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l love you、またね

2024年4月28日。実家の愛犬の四十九日だった。

我が家に来てくれてから亡くなるまでの14年と7ヶ月弱。いつも家族の真ん中に居てくれて、お日さまみたいな温かさで私たちを包み込んでくれた。

大好きだった日向ぼっこ

彼がご飯を食べると走り回ると、いやそこに居るだけで皆笑顔になった。家族として発展途上だった私たち家族を、彼という存在が穏やかに繋げてくれた。
誰かを愛しているときに愛されていると感じられること、誰かを愛することがこんなにも満たされることを教えてくれたのは彼だった。そしてそれは同時に切なさもはらんでいることを教えてくれたのも彼だった。

健やかに寝てる

叶うことなら一生一緒に居たい、と数えきれないくらい何度も思ったけど、命あるものそれはやっぱり難しくて。彼も私たちと同じように歳を重ねる。
歳を重ねた彼を見る。彼を失うときのことを想像すると、途方もない真っ暗な喪失感に襲われる。想像してるけど、想像できないほどの何かに飲み込まれてしまうんじゃないか、と。怖くて怖くてたまらない気持ちになってしまう。

そんな飼い主の思いを知ってか、彼は心の準備をする時間をたくさんくれた。
初めて大きな発作を起こして病院に行ったとき、あと2年くらいかもねと言われたのにそこから3年半も生きてくれた。去年の春、今年の夏は越せるかな?と言われてたのに結局次の春を迎えるまで生きてくれた。去年の12月も年を越せたら万々歳だねと言われていたのに、なんと3月まで生きてくれた。
最後の1週間こそ食が細くなったり、トイレの回数が減ったりと心配したが、それも振り返ってみればわずかな期間だった。亡くなる直前まで自分でご飯を食べ、トイレに行っていた。可愛い愛しいだけてなく、強くて高貴な犬だね、と家族口を揃えて言うほどだった。

シュッとした顔してるけど
海にめちゃくちゃビビってたね(笑)

亡くなるとき、私は実家ではなく横浜の自宅で寝ていた。最後の瞬間を見せようと、両親がテレビ電話をかけてくれた。同じく実家を出て一人暮らしをしている妹ともテレビ電話をする。家族全員で彼の命が終わろうとするのを見守る。怖くて怖くてしょうがなかったそのときを迎えると、怖さや寂しさやつらさとは別の感情が私の中に生まれてくる。

もういいよ、もう無理しなくていいよ、楽になっていいよ。
たくさん生きてくれてありがとう、楽しい時間をありがとう。
どこに居ても愛してるよ、愛してる、ずっと愛してる。
最後にそんなことを伝えたくて、無我夢中で言葉を届けていた。
出会えてこれまで一緒に過ごせた幸せや感謝、愛情で心がいっぱいになる。最後の最後まで彼がくれた大きな大きな幸せが私たちを包み込む。

最後はしっかり息を吸って吐いて、静かに彼は息を引き取った。


四十九日という時間が経った今も時に寂しさに襲われることもある。無性に会って抱きしめて撫でて、彼の柔らかさや温かさを感じたくなって泣きそうになることもある。
それと同時に彼が私たちの近くに居てくれているような気持ちになる。姿形は見えなくても、彼の存在をどこかに感じられる。そんな感覚だ。今ここに居なくても、彼の温かさに包みこまれている。やっぱり彼は私たち家族の心の真ん中にずっと居てくれるのだろう。

何見てんねんみたいな顔してるな〜

寂しくなったら思い出すよ。幸せなときにも思い出すよ。あと、たまには夢なんかに出てきて欲しいな。元気な姿でも、ちょっと不機嫌な姿でも、寝てる姿でもいいよ。会えたらなんでも嬉しいよ。それで私がいつかそっちに行ったら、また遊ぼうね。おやつもいっぱいあげるからね。それで疲れたら一緒に寝ようね。

I love you、ミルク。またね。ずっと、ずっと、愛してる。

またね!愛してるよ!

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