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写真とは?カメラとは?─『新写真論』

もしかしたら写真は人間を必要としなくなるのではないか

写真は激変のまっただ中にある。
「写真」という用語をあらためなければいけないとすら思っている。
これはスマートフォンとSNSによってもたらされた。
その象徴が自撮りだ。−−「はじめに」より

スマートフォンは写真を変えた。
だれもがカメラを持ち歩き、写真家は要らなくなった。
すべての写真がクラウドにアップされ、写真屋も要らなくなった。
写真の増殖にひとの手は要らなくなり、ひとは顔ばかりをシェアするようになった。

自撮りからドローン、ウェアラブルから顔認証、
ラスベガスのテロから香港のデモまで、
写真を変えるあらゆる話題を横断し、工場写真の第一人者がたどり着いた
圧倒的にスリリングな人間=顔=写真論!

***

スマートフォンの普及により、誰もが写真を撮るようになった。写真は膨大な数となり、人びとはそれぞれに注視することはない。
写真はかつて「覗き込んでシャッターを押して撮る」、極端に言えば1回性のものだったけど、今や覗き込む必要もなくなった。そして、今のカメラは同時に撮った複数枚を合成して画を生成するので「瞬間を捉えた」ものですらない。
何なら自動シャッター機能を持つライフログカメラが登場したことによって、カメラには人間さえいらなくなるとまで著者は言ってしまう。

その時、逆説的にカメラとは何か?写真とは何か?という問いが生まれる。たとえば、レンズ焦点がないスマホのカメラでなぜ周りをボケさせる「ピント」の機能が必要なのか、被写界深度が必要なのか。それはそっちの方が「エモい」からだ。では、なぜ周りをボケさせるとエモいのだろうか。それももしかしたら慣習的なものなのかもしれない。
このようにスマホに搭載されたカメラは既存のカメラという構造についての新たな気づきを与えてくれる。

本書の各章はそうした気づきが積み重ねられ、かなり読み応えのあるものとなっている。もしかしたらここに「仮想カメラとは何者か?」という問いも今後入ってくるかもしれない。

01 スクリーンショットとパノラマ写真
02 自撮りの写真論
03 幽霊化するカメラ
04 写真はなぜ小さいのか
05 証明/写真
06 自撮りを遺影に
07 妖精の写真と影

今後、爆発的に個人個人で貯蔵できるデータ容量が増えることで、おそらく私たちは大量のライフログを抱えることができるようになるだろう。その時、気づくのは「人は変わっていく」ことと「思い出は脚色される」ことだろう。
人は自分の記憶に信じられないほどの脚色を加える。

テッド・チャン『息吹』に収録されている「偽りのない事実、偽りのない気持ち」はライフログ検索システムと父娘の話である。父親はライフログ検索システムによって、自分の記憶は美化していたことに気づき、娘との関係、自らの子育てを深く省みることとなる。

このように過去が精彩に残されるようになった世界では、人びとの過去未来感も変わっていくのかもしれない。それは良いこともあれば悪いこともある。たとえば、インターネット上に残った画像により、何度も何度も苦しめられる人がいるように。
人間の記憶が割といい加減だったことにより、かつては存在ができたものが次第に存在することが難しくなるかもしれない。佐々木俊尚氏の『時間とテクノロジー』でもそのようなことが語られていたと思う。


確実に変わっていっている私たちの生活が、どのように私たちの精神に影響を及ぼすのか、スマートフォンという身近なものから考えるきっかけになる本だった。

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