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他者と関わる|日本の組織|人類学者・磯野真穂さんの講義受講ノート3

今回は、中根千枝の「タテ社会人間関係」という本がベースのお話だった。

1967年に刊行され117万部、13ヶ国語に翻訳されたらしい。

「タテ社会」という単語は使ったことがある。
でもそれが何を前提としているのかは、あまり知らなかった。


タテ社会について語る上で重要なのは、「場」と「資格」の概念である。

著書を読み、講義を聞いた上での僕の理解(イメージに近い)なので、正確な定義や記述は著作を参照いただきたい。

「場」は、ある特定の枠組みであり、物理的な場所とそこに所属する人間関係の醸し出すものである。

「資格」は、一般的に使う資格という意味を超えて、属性という言葉に近いものだ。つまり、出身などの生まれ持ったものも含み、昔で言えば士農工商のように、職業というのもの含まれる。

著作では、タテ社会の代表が日本、ヨコ社会の代表としてインドを対比している。

日本では、家に嫁いできたヨメはその家の人間である。家という「場」が重視されて、ヨメのもともとの属性である実家の親兄弟との関係性という「資格」から切り離される。

インドでは、「資格」が重視されるため、嫁いでいったヨメと実家の親兄弟との関係性は維持されている。

「場」が重要視される世界では、「場」に所属している時間の長さがとても重要となる。年功序列制度は、この典型例だ。長く勤めたことに「場」に所属していたという価値がある。

タテ社会の人間関係が刊行されたのが50年前だから、いまの日本の状況とはだいぶ異なる。
だが、白い巨塔で描かれているような医局制度は、まさにタテ社会であり、多少の名残はいまもあると思う。

タテ社会においては、出身がどうであろうと、東京大学に入学すれば、生まれ育った家庭や地域などの「資格」はリセットされる。だから学歴が重視される傾向がある。
いい大学に入りさえすれば、個人の能力ではなく、その「場」に所属していることが評価される。

大企業の産業医をやっていると、タテ社会の名残を感じている。とくに年代が上になるほどにタテ社会だ。

いま、そのタテ社会が壊れていることも実感している。

一昔前は、ノミニケーションが必須だった。
それは、タテ社会では、「場」に所属していることが、アイデンティティであり、そこには「契約」ではなく「情」でつながる関係があるためだ。

おそらく、今後は残存しているタテ社会もさらに消えていくのではないかと予想する。
これまでは「場」が非常に身体性に制限を受けてきていたからだ。

オンラインコミュニケーションが発達して、人と人は、オンラインの人間関係も発達させることができるようになってきている。

オンラインとリアルが融合することで、「場」の作られ方のルールが変わっていくと思う。

副業も解禁となり、ギグワーカーも増えていく。
会社という「場」にアイデンティティを求めている人がまだいる気がする。アイデンティティって「個」にあるはず。

人生100年ならば、日々の小さな出来事から「個」としての自分の好きと嫌いを大切にして、複数の「場」とつながりを持つことが大切だと思う。


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