熊野の旅 再び 【その2】
娘、孫と羽田空港で待ち合わせをし、
大阪の関西国際空港へ向かいました。
大阪の街と、川を上空から眺めながら無事到着~~ ✈!!!
空港では娘の存在が、本当に有難かったです。
娘はその時は二十代の後半でしたが、
デジタル世代、スマホ世代。
スマホ片手に、なんでも、サクサクと調べてくれ、
こちらは何にも考えず、後について行けば良いのでホントに楽~♪
助かりました~😊
頑張って育てて良かった、報われた~(涙)
…と、このレベルの報われに、最大限に感謝しながら
その後、レンタカーに乗車し、経路はすぐ【高速道路】っぽくなって、
その2,3ヶ月後に台風でタンカーが衝突した関空の連絡橋を
おそらく?婆達は通った気がし、
後日、その報道をテレビで見ながら、
「ねぇ💦ここ通ったんじゃない?通ったよねぇ?!」とビビリました😲
これを書いていて、これからこちらに来るであろう超超大型台風の報道が、
現在、テレビからずっとひっきりなしに流れているので、
人ごとではなく、本当に心配です。
孫は、航空会社からいただいた、厚めのビニール素材の、息で膨らますタイプの飛行機を、握ってフニャフニャしたり、ベロベロと口に入れたりして
ご機嫌♥、大人しかったので、ドライブの車中スムーズに最初の目的地に着きました。
真田幸村が14年間蟄居生活をした九度山の真田庵です。
見た目、普通の小さなお寺ですが、
「真田幸村が住んでいたんだなぁ・・・」、
「ここもきっと踏んだんだなぁ。」と思うと、地面さえも感慨深く、
アニメの聖地巡礼などをしている皆さんも、こういう気持ちなんだろうな、としみじみ思いました。
と言っても、熱烈な幸村ファンという訳ではなく、
大河ドラマの影響大大です。
駐車場はすぐ近くの川沿いにあり、フェンス越しに川を見下ろすと、
印象深く目に付く形の岩などもあって、
「この岩、絶対!真田幸村はいつも目にしていたに違いない。」と勝手に確信し、400年前に思いを馳せました。
その後、高野山を目指します。
弘法大師、空海が開山した真言密教の聖地です。
高野山自体はすごい範囲の面積で、忘れないで行くべき3ヶ所は、
【金剛峯寺】【壇上伽藍】【奥の院】
と聞いていました。
いちおう全部まわりましたが、
一つ一つをゆっくりまわるのは、今回の婆達の日程では難しく、
当日もう移動がなければ良かったのですが、その日の宿がかなり離れた所であったので、
もうすこし、じっくりまわりたかった💦 という思いが残りました。
いつか高野山の宿坊に泊まって、
【足が痺れて立つ時よろめいてしまう失態】がやや不安とはいえ、高野山でしか出来ない体験や一日修行もしてみたいし、精進料理も頂きたいし、
何よりもう少し余裕を持って、ゆっくり高野山を訪れたいと思いました。
そうした中、婆と娘が一番印象に残ったのは【奥の院】です。
こちらには弘法大師さまが実際にいらっしゃるとのことで、
毎日、お食事を作って、お届けする儀式もあるとの事。
それも見てみたかった~。
(この時は見れませんでした…。)
そして何より、ミーハーな婆と娘が湧いたのは、
一番奥にある『御廟』まで続く参道に
知ってる名前の方達✨!
の、お墓や供養塔がズラッと並んでいるのを見た時です。
やだ、知ってるわ。←こっちもあっちも→、知ってる、知ってる~!
大岡越前守だって!上杉謙信?武田信玄?
伊達政宗に石田三成、明智光秀もいるじゃない!織田信長~!!!
