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わたしが一番きれいだったとき

『わたしが一番きれいだったとき』という有名な詩があります。
教科書にも載っているので、ご存知のかたも多いかもしれません。
ある程度の歳になり、ふとこの詩をを自分に当てはめてみました。

わたしが一番きれいだったとき
(と言っても私のことだからきれいといってもたかが知れてはいますが、「当社比」できれいだったとして)

とくにいいことはありませんでした。青春時代のすべてを不況とともに過ごしたせいか、私にとって若いというのは中高年の雇用を守るために路頭に迷うことであり、それで非正規労働をしていると白い目で見られることであり(当時はフリーター亡国論のようなものが横行しており、今よりさらに非正規労働者への視線は冷たかったです)、しかも社会保障負担は際限なく増えていくが自分がもらえる保証はない、というイメージしかないです。

わたしが一番きれいだったとき

男の子たちは戦場に発っていったりはしませんでしたが、就職してみんな長時間労働に明け暮れており、デートの時間もろくに取れず、そのうちの何人かは心を病みました。

もちろん戦時下と終戦直後を生き抜いた人と、私の人生を同列に語るのは無理がありますが…

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

今でも鏡を見て「うーん、歳取っちゃったなあ」と思うことはありますが、「いや待て、若くてきれい(当社比)だったときも、べつに大していいことはなかったよな」とも思います。若い時に若いという理由でちやほやされた経験があれば、もっと若さに執着したかもしれません。私などは「私たちは生まれてきて迷惑だったのかな」と思っていたくらいです。

むしろ今のほうが、周囲からは優しくしてもらっている気がします。単にお年寄りをいたわるような感覚である可能性もありますが、過去に採用数を絞りすぎた結果、私のような中堅どころの人材が職場で貴重になっている、という事情もありそうです。

年配の人は「若いっていいよね」みたいなことを言いがちですが、若くてきれいであることは、たぶんそれほど楽ではないのだろうな、と思います。
これを読んでいる若い人のなかには、いろいろとつらい思いをしている人がいるかもしれませんが、なんとか無事にのりきってほしいです。

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