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【稲むらの火と教育】

 安政南海地震での和歌山県広川町を舞台にした濱口梧陵の「稲むらの火」。津波防災の社会教育とリスクコミュニケーション、そして地域活性化と観光業を結びつけたモデルは非常に参考になります。濱口梧陵が学んだ江戸の佐久間象山の象山塾、その梧陵の学びと知恵が村人の命を救いました。
 梧陵が幕末江戸で学んだ佐久間象山の象山塾、そこから巣立った弟子の勝海舟、吉田松陰、小林寅三郎、山本覚馬。濱口梧陵も学校、耐久社を設立し、津波被災した広村の地域復興と社会教育に当たりました。これこそ災害のリスクコミュニケーション。私たちもここから学ばねばなりません。
 その佐久間象山の弟子たち。皆学校を創り若者を育てた。勝海舟は神戸海軍操練所を創り坂本龍馬を輩出した。吉田松陰は松下村塾で高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、そして山田顕義らを育てた。その初代司法大臣山田顕義が設立した日本法律学校が日本大学になった。そこに危機管理学部を僕らは創った。
 米百俵で知られる小林寅三郎は長岡藩国漢学校を創り戊辰戦争で焼け落ちた街を復興し山本五十六を輩出した。山本覚馬は新島襄の同志社を支援し、京都に西洋教育をもたらし徳富蘇峰ら多くの人材を輩出した。政治も経済も、文化芸術も危機管理も教育と研究が源だと信じて前に進みます。
 この教育の流れは脈々と縦糸と横糸で現代まで繋がっている。当然、思想と研究も。そしてその時代時代で世界や社会情勢の影響を受けながら。そして今大学一年生たちはこの現代の研究・教育の最先端、最前線にいる。新型コロナと苦闘しながらも、この時代の自分自身の学びや研究が、こうして歴史と社会と繋がっていることを理解し意識して欲しいと思います。

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