供養塔が多かったけれど、豊臣家はお墓でした。
秀吉公のお墓はありませんでしたが・・・。
江戸時代の藩の藩主の供養塔やお墓も多数ありました。
弘法大師さまの生誕は、奈良時代末ということですが、
お墓や供養塔で多かったのは、戦国時代以降の方々という印象を持ちました。
帰りに通った、その参道と平行する、もう一つの参道は、
こちらは、パナソニックなど、現代のよく知っている企業なども多く含まれる『企業墓』?と呼ばれるものが沢山あり、
そこでも、現代の【知ってる探し】を心の中でしながら歩きました。
主人のお母さんが、以前お墓参りに行った時、偶然そこは美空ひばりが眠っているという墓地で、
お義母さんは美空ひばりが好きだったので、帰りに一緒に行った方と
広大な墓地を、美空ひばりのお墓探しをして、見つけて👀💡、お参りしてきた🙏と 大変嬉しそう🎶に話していましたが、
奥の院は、一人どころではありません。
(インターネットと縁の無いお義母さん達、人に聞きながら探したとしか思えません。)
また都内には、首都東京ということもあって、青山霊園や多磨霊園他、
有名人が多数眠っている墓地も多いですが、
時代に違いがあります。
主人のお母さんが、美空ひばり一人でも嬉しい気持ちになったように、
そこに、動く方達はいらっしゃいませんが、心の中はあたかも、
✨" 知ってる"が集結! 初夏の知ってるフェスティバル~!✨✨
という気分になり、
かといって、場所が場所なので、
弘法大師さまや、お墓・供養塔の方々、また参拝の方々に失礼なきよう、
気分を表に出すことなく、厳かに参道を歩かせていただきました。
時系列が前後しましたが、
奥の院のお堂に着いて、お参りをし、
そのお堂の背後の屋外に、一番大事な場所、
弘法大師さまの御廟があります。
そちらでもお参りをさせていただきました。
清々しい気持ちになって、帰り方向へ歩いていると、
お地蔵様が横並びにズラッと並ばれている所があり、
参拝者の方々が、お水をかけてお参りされているのを見て、
こうやってお参りするのかな😊
東京巣鴨の『とげぬき地蔵』に似ているな~と思いながら、
まわりの方々にならって、娘と婆も並んで、横歩き蟹さん歩き🦀で移動しながら、お参りさせていただきました。
とても、楽しい幸せな一時でした。,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+
それで、今、思い出しながら、この記事を書いていて、
呼び方などに間違いがないか等を確認する為にいろいろ検索しておりましたら、
こちらのお地蔵様は、水向(みずたむけ)地蔵と呼ばれるお地蔵様で、
” 水を掛けるのではない ”と教えてくださっている文章を見つけました。
そうだったとしたら、婆達は間違ったやり方でお参りしていたことになります。
お水をお掛けすることがお参りの方法だと思って、そうしてしまいましたし、他の方もそうされていました。
テレビで放映されているのを何回か見たこともあり、芸能人の方々もそうされていました。
注意書きが近くにあったのかどうか、その時は気がつきませんでしたが、
次に行くことがもし出来たら間違いのないように、
思い切って、本家本元、高野山の奥の院にお尋ねしてみました。
そうしましたら、本来は先祖供養の為に
卒塔婆(経木)を御供所にて申し込み、供養したい故人の生前の名前(又は戒名でも、○○家先祖代々でも)を
卒塔婆(経木)に書いていただき、
(1本数百円程←これはネット情報)
そちらを、自分が選んだお地蔵様、の足元にある木箱に立て掛け、
お地蔵様にではなく、その卒塔婆(経木)に水をたむけて、先祖供養をする。
先祖以外の、供養したい人でも良いのではないかと思うのですが、
それは聞かなかったので、必要な方は現地で確認してください。
婆📞 「すべてのお地蔵様の数(十数体)の卒塔婆をお願いしなければいけませんか?」
「一つでも大丈夫ですよ。」
婆📞 「卒塔婆を置かせていただいたお地蔵様以外のお地蔵様はお参りできませんか?」
「そんなことは、ありません。
他のお地蔵様にも、やさしく水をたむけて、お参りなさってください。
その時、強く水を掛けるのではなく、やさしく水をたむけてください。」
婆📞 「卒塔婆をお願いしなくても、お参りできますか?」
「もちろんです。やさしく水をたむけられてください。」
婆📞 「以前、知らずに水を掛けてしまったのですが、バチが当たりますかね?」
「そんなことはありませんよ。バチが当たることはありません。」
もう、電話の奥からして、お人柄が伝わってくるような・・・🙏
聞いてみて良かったー ,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚
ありがとうございます。 ,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚
ポイントは、水を掛けるのではなく、
もちろん、水をぶっかけるのでもなく!
優しく水をたむける・・・。(それと、そういう気持ち?)
