飽くなき挑戦のはじまり —「復刊ドットコム」の礎ができるまで—
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「もう一度本に息吹を 「復刊ドットコム」誕生前夜」
書籍の復刊を望む声を投票の形で募る「復刊ドットコム」サイトが開設されたのは2000年6月。どのようなタイトルに、どれだけのリクエストが集まるのか……。創業当時の社員は、期待と緊張を胸に抱き、サイトの動向を見守っていました。
まずは10票、20票でも集まれば、という淡い期待でした。しかし、サイトを開設して早々、社員らは自らの予想とはかけ離れた結果を目の当たりにすることとなります。あらゆるジャンルのタイトルに、期待以上の数のリクエストが集まったのです。
ユーザーからの思いがけない反応を受け、復刊ドットコムの怒涛の挑戦が始まりました。当時、越えなければならなかった課題は大きく2つ。ユーザーが望む復刊を実現するために、復刊ドットコムのサービスに対して出版社からの理解を得ること、そして、予想外に膨らんだユーザーからの要望に応えていくことです。
前例のなかったビジネスを切り拓いていく上で生じた困難と、それに負けじと突き進んでいった意志は、荒削りだった復刊ドットコムのサービスを少しずつ洗練させていきました。本記事でご紹介するのは、復刊ドットコム開設からの約1年間、現在の復刊ドットコムの礎が築かれるまでの道のりです。
出版業界の"常識"に挑む
復刊ドットコムサイトが開設した2000年当時、本を制作する出版社、流通させる取次会社、そして、販売する書店という三者は、同じ本を扱う業界に属しながらも、暗黙の了解の元に棲み分ける存在だったといいます。それぞれが本分とする仕事を極めることで、長らく保たれてきた秩序があったのです。
ところが、復刊ドットコムの存在は、そんな出版業界に新たな風を起こすことになりました。取次会社である日本出版販売(日販)の一事業として始まった復刊ドットコムは、読者の生の声を集め、出版社に掛け合うことで復刊を目指しますが、それは取次会社としての仕事の域を越えて活動することを意味したのです。
読者のニーズから本を生み出そうというボトムアップ型の流れは、出版社を上流とする当時の出版業界の構造を逆転させるような印象を持って受け止められました。そのような革命的な動きを歓迎する出版社もあれば、不安視する出版社もあり、反応は様々でした。しかし、どんな反応を受けたとしても、復刊ドットコムが目指していたのは、あくまで読者が望む本を復刊させることでした。
復刊を実現するには、出版社の協力は不可欠です。なんとか協力してもらえるよう、復刊ドットコムに寄せられたリクエストや得票数のデータを持って、一社ずつ営業に回ることを幾度となく繰り返していきました。すると、各出版社で顔を突き合わせて話すうちに、復刊ドットコムのサービスに心からの共感を寄せてもらえる人の存在も次第に増えていきました。業界内の立場としては複雑な思いを抱くことはあっても、本に携わる一個人としては、読めなくなってしまった本をもう一度読めるようにしたい、という思いは共通の想いだったということなのでしょう。
初めての復刊作品が誕生
しかし、出版社も復刊ドットコムも、どちらもボランティアではありません。そこにどれだけの志と共感があったとしても、事業として復刊するためには、現実的で具体的な道筋を立てる必要があります。その点、まだ前例のない復刊事業を、共感の段階から一歩進めるにはまだ高い壁が存在しました。
その壁とは、第一に、復刊を実現させる方法をまだ誰も知らなかったということです。何十年と前に出版した本を復刊しようとした時、当時の担当者もわからず、本の契約がどうなっているかも分からない、となった場合、そもそも何から手をつければ良いかというノウハウがなかったのです。権利関係の処理や、物として古くなってしまった本をどのように修復するかなど、考えるべきことは山のようにありました。
そして第二に、採算面の問題です。
復刊ドットコムでは、復刊を望むリクエストが多いことが復刊交渉に入る一つの基準となりますが、リクエスト数と発行部数はイコールではありません。復刊するためにかかる費用や、購入者数などを予想した部数に調整されています。
