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「AR」≒「おばけ」,「進歩」→「神秘」

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お布団読書で『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』を読み進めている.前にも紹介したがとても面白い.ARの規格統一を図ろうとしたゲームについての回がとても興味深かった.

「おばけ」を「私たちの肉眼で通常は見えないもの」と定義するならば,ARの世界で生きる仮想的なキャラクターたちは「私たちの肉眼で通常は見えない」,つまり「おばけ」だと言える.


ARはまだまだ発展途上の技術である.
話題となった「セカイカメラ」のサービス停止を見るなりAR世界が規格統一されることはまだまだ先だろう(規格統一されることがよいのかは置いておいて).

当然のことだが,ARと言っても開発元や端末の問題など種々の要因から,実際には「ARという現実に重ねるひとつのレイヤー」ではなく「ARと呼ばれる無数のレイヤー」という状態になっている.
ということは,私たちが肉眼で眼にしている世界は,実はAR上では無数の世界が構築されていてまったく別の世界が重ね合わされて世界のあり方が渋滞している可能性があるのだ.

そして,いつのまにか人びとに忘れ去られてしまっていたAR世界が,ふとした瞬間に突如として現れる現象のことが「怪談」として語り継がれていると『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』の一編ではレポートとして書かれている.

『ポケモンGO』にしろなんにしろ,技術とは人間の認識のレベルを変える絶大な力を持つ.しかし,認識を変えられてしまった人間たちのほとんどは不思議なことに変えられる前のことをすっかり忘れてしまう.

しかし,そんな技術が革命を起こす中で副次的に生まれた残り香が「おばけ」として現れるとはなんともユニークだなと思った.

技術がどれだけ発展しようが人間世界から「神秘」が失われることはない.「神秘」は新たな意匠を纏ってまた私たちの前に現れてくる.だからこそ,私たちは前進していることを喜ぶべきだ,そんなことを考えた.

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