次にもし行けたら、気持ちを込めて、優しく丁寧に、お足元か、手の届く高さから、そー・・・っと、お水を手向けさせて頂こうと思いました。
卒塔婆もお願いしてみようと思いました。
うかがったのは、以上のことだけなので、他に作法があるのかどうかは、わかりませんが、わかないことがあったら、その時聞いてみようと思います。
きっと聞いてみて良かったと思うと思います。。。
高野山ですもの ,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚
弘法大師様が何らかの形で、教えてくださると思います。
↑ ↑ ↑
(こんな出来事が、その日、高野山でありました。)
水向地蔵様をお参りしてから、帰り道方向にさらに歩こうとして、
いろいろなお堂の入口の上部に、
切り絵のような、綺麗な模様の紙が垂れ下がっているのが見られました。
「あれ何だろうねー?、綺麗だねー。」
「貼ってる場所からして、神社で言ったら "しめ縄 "みたいな役割なんじゃない?」
「そうなのかなぁ…。どっかに説明書きでも書いてないかね?」
そんな会話をして歩いていたら、
すぐ次にあったお堂の前で、団体旅行のガイドさんが正に今、その説明をしているところに出くわしました!
なんと!!ジャス・タイミンっ😆💕
これはもう、お大師様のおはからいに違いない!
と確信しながら、遠巻きに聞いておりましたら、
『宝来(ほうらい)』といって、
吉兆の絵柄を切り抜いた、切り絵の紙。
やはり、神社で言ったら” しめ縄 ”のような役割で、結界を張るような感じ・・・、というようなお話でした。
その後、どなたかの文章で、
宝来が風を受けると、
見えないけれど、風が切り絵の形になって、向こう側にぬける~~~
,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚
というメッセージがあって、
なんか素敵~,゚.:。+゚
超吉祥~!,゚.:。+゚
風が入って来るのは大抵外からだから、中に吉祥の形の風が入ってくる、と言うことだよね?
そんな縁起物、うちのドアの所にも貼りた~い!
でも、どこに貼る?
(・・・今でも貼りたいと思っています。)
弘法大師様ありがとうございました。
この後、高野山を後にしました。
この、高野山を訪れた時、
出発前に、自宅であらかじめ般若心経を写経していき、それを持って行って、
奥の院に奉納させていただきました。
高野山でも写経は出来るようですし、
その際、奉納も出来ると思います。
また、郵送でも奉納出来ると思います。
婆は、般若心経は、まだよくわからないし、暗記もしていませんが、
唱えるだけでも有難いお経ということで、それならと、写経グッズを買って、時々写経をしていました。(1年に1回ぐらい・・・💦)
婆が買ったのは、
(株)千眞工藝と言う会社の、般若心経 写経用紙セットで、
楽天で14年ぐらい前に千円台半ばぐらいの金額で買いました。
そこの製品を選んだ理由は、どれをどう選んでよいか分からない中で、
毎年、家の和室のカレンダーに、この会社の製品のシリーズのものをひとつ買っていて、
たまたま写経用紙も扱っていることを知り、買ってみました。
・ 写経用手本(下敷)1枚
・ なぞり書き和紙14枚
・ ケイ引き和紙7枚
・ 功徳や作法が書いてある解説書
・ 般若心経の魅力について書かれた、ひろさちやさんのメッセージ書
が入っており、
なぞり書き和紙は、お手本を見なくても書けるので楽しいです。
線だけが引かれている無地の和紙は、
下にお手本を下敷きにすると、薄く見えるお手本をなぞる感じになり、
これも楽しいです。
( ↑ こちらを奉納しました。)
(最終的には、お手本を横に見ながら、まっさらなケイ引き和紙に、自分の字で書けるようになったら良いのですが、どれだけ先の事やら…..。)
【きれいな筆文字が簡単に書けます】と書いてある『筆まかせ』という筆ペンが家にあったので、それで書きました。
なぞりでもなく、さらに本当の筆と墨で書けたら良いのですが、
それだと多分、婆は永久に奉納できないので、
唱えるだけでも、書くだけでも、ありがたい般若心経という言葉を信じて、
お作法は全くなってないかもしれませんが、故人を思い、心を込めて書きました。
婆は産んでくれたお母さん、育ててくれたお母さん、
それとお父さんは1人。
ここまでで、計3人で、般若心経3枚。
それと・・・、
婆は2人姉妹で、2人とも結婚して苗字が変わったので、そのため、父・・・、
4人兄弟(男2人+女2人)の長男である婆の父は、弟(婆にしてみれば叔父さん)に自分の亡き後の○○家の墓守を頼みました。
