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『石ノ森章太郎萬画大全集』全500巻!驚異の企画と制作の舞台裏

2006年から2008年にかけて、角川書店(現・KADOKAWA)から出版された、『石ノ森章太郎萬画大全集』。

“マンガの王様”とも称された漫画家・石ノ森章太郎の作品を網羅的にまとめたもので、日本の漫画史、文化史を語る上でも重要な位置付けにある全集です。

同大全集に収録された作品数はなんと770 作品。総ページ数は12万8000ページ、全500巻にのぼります。圧巻のボリュームは世界でも例を見ないもので「ひとりの著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多い」としてギネス世界記録にも認定されています。

同大全集の出版は、名実ともに、かつてない壮大なプロジェクトでした。数多くの関係者が各領域で尽力したことは言うまでもありません。かくいう復刊ドットコムも市場リサーチの面で一部関わっており、企画の規模や文化的意義も相まって、非常に思い出深い作品のひとつとなっています。

本記事でご紹介するのは、『石ノ森章太郎萬画大全集』がどのようにして生まれ、何に苦労し、読者へと届けられたのか、という舞台裏。KADOKAWA、石森プロの関係者のご協力のもと、『石ノ森章太郎萬画大全集』の企画・制作について振り返ります。


大全集の出版に向けて

『石ノ森章太郎萬画大全集』の企画は、角川書店のアニメ・コミック事業部の当時の事業部長で、後に同社長となる井上伸一郎氏が、石ノ森作品のライセンス管理を行う石森プロに企画の相談をしたことに始まります。とある人物との会話の中で、「手塚治虫の全集はあるが、石ノ森章太郎の全集はない」と知ったことがきっかけでした。

子どもの頃から石ノ森章太郎の大ファンであり、石ノ森作品の解説者としてTV番組に出演した経験もあったという井上氏。全集の形にまとめたいと思い立ち、動き出したのだといいます。

しかし、石ノ森章太郎が生涯で描いた作品数は膨大で、それをまとめるとなれば大変な作業となるのは疑う余地もありません。制作面はもちろんですが、企画を推進する立場にあった井上氏としては、採算性を含む販売面でも、慎重に進めていく必要がありました。なにしろ全巻合わせて500巻という数ですから、途中で息切れするわけにはいかなかったのです。

巻数ものの出版では、最初の方の巻を最高として、徐々に部数が減っていくのが常ですが、同企画ではその状況を極力回避するため、一括予約販売という方法が取られました。
先に全巻分の予約を募り、集まった予約数から逆算して部数を決めていくやり方です。

ニーズを把握し、適切な数で出版する方法ですから、非常に合理的に感じられますね。
ところが、2000年代初頭という時代においては、『石ノ森章太郎萬画大全集』の存在を知ってもらうこと自体が、大きな壁の一つでした。

現代では、インターネットやSNSが告知の大きな助けになってくれるでしょう。ですが、同企画が進行していた2005年頃は、まだネットが普及途上の時代です。新聞の一面広告などで告知が行われましたが、読者に情報が届ききらないのが実情でした。

実際、予約を締め切ってからその存在を知った人も多かったといい、“欲しいけれど買えない”ファンと、“売りたいけれど在庫がない”出版社の状況について、井上氏は「悔しい思いをした」と振り返ります。

作品の舞台裏といえば、制作面の苦労にスポットライトが当てられることが多いですが、制作陣がその仕事に集中できるのは、安心して企画を進められる土台があってこそ。『石ノ森章太郎萬画大全集』でも、井上氏を中心として、文化的な大義と実利とのバランスを見極めながら、企画が推進されていたのです。

復刊ドットコムに集まった、石ノ森ファンの声 

ところで、『石ノ森章太郎萬画大全集』が実制作に入る以前、復刊ドットコムサイトでは、同企画の参考とするため、リクエストの募集およびアンケートが行われていました。
 
出版元の角川書店から「企画を何か一緒に盛り上げたい」という声が掛かったことをきっかけに、同大全集を読みたいかどうかと言った基本的なリクエストに加え、本の内容や価格、欲しい特典などのアンケートが取られたのです。

通常、復刊ドットコムでは、絶版・品切れ等の本を対象にリクエストが行われますが、それまでの復刊実績やユーザー層から、石ノ森章太郎というレジェンドとの親和性が高いと考えられ、企画への参画に至ったのだといいます。

結果的に、このアンケートには470人以上の声が寄せられました。大全集の実現を求める声はもちろん、ファンからの要望は多岐に渡り、どのコメントも熱心なものばかり。収録してほしいコンテンツや価格、装丁や紙質といった部分にまでさまざまな意見が集まりました。

