
その時、父が再び玄関から登場し、私からヘルメットとキーを奪ったかと思うと、早業で私のバイクにまたがりエンジンを掛けて走り去ってしまった。
私も母も啞然である。
取り敢えず家に入ると母は「信じられない、信じられない」と言って私に怒りの背を向けた。
多分、それくらいだったと思うが、15分後くらいに父は戻ってきて満面の笑顔で言ったんだ
「いいオートバイだなぁ」
その日、母は終日プリプリに怒っていた。
翌日も怒りは収まっていなかった。
父の誕生日兼、父の日だというのに。
一方の父は、終日ご機嫌さんだった。
父もバイクに乗っていたこと、当時は車の免許を取得したら、もれなく二輪の限定解除の資格も得られたことなど、こっそり語ってくれた。
下宿先に戻ってからが面倒だった。
心配性の母から毎日のように生存確認の電話が入った。

父が癌によって、この世からいなくなった時、初めて父の若い頃のアルバムを母と見た。
アルバムからバイクの写真が数枚出てきた。
そして、あの日の事を思い出したように母は話を始めた。
父もバイクが好きだったが、母の要望で結婚を機に乗るのをやめたこと。
後にも先にも母との約束を破ったのは、あれ一回であったこと。
甘えん坊で軟弱な次男が、アルバイトしてお金を稼いでバイクで帰ってきて少し逞しく感じたこと。
血の繋がりを感じて嬉しかった、とも言っていたこと。
母に頼んで一枚だけ父のバイクの写真を貰った。

本日は父の誕生日である。
生きていたら何歳だろう。とか色々と考える。
まだ甘えん坊で軟弱な次男だけど、あれから今日までのこと、色々と話をしたいなぁ。
とりあえず父さん、お誕生日おめでとう。

父のオートバイ。何か諸々カッコいい

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