時代の雰囲気を感じよう─『建築 未来への遺産』

稀代の建築史家であり,つねに建築・都市の現在への鋭いまなざしを向け続け,評論の最前線を駆け抜けた故・鈴木博之.最も近しい研究者たちの手により,膨大な既発表テキストから書籍未収録のものを中心に精選し,系統的に集成.その足跡と思想を通観できる一冊.

2014年に亡くなった建築史家・鈴木博之氏が書き遺したテキストの中から公刊されていないものを親交の深い研究者たちが厳選し,編集した書籍.

明治村館長など数々の活動を行いつつも,膨大なテキストを残した氏の多筆さが伺える書籍となっている.
内容は郊外住宅論,建築論,土地論,都市論など多岐にわたり,明晰かつ鋭利なテキストは数々の気づきを与えてくれる.

本書で個人的に重要だと思われるのは,氏があらゆる媒体に書き遺した建築批評を集め年代別に編集した「建築批評クロニクル」だろう.
氏が時代ごとに残した文章からは,当時の建築界隈の雰囲気が感じられる「回想録」としての価値と,決して時代に縛られず己の眼で見,冷静にテキストを残した鈴木氏の審美眼が伺える.


例えば「世代的共感というやつ」というエッセイでは,石山修武氏が吉田五十八賞を受賞した際に行われた同世代が集まる祝賀会の喧騒からそれまでの世代とは異なるその世代特有の匂いを嗅ぎ取ろうとしている.

石山修武が吉田五十八賞をとったから,お祝い会をやろうという話が持ち上がった.未だに思い出せないのが,この話が,いつどこで持ち上がったのかである.どなたかから電話があったのか,何か別のパーティの折にでも話が出たのか,そのあたりのことがまるっきり思い出せない.
〈世代的共感〉というやつに,われわれの世代は弱い.少なくとも私はそうだ.学生時代にドラマティックな体験が多かった世代だからかもしれない.
石山との打ち合わせの時に,お祝い会の性格は,〈世代的共感〉というテーマにすぐに決まったように思う.
基本的テーマが決まってしまうと,ディテールを煮詰めるのが面倒くさくなって,呑みに行ってしまい,悪酔いした.
渡辺豊和と毛綱機構が,誰が最も狂気の建築家であるかと,彼ら以外の建築家の名前を盛んに連呼している....
少なくとも今,その中の敵も味方も含めて,信頼できるように思う.1930年代末から1950年代初めにかけて生まれた世代が,われわれの世代である.

実際,この世代は「野武士」や「関西三奇人」,「婆娑羅の会」など数々の小グループが登場し,先の時代とは異なった建築のひとつのあり方を提示していた.



はたまた東京新都庁舎竣工間近に書かれたテキスト「不気味な垂直の増殖─東京のイメージを反映」では,建築の評価が時代によって変わることに留意しつつも,当時急速に摩天楼化しつつあった東京のイメージを完成間近の東京新都庁舎に重ね「不気味な増殖性を持つ建築」と評している.

しかしそれでもなお,人びとが本能的に新都庁舎の造型のうちに感じたものは,嫌悪の情やストレートな反発であるよりも,一種の不気味さなのではなかろうか.複数の棟からなる複雑なシルエットは,巨大な建築群が本来の巨大さをおし隠しながらムクムクと建ち上がっているような不気味さを感じさせるのではないか.

当時,都庁舎は市民から大変不評であった.
私は現在の東京都庁舎が完成した年に生まれたので,その建築は「もうそこにあるもの」であったから当時のこうした気分をテキストを通して感じることができるのは貴重な経験だ.


最後に収められた「スクリャービン試論」はロシアの作曲家・ピアニスト,アレクサンドル・スクリャービンについて綴られたもので,鈴木が学生時代に書いたものだ.理路整然としたテキストからは氏の早熟さが伺える.

どんなに酔っ払っていても寝る前に少しでも文章を書けと語っていたらしい氏の仕事の量と大きさ,非凡さが分かる書籍となっている.
そして,それにならって私も今日もこうしてテキストを打ち出している.

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