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【第6回】だいたい250日後ぐらいに腎臓結石で緊急外来に運びこまれる留学生 (Poripori2)

5日目

フランス語の習熟度を測る指標として、ヨーロッパ言語共通参照枠という6段階の区分が存在する。A1及びA2は言語を学び始めた初学者から、軽いセンテンスを作れる程度の語学力の人が該当する。B1及びB2はある程度独立して言語を操れる、ないしは円滑なコミュニケーションができる人のレベル帯である。そして、最も高いレベルであるC1とC2は、ネイティブと遜色のない語学力を持つ者、高度な語学表現が出来る人たちのレベル帯である。つまり、アルファベット順に習熟度が上昇し、文字の後に着く数字が1ならそのレベル帯の前段階、2なら後段階であることを指すのである。そして、ヨーロッパ言語共通参照枠という名前が示すように、この枠組みはフランス語だけでなく全てのヨーロッパ言語の学習の指標として教育の中で利用されている。
この指標は確かに便利なのだが、明らかな欠点も持っている。それは、共通参照枠と銘打つ癖に、評価する人の主観によって同一の学習者が異なるレベルに認定されることがしばしばあるという点である。私は、渡仏前、日本の語学学校(それも基本的に講師はネイティブである)に通っていた当時は、B2レベルのクラスに在籍しており、問題なく授業に付いていけていたのだが、ヴィシーの語学学校で学力テストを受けた後、それより下のB1クラス相当であると認定され、後半期にようやくB2クラスに上がれたのだが、そのクラスの他の生徒と比べると自身の語学力はだいぶ劣ると感じたものである。ちなみに、フランス語力を証明する共通資格であるDELFB2という試験に合格したのは、これより3年も後のことである。このような状況は当初、かなり腑に落ちないものであったが、ある日、別の日本人学生の「そりゃ日本で出来る学習なんて所詮はどこまでいってもニュル(ゼロ)だからね、こっちに来てからが本番だよ」という一言を聞いて、まぁそんなものかと納得してしまい、それ以上深く考えることはなくなった。
日本のそれと比べると確かに難しかったのだが、それでもヴィシーでB1クラスの授業についていくことはそこまで難しくはなかった。朝授業に赴くと、まず前日に起こった出来事などを過去形を用いて説明し、その後、別の学生に起こった出来事などを1対1の会話で聞き取り、それを整理して全員に発表するなどの課題を主に行った。過去の出来事を表現する文法規則と、簡単な単語の知識があればとりあえずは突破できる課題である。文章を明晰かつ理路整然に組み立てる能力は高いと、先生からの評価も上々であった。
ある日、アメリカから来た年下の女の子とグループを組む機会があった。そしていつも通り、彼女に昨日起こった出来事を全員に発表するという課題が与えられたので、彼女の話に耳を傾けた。通常、B1クラスの学友たちは自分も含めて、単調な文章しか作れないので、各自の準備してくる 「物語」も比較的シンプルなものに留まるのだが、その日はそうではなかった。
彼女は、(本人曰く見た目ですぐ分かるらしいのだが)ユダヤ人の家庭に育ち、アメリカという比較的人々の多様性が存在する国で、マイノリティであることを常に自覚しながら生活してきた。ユダヤ人であることで他者から差別されるようなことは、普段特に多いとは言えないのだが、それでも大学に進学し、哲学を学んでいる彼女とは違い、大学には行かず定職に就くことも出来ていない兄の方は、ユダヤ人であるということが人生に大きな不利益を与えていると感じており、社会に対しても少なからぬ不満を持っているようであった。彼は、(筆者は詳しく知らないのだが)少しずつユダヤ教の原理主義的発想にシンパシーを抱くようになってしまい、揉み上げを伸ばし、黒いハットを被るのが日常になっていたらしいのだが、昨日遂に両親と何かの話題で口論になった後、不満が頂点に至ってしまったらしく、自動小銃を持って家から出ていってしまい、行方知らずとなってしまった。
そのような話であった。数回しか喋ったこともないような私に、赤裸々に、しかも淡々と複雑な家庭事情を語り始めた彼女に私は衝撃を受けたが、それ以上に何故ここまで複雑な話で、かつ互いの言語力は乏しいと言わざるを得ないにも関わらず、通じてしまうのだろうと、とにかく不思議な気持ちになった。それは、この先にも度々起こることではあったが、なぜか同じくらいの言語能力を持つ非ネイティブ同士の話は(どれほど文法的に誤っていようとも、ボキャブラリーが不足してようとも)不思議なほどよく通じてしまうものなのである。そういった理由で、ヴィシー生活の間、他の学生とのコミュニケーションで何か不自由したことはなかった。ところが、ネイティブとの会話はそうはいかない、彼らは学習者のロジックでは瞬時に理解できない仕方で、彼らの言語と関係しているのであり、センテンス組み立てに関しても、細心の注意を払わないと、大雑把には分かってくれるかもしれないが、正確には理解してもらえないのである。
そういったわけで、私がクラスで発表した「彼女の物語」の評価は散々なものであった。帰り際先生から、いつもと比べて今日の話は混乱しすぎていて何も理解できなかったと、淡泊な低評価を頂き、私はそっと午前の授業から帰宅したのであった。
                                続く


プロフィール
Poripori2
 中学受験で入ったスパルタ校の洗礼をうけ精神を病んだことから、10代のほとんどを引きこもりとして過ごす。その後、何を思ったか24歳で渡仏し、念願の大学生となるが、選んだ学科が運悪く哲学だったために、一銭も儲からない生活を送っている。31歳の今は博士課程に在籍。最近一児の父になった。名前に意味はない。

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