婆の生みの母は、2才になったばかりの妹を残して、婆が小学校2年の時に病気で亡くなり、
その母は、一時同居したお姑さん的な人と折り合いが悪く、父の転勤で別居できたのは良かったものの、その後すぐ病気になり、父の家のお墓に入るのを拒絶したらしく、その願いを父は叶え、母の実家近くの公園墓地に小さなお墓を買いました。(昭和の40年代半ばぐらい)
生みの母も、育ての母(婆が23才の時、鬼籍に入る)も、父(同、婆が50才ぐらいの時)も、今はそこに入っています。
(父は生前からの希望で、父系の◯◯家のお墓の方には入りませんでした。)
だから父は生前、毎年2ヶ所のお墓参りをしていました。
父からは父系○○家のお墓は、叔父さんが継いでくれることになっているから、と婆に伝えていました。
父が亡くなって、婆もいろいろな事で忙しく、やっと落ち着いた頃、
あっちの方のお墓はどうなっただろうと、ふと思いました。
叔父さんには、子供に男の子もいたし、継ぐという点では名目、問題ないかもしれないけど、そもそも叔父さんは、現役時代、日本中を転勤で回っていたし、
退職後は、一番気に入った四国の県に家を買い(←○○家墓からスーパー遠い)、もう長いこと、ずっとそこに住んでいるし、
そもそも、○○家のお墓参りなど、全然出来なかっただろうし、
さらに叔父さんの息子(婆のいとこ)にしてみれば、行ったこともないお墓に、身内だからと言われても、ピンと来ず、他人のお墓のようにしか感じられないだろうし。
お墓が荒れているのではないか、と心配になり、
久しぶりに、お彼岸の時、花を買って行ってみました。
婆は、結婚後は、そちらの方には殆ど行けなかったけど、
結婚前は結構、親に連れられて2ヶ所、お墓参りをしていたし、
お寺の名前も知っていたし、お墓の場所も、何となく覚えていました。
この辺にあった筈なんだけど・・・、と思ったところにはなく、
あたりをグルグル探し回りましたが見つかりません。
ずい分探して、おっかしいなぁ・・・、と思いながら、探すのを諦め、お寺に聞いてみました。
すると、叔父さんは、遠方でお墓の管理が難しいということで、
墓じまいをしていました。
4人兄弟のうちの、もうひとり存命でいる叔母さんと話し合って、
きっと墓じまいを決めたのだと思います。
婆達は、頼まれた兄(婆の父)の娘だから言えなかったか、すでに他家へ嫁いでいるし、言う必要はないと思ったのだと思います。
生前の父には、きっと言えなかったんだと思います。
優しい叔父さんだから、そうであったと思うし、やむを得なかったのだと思います。
それは、そうだよな・・・、と納得し、
住職さんが教えてくれた、無縁仏?墓じまいをしたお骨が入る集団のお墓の場所に行って、お花を供え、手を合わせてきました。
その◯◯家のお墓に入っていた一番直近の人でさえ、
生みの母と折り合いの悪かったお姑さん的なお婆ちゃん(婆の事は大変可愛がってくれました)だから、それさえ既に40年以上前です。
父にしてみれば、自分の実の母が、そのお墓に入っていたから、長男ということでしっかり面影を覚えていたし、苦労も見ていたし、大好きだったみたいだからいいけど、やはり早く亡くして、叔父さんの方は小さくてお母さんを覚えていないから、仕方がないよな、と思いました。
何より、遠すぎる・・・。
これは婆の胸に、そっとしまって帰ってきました。
高野山に行く前に、そんな経緯もあり、
先ほどの個人の3枚の他に、
○○家先祖代々霊位菩提供養の為 みたいな文言(多分ちょっと違うかも)を書いたものをもう1枚。
あと、今いる婚家の、先祖供養のものも1枚。
あと、主人のお父さんが前年に亡くなっていたので、もう1枚。
「自分の親なんたから、息子本人が書いた方がお父さん喜ぶと思うよ。私が書いても良いけど。」
と言ってみたら、率先して真剣な面持ちで取り組んでいました。
それを主人から託され、
計6枚、奉納してきました。
(最初は、墓じまいをした◯◯家 先祖供養1枚のつもりが…..)
(高野山めったに行けないと思い、最終的に増えました。)
奉納の際、お金をお納めしますが、事前に確か電話で教えていただいたかと思うのですが、そちらの方はよく覚えておりません。6年前の事ですが、多くの人が気軽に奉納できる、普通の金額だったと思います。
奉納させていただいて、何だかスッキリしました。
奥の院には『地下法場』と呼ばれるところや、『弥勒石』という石もあるようで、この時には知らず行かなかったので、
もしまた行くことが出来たら、そちらの方もぜひ、行ってみたいと思いました。