南方熊楠が粘菌を使って思考する自動人形を生み出し、江戸川乱歩や宮沢賢治、石原莞爾とかと出会ったりする─『ヒト夜の永い夢』

紀伊の生みし知の巨人、南方熊楠。彼と昭和考幽学会の出会いが、粘菌の宿った美しき自動人形を誕生させる。

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南方熊楠と聞くとろくに勉強したこともないのに、なぜだかがっしりした体格、性格はまさに豪放磊落といった、豪傑を思い浮かべる。このイメージはどこから生まれたものなのだろうか。
しかしながら本書に登場する南方熊楠も、僕の勝手なイメージ像にまさに合致する人物であり、その点でキャラクターとしての存在感を強烈に醸し出している。


本書は、南方熊楠が思考する粘菌を生み出し、それを用いて思考する自動人形「天皇機関」をつくり、江戸川乱歩や宮沢賢治と出会い、やがて二・二六事件へ身を投じたりと、天下無双のごとく昭和を駆け巡ってく伝奇SFだ。

登場するのも福来友吉、北一輝、石原莞爾、孫文などなどこれまた濃い登場人物たちなのだが、すべて実在の人物である。
南方熊楠と孫文に交流があったことなど、巧妙に史実が挟まれ、現実とフィクションの境目を上手く混在させている。

(そして、粘菌型コンピュータというのも実際に研究されているらしい)

歴史上の人物たちの掛け合いが子気味よく、すらすらと楽しく読める本なので、ぜひおすすめしたい。


本書で語り手である南方熊楠はよく「夢」を見る。そして、「夢」についての思索を巡らす。
著者の柴田勝家のデビュー作である「ニルヤの島」は、人生のあらゆるものがライフログとして記録・再生できるようになり、「死後の世界」が否定された未来を描くSF小説。そこでは、「死」や「死後の世界」についての思索がなされている。

「夢」や「死後の世界」は「別の世界」と言えるのかもしれない。
「別の世界」というよりは「可能性世界」といったほうがいいのだろうか。そして、無限にも近いバリエーションがある「可能世界」から、たまたまわたしたちが認識できているのが今生きているこの世界である。
つまり、「夢」や「死後の世界」とは「別の世界」を認識することではないか。
そういえば、建築計画学者・吉武泰水が書いた『夢の場所、夢の記憶』では「眠る」とは「死」になぞらえることができるものではなないかと書かれていた。「夢」と「死」はつながっているのだ。


粘菌コンピュータで思考する自動人形の話から、なぜ「別の世界」の話へつながるか。
人間とはまったく異なる思考体系を持つ知性が生まれることで、世界への認識の在り方が多様化する。すると、別の知性が見た世界がわたしたち人間に伝えられる時代がやってくるのかもしれない。
そして、もしかしたらそれらはわたしたちが「夢」で見るようなものかもしれない。

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