出来れば連載時期順に刊行して欲しい。
売れそうなタイトルを優先するのではなく、手塚先生と並び称されるべき石森先生の偉大な功績として、完全な復刻を望みます。手塚先生の全集の様に成ると想像します。
かなり膨大な資料からの復刻と成ると思いますが、連載時の資料からの忠実な復刻を期待したいです。難しいかな~
(mutantkkkさん 2005/02/16)

全集が必要だと思われるマンガ家はそれほど多いわけではない。
でも、石ノ森先生は絶対に全集に値するマンガ家。
読みたくても読めない作品が多くあるので、是非とも刊行してもらいたい。
(麻野 壮一朗さん 2005/02/17)

こうして集まった意見は、角川書店、石森プロに共有され、制作の参考とされました。先にも触れた通り、2000年代初頭はネットやSNSが普及しきらない頃。そんな時代だったからこそ、復刊ドットコムに寄せられた石ノ森ファンの生の声は非常に貴重なものだったのです。

原稿を揃える大仕事

さて、『石ノ森章太郎萬画大全集』の制作は、2年の刊行期間をまたぎ、約3年半にわたって行われました。

刊行元の角川書店では専用の作業室が設けられ、専任の編集者が3〜4名新規採用されたといいます。このような体制は非常に特殊なものだといい、同大全集が規格外の企画であったことが窺い知れます。

当時、石森プロの担当者として制作にあたった早瀬マサト氏は、同大全集の制作を次のように振り返ります。

「石ノ森先生の晩年の著作に『マンガ日本の歴史』という毎月200ページの単行本を全55巻で描き下ろすという空前絶後の企画があったのですが、『石ノ森章太郎萬画大全集』もそれに次ぐほどの大変さでした。しかし石ノ森章太郎の萬画家としての足跡を辿るという意味においても、避けては通れない企画でしたので、必死に対応した記憶があります。」

早瀬氏によれば、何より大変だったのは原稿を集めることだったといいます。

原稿が存在しない作品も多かったこと、掲載誌から復刻しようにもその掲載誌が全て石森プロに保管されているわけではなかったこと、掲載誌が見つかっても状態が良くない場合もあったこと、など、同大全集の「原稿」として使用できる状態にするまでには、各段階での困難が伴いました。

特に、掲載誌から復刻する際のレタッチ(修正)は、線のにじみを左右からホワイトで消していくといった、気の遠くなるほどの地道な作業。その作業は、石ノ森章太郎のアシスタントを長年務めたスタッフを含め、数人がかりで行われたといいます。

このような作業には当然、多くの時間が必要となるため、各期の刊行作品を決める際には、原稿のある作品と修正原稿が必要な作品とを混在させつつ、作業負荷のバランスを図りながら進められました。

ちなみに、収録する作品の順番を決めるのも、実は非常に高度で、専門性が求められる仕事。作品の知名度や人気など、各作品への深い理解がなければ、500巻という“枠”にバランスよく収めていくことができないからです。読者にとっての満足感だけでなく、販売や作業効率にも関わる重要な部分であるため、作品の割り振りもまた、同大全集の制作を語る上で忘れることはできません。

こうして仕上がった『石ノ森章太郎萬画大全集』ですが、最終的にどうしても掲載誌が見つからず全集に含められなかった作品があったといいます。ところが、実はつい最近、KADOKAWAの担当者がその掲載誌を見つけたのだとか。同大全集の刊行からすでに十数年、担当者の執念からは、当時いかに思いを込めて制作に携わっていたかを感じることができます。

電子書籍前夜の『石ノ森章太郎萬画大全集』

『石ノ森章太郎萬画大全集』が出版されたのは、電子書籍が普及し始める直前、ちょうど“電子書籍前夜”の頃でした。

同大全集を企画・推進したKADOKAWA・井上伸一郎氏は、「あと2年くらい違えば、電子書籍で出版していたかもしれない」と言い、『石ノ森章太郎萬画大全集』について、次のように語りました。

「今は電子書籍で漫画を読む文化が普通になってきているので、むしろ紙よりも電子が良いという若い人も多いかもしれません。その意味で、紙でこうした全集が作れた時代の、最後の成果になったかなと思います。」

実際、近年はさまざまな全集が電子書籍として出版されており、作品へのアクセスの利便性は増すばかりです。

だからこそ、今となっては『石ノ森章太郎萬画大全集』のボリュームそのものに時代を感じずにはいられません。

全500巻という、一つの本棚には到底収まりきらないボリュームで場所的な制約を生みながらも、高いコレクション性を誇り、多くのファンの支持を得た『石ノ森章太郎萬画大全集』。

本といえば紙という時代が終わりを迎えつつある現代において、同大全集は、大漫画家・石ノ森章太郎の作品を網羅するという文化的意義だけでなく、紙の本が全盛であった往時の情調をも伝えています。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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