つづき 星組公演『JAGUAR BEAT』について 〜ショーと芝居の違いをふまえて〜

先の記事で「JAGUAR BEAT」に「よくわからない」ところがあると書いた。そう感じてしまう最大の要因は、ショーにしては珍しくストーリー仕立てになっているにもかかわらず、物語の筋や登場人物のキャラクター(性格や行動の動機)が少なくとも舞台を見ただけはよく理解できないところにある。この点について、芝居とショーの違いを踏まえて検討していく。

一般に、芝居においてはストーリーを通じてある種の思想や理念を伝達することが意図される。たとえば「ディミトリ」であれば、「勇気とは何か?」というテーマに対して、主人公のディミトリは、自己を犠牲にしてもルスダンおよび二人の人生そのものであるトビリシを守り抜く決意を、自らの言動と行動を通じて示す。それを物語として矛盾なく示せるかどうかが、芝居としての成否を決める。もっとも「ディミトリ」がこの課題に対して最善の解を与えているかわからないが、少なくとも破綻はしていない(注1)。対してショー(ないしレヴュー)は、芝居と違って明確なプロット(筋立て、物語の論理的な展開)をもたないものが多い(あとであげる「BADDY」など例外も存在する)。その代わりショーでは、音楽とダンスなどの身体表現、および言葉(同じ言葉であっても芝居における台詞よりもずっと詩的で象徴的な)によって、観る者の情緒に訴えることが優先される。もっとも、特定の場面ごとに何らかのストーリーを持たせた演出もあるが、ほとんどの場合その場面だけで完結するものであるし、歌はあってもおよそ台詞がないためにふつうの芝居に比べずっと多様な解釈を許容する。

以上を踏まえていうと、「JAGUAR BEAT」は、ジャガーやクリスタ、バッファローなど全体を通じて一貫した役名が与えられているとはいえ、それぞれの場面で演じられる性格特性は一貫していないし、場面と場面をつなぐ論理的一貫性にも欠ける。したがってこのショーは(表面上は風変わりであっても)オーソドックスなショー作品として観るのが正解なのである。だが、あながち役名が決まっていたり、片方の翼をめぐるやり取りが場面を跨いでつづいたりするために見る側は何らかのプロットがあると思ってそれを追いかけようとする。ところがあると思っていた筋が実は存在せず、あったとしても一見しただけではよくわからないために混乱してしまうのだ。つまりは観客をミスリードするようなつくりになっているのである。

その点、上田久美子による最初にして最後のショー作品である「BADDY」は、芝居仕立てということで似ているように見えるが大きく違う。「BADDY」は、最初の方で明確に世界観が提示され(すべての悪が排除されたピースフルプラネット“地球”)、それが基本的には最後まで一貫している。さらに珠城りょう演じるバッディーと愛希れいか演じるグッディーとの愛憎劇を軸に、悪とは何か、正義とは何かというテーマが問われる(宝塚ファンなら誰もが知る「エリザベート」のサブタイトルをもじるなら「悪と正義の輪舞」とでも言えようか)。登場人物のキャラクターも全体を通じて一貫しており、これは先の基準からしてもショーというより芝居と解した方がよく、実際そうした評判をしばしば目にする。

私が見たかぎりでは、「JAGUAR BEAT」は「BADDY」より、最近だと生田大和のショー作品「シルクロード」にずっと近い。「シルクロード」でも青いダイヤモンドをめぐって、場面を跨いで物語のようなものが展開されていく。主要な登場人物の役名も何となく統一されているが、一人の盗賊がダイヤを求めて世界をめぐるという筋立てはシンプルで、無用な混乱を生むことがない(主人公が世界をめぐるという設定自体は宝塚最初のレビュー作品「モン・パリ」でも採用されているので、ある意味レビューの王道と言えるかもしれない)。

それでは「JAGUAR BEAT」が失敗作なのかというと、そこまでいうつもりはない。魅力的なシーンがたくさん詰まっているし、まこっつぁんをはじめとする今の星組生たちの個性がよく引き出されている。最初からオーソドックスなショーだと思って臨めば、問題なく楽しめたはずだ。言いたいことは、観客をミスリードする思わせぶりな設定を控えてほしいということ、それをするのであればきちんと世界観を説明し、舞台を見るだけでわかるように構成してほしいということである(注2)。

(注1)お芝居の意味がプロットを矛盾なく示すことだけにあると言いたいわけではない。とくに宝塚は芝居といっても「ミュージカル」が中心であり、ストレートプレイのようなセリフだけで進められる芝居とは表現様式が異なる。ミュージカルはここでいう芝居とショーの中間くらいのジャンルであると考えられる。ここではあえて「芝居」と「ショー」を対比的に示したけれど、宝塚では芝居においてもミュージカルが優位であり、その理由がどこにあるかを考えることは今後の課題としたい。

(注2)もちろん見る人によっていろんな意見があると思う。思わせぶりな設定から背後にあるかもしれないさまざまな物語を推測する楽しみ方もあるだろう。ただ、私自身はそうした深読みにはあまり興味がない。また、一度しか見ない人も多くいるはずで、そういう人にも舞台を見るだけで伝わるショーを目指してほしいと思うのである。ちなみに、後から拝見したスカイステージ(「ナウオンステージ」だったか?)でのまこっつぁんたちの懇切丁寧な解説が、本作を理解するのにとても役に立った。


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