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思春期にオタクを辞めた話。

こんにちは、ふきちゃんです!
3歳と6歳の娘を育てながらフルタイム営業職として働くワーママです。

私は、「娘たちには人の目を気にせずに自分のすきなことをしてほしい!!」
そう思ってます。

なぜか?

自分が出来なくて後悔していることだから。

自分のできなかったこと子供に押し付けるウザイ母ちゃんパタ―ンで、娘よごめん。(笑)

例えば、私の後悔していることの一つに「オタクを貫けばよかった」というものがある。

私は、幼少期漫画がが好きだった。

私は1988年生まれで、あの時代は「セーラームーン」や「神風怪盗ジャンヌ・ダルク」というやたら目が大きく瞳の中がキラキラしている女の子の漫画が流行っていた。キラキラした少女漫画が大好きで、小学校高学年になると「西遊記」にドハマりして、アニメイトに通い少ないお小遣いからグッズを買い漁っていた。

漫画が大好きで、絵を描くことが大好き。夜寝る前に、自分の脳内で勝手にストーリーを作ってそのキャラクターをノートに書き写す。同じように漫画が好きな友人と交換漫画を作って、同人誌ごっこ遊びのようなこともしていた。

そんな小学生時代を過ごし、中学にあがると私は迷わず美術部に入った。

しかし、そこで私は人の目が気になった。

美術部にいるクラスメイト達は、みんな地味でおとなしかったからだ。

地味でおとなしいと、いじめられる可能性が高くなる。

朱に交われば赤くなるではないが、私も美術部に所属していた時期相当地味だった。スカートは中途半端な丈で、髪をひとつにくくる。小学生時代は、仲の良かった友人も、あか抜けない私を見て話しかけることもしなくなった。

クラス内で見えない階級の壁ができていった。

中学生は思春期のデリケートな時期だ。私は、「陽キャ」と呼ばれる明るいグループに私は属したかった。そんな子たちは、大体がバスケ部やバレー部など活動的な部活動に所属していて、外見も派手だった。

部活動は何をしているか??部活動の内容によって、自分のカースト制度の所属する場所が決まる。

私は、美術部をすぐやめた。
この地味でおとなしい子たちと一緒にいたら、自分も「あいつ陰キャラじゃん!」と馬鹿にされる対象にならないか怖かったからだ。

私は運動神経に自信がなかったので、そこそこ明るい子が所属する吹奏楽部に入部し直した。しかしもともと音楽や楽器など興味がない。

私はサックス担当になったが、練習も面倒だったので演奏会のときは吹く真似をして過ごした。私みたいな下手なやつが音を出すほうが、迷惑だと思ったからだ。指揮者の顧問の先生は、それに気付いていたはずなのに何も言わなかった。

私なんかいてもいなくても一緒の部活動に中学時代取り組んだ。全く楽しくなかったのに、毎日部活へ向かった。本当は絵を描いたほうが没頭できるはずだと気づいていたが、「陰キャ」と人から思われたくなくて、私は美術部を後にした。



そこから、中学・高校・大学と私は俗にいう「陽キャ」として生きてきた。

中学のとき、SevenTeenの鈴木えみさんや榮倉奈々さんが人気だったので、真似して髪に縮毛矯正をかけくせ毛を無理やりストレートヘアーにした。高校のとき、cancamモデルの「えびちゃんブーム」が巻き起こり、私はOLファッションで髪は巻き髪にした。

最新のトレンドを身にまとうことで、陽キャの友人たちから「仲間」と見てもらえることに安堵した。

でも、本当に自分がやりたいことは違っていた。

アニメの話がしたかった。漫画の話がしたかった。漫画を描きたかった。美大に行きたかった。何かに一生懸命になりたかった。

誰かの目を気にして、自分のやりたいことに蓋をして生きてきたことに私は後悔してきた。





今、私は36歳になった。

もう誰かの目を気にする年齢でもいなくなったので、堂々と「アニメが好き!」などと言えるようになって生きるのが楽しくなった。

それでも、学生時代に人の目を気にして没頭できなかった時間は悔やまれる。

娘たちには、自分のすきなことをしてほしい。
そして、私も自分のすきなことで生きていくのだ。



読んでくださって、ありがとうございます!!


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