しかし、ノウハウが確立していなかった当時、出版社に掛け合っていたのは、リクエスト数に近い部数での復刊の実現でした。出版社としては、いくら復刊とはいえ、一冊の本を作る労力に見合う採算が取れなければ、首を縦に振ることは難しいのが現実だったのです。
結局、復刊ドットコムが開設して3ヶ月間は1冊も復刊することはできずじまいでしたが、そこへようやく一筋の光明が差し込むこととなります。1984年に白泉社から出版された、三原順先生の『かくれちゃったのだぁれだ』が復刊できることとなったのです。
この復刊はニュースでも取り上げられ、世間からの復刊ドットコムへの期待は高まっていきました。前例ができたことで、その後の復刊交渉は格段に話しやすくなったといいます。
同作は、復刊への情熱が初めて形として実った記念すべき作品であると同時に、復刊ドットコムにとっても大きな転機をもたらす作品となりました。
復刊専門の出版社を立ち上げ
ところで、復刊を望む声は、実は出版社にも直接届いていて、それでも手を付けられなかったものが、あらためて復刊ドットコムにリクエストとして寄せられることがありました。それはつまり、リクエストの中には復刊の難度が高いものも多いということです。
読者の要望を知りながらも元の出版社が絶版としていた理由は、すでに挙げたような権利関係の煩雑さや、経済的な問題の他にも、作品に含まれる差別用語などが時代に合わないなど、さまざまです。復刊を叶えるためには、一冊ごとにその本を取り巻く状況を丁寧に紐解いていく必要があり、それには大変な手間がかかります。それゆえに、たとえ出版社が復刊に前向きだったとしても、現実的にそこに向き合う時間や余力があるかは別の問題でもありました。
復刊を待つ人々のために、一冊でも多くの本を復刊しなければという使命感と、復刊を取り巻く環境へのもどかしい思いが高まる中、復刊ドットコムの社員はある境地にたどり着きます。
復刊を難しくしている状況に、自分たち自身が向き合っていけたら……。
出版社に協力を仰ぐだけでなく、復刊ドットコム自らが復刊活動を巻き取る形で出版部門を持つことになったのは、自然な流れでした。元の出版社からの復刊を第一としつつも、自社からの復刊という選択肢を増やすことで、復刊ドットコムのサービスはここからさらに幅を広げていったのです。
リクエストに応え続けること
サイトに寄せられるリクエストは増える一方でした。リクエストが多い順に復刊交渉を続け、上手くいくこともあれば、いかないこともある毎日。限られた人員では手が回らないほどのリクエストが寄せられ、社員たちは、終わらない宿題に追われるような、目まぐるしい日々を過ごしていたといいます。
手をこまねいている時間すらない、そんな日々を支えたのは何より、読者や著者から喜びの声でした。
膨らみ続けるリクエストに応えることは、乗り越えるべき課題である一方で、生まれたばかりの復刊ドットコムサイトを育て、広げていく動機そのものだったのです。
サイト開設からわずか一年、「復刊」という結果にこだわり抜くうちに、復刊ドットコムの礎は自ずと築かれていました。
今や復刊ドットコムに寄せられている復刊リクエストはおよそ60,000タイトル、95万票にのぼり、6000点以上の復刊が実現しています。長年の経験から、復刊を叶えるための技術や知識も多く蓄積されてきました。ですが、どれだけ経験を重ねても、機械的に復刊できるものはありません。もう一度読みたいというユーザーの願いと、それに応えようとする復刊ドットコムや関係者の想いが重なってこそ、復刊は実現するのです。
復刊を望むユーザーのリクエストに応え続けようという、最もシンプルで、最も根気を必要とする挑戦の心は、サービス開始以来、今に至るまで脈々と受け継がれています。
■取材・文
Akari Miyama
元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/
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