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東京駅丸の内駅前広場にもっと注目してほしい

最近,日本の都市空間においてとてもインパクトのある空間が誕生しました.

それが,2017年12月7日に全面供用が開始された「東京駅丸の内駅前広場」です.

2012年に復元が完了した東京駅の駅舎はインパクトを持って完成し,すっかり東京のお馴染みの顔となりました.そして,歩行者空間「丸の内中央広場」,交通空間からなるこの駅前広場も地味ではありますが,東京駅の駅舎と同じくらいとても興味深いプロジェクトです.


何が興味深いのか簡単に解説します(正確な表現ではなかったら,ご指摘ください!).そして,皆さんにももっと注目してもらえれば嬉しいです!


日本に「広場」はほとんどなかった

ヨーロッパの都市を訪れてみるとさまざまな広場があることが分かります.一方で,日本で「広場」を考えてみると,あまり思い浮かばないのではないでしょうか?

このプロジェクトにおいて「建築」の部分で関わった建築家・内藤廣氏によれば,日本では「広場」は法律としてきちんと整備されていないらしい,とのことです.私たちがよく見る「駅前広場」は都市計画上は「道路」にあたります.つまり,日本ではそもそも法律上「広場」というものがない(らしい)です.


広場は政治的性質を帯びる

しかし,法律的に広場が整備されていなかったとしても,なぜ日本ではヨーロッパ的な広場が生まれ得なかったのでしょうか.その理由のひとつとして,広場が必然的に政治的性質を帯びてしまうということがあります.現にヨーロッパの広場は,政治的・宗教的な儀式が行われる場所として機能していました.

日本でも公共空間として広場をつくるために計画が幾度も試みられてきましたが,政治的な争いに巻き込まれた結果,それらの計画は実現されませんでした.巨大すぎる空間は必然的に権力的構造を抱え込んでしまうのです.

その中で内藤廣氏は日本にも例外的にできあがった広場がふたつあると述べています.それが新橋のSL駅前広場と渋谷のハチ公前です.しかし,このふたつの広場は戦後の闇市を発端として出来上がった巨大な空間であり,だからこそ,政治的な空白地帯として成立しうることができたのです.

つまり,この「東京駅丸の内駅前広場」は官民協働により実現した,ほとんど初めての「計画されたものとして完成した広場」だといえ,それは都市空間において注目すべき事実だと思います.


広場の象徴性

広場は政治的性質を抱え込んでしまう.そして,巨大な空間は象徴性を持ちます.広場は権力者が権威を示す場所としても機能します.ファシズム時代の建築はほとんど例外なく,巨大な空間性を持っていました.これは言うまでもなく独裁政治,独裁者の権力を示すための建築的操作です.このように巨大な空間は象徴性を持ってしまいます.これが日本で広場が実現しなかった理由のひとつなのでしょう.

「象徴」という点で考えてみると,日本は政治の執行者とは別に日本国および日本国民統合の「象徴」である「天皇」という地位が存在する世界的にも稀な国です.

「東京駅丸の内駅前広場」は行幸通りと接続し,皇居へと繋がる空間です.つまりこの空間も「天皇という象徴」と密接な空間となっています(余談ですが,行幸通りに植えられているイチョウは「権威」を現す樹だそうです).しかし,同じく「天皇という象徴」と密接な空間である「皇居前広場」(こちらは「公園」です)と異なり,「東京駅丸の内駅前広場」には人が溢れて賑わっているように見えます.これはおそらく,この広場が「象徴性」を持ちながら,「流動性」を持つ交通の結節点である「東京駅」と接続しているからでしょう.

このように「東京駅丸の内駅前広場」はアンビバレントな性質を持つ広場です.これまでの日本にはこのような空間はありませんでした.だからこそ,この空間が都市空間にどのような効果を及ぼすか,これからが楽しみです.


この広場に立ってみると,広い空間にさまざまな人びとが行き交っています.

空は広く,整えられたビスタラインと東京駅,今までの日本にはなかった風景が広がっています.正直,この空間の良し悪しは判断できませんが,それでもこれまでと異なる空間ができたのだなと思わず感慨にふけってしまいます.そして,ここがアクティビティデザインやコミュニティデザインの実験場になれば影響力凄そうなのにと考えてしまいます.

皆さんも東京駅に降りた際には,歴史や都市計画の中での広場と言う存在のあり方に思いを馳せながらこの空間を体験して頂ければ嬉しいです.

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