「体がイメージ通りに動く」という「快」を感じること
こんにちは。
私はこれまで、この「よりよく動く、よりよく生きる」のマガジンで、繰り返し、
「『快』という感覚が喜怒哀楽などの感情の土台になっている」
「体で『快』を感じられるようになることで、根っこから明るく前向きになれ、よりよく生きられる」
「『快』は身体で感じる感覚であるため、体を動かして感じることが大事」
ということを書いてきました。
今回は、この「快」という感覚について、もう少し詳しく掘り下げて書きます。
思った通りに体が動くと「快」が得られる
結論をいえば、自分の頭の中で思い描いた通りに体が動くことが「快」という感覚につながるということです。
そのため、体を動かすことを単に「健康のための手段」として考えるのではなく、それ自体が「快」である、と考えられるようになります。
まだ「快」のイメージがあいまいかもしれませんね。
ここで私が提案したいのは「体がイメージ通りに動く」というのは、とても大きな「快」であるということです。
私は、この「イメージ通りに動ける」という「快」の感覚が生きがいになっているくらいです。
「思い通りに動ける」とは?
そもそも人間は、頭の中で「こう動きたい」と意識的・無意識的に思い描き、それを体に指令し、その指令によって体が動くような働きになっています。
そして、体の方は動いた結果を、固有受容覚や前庭覚という感覚によって、フィードバックします。
この「思い描いた動きのイメージ」と「実際に動いた結果」のギャップが大きいと、とても不快に感じるものです。
たとえば、
⚡手に取ろうと思ったコップが取れなかった、手から滑り落ちた場合
⚡とっさに走ったら思ったより全然走れなかったとき
⚡ふいに落ちたものを取ろうとしたら間に合わなかったとき
⚡運動をしていて、思い通りのフォームができない、指摘された点が修正できないとき
こういうときはイライラしたり、情けなく感じたりしますよね。
逆に、頭の中で思い描いた通りの動きができたときは、爽快感を感じないでしょうか。
「思い描いた動き」と「快・不快」がつながっている理由
「思い描いた動きができること」と「快・不快」という感覚がつながっているのは、人間の育ちに理由があると考えています。
赤ちゃんのころは、頭の中に描ける映像も曖昧で、体のコントロールも十分にできません。
そのため、思い通りに動けず不快に感じたり、逆に思い通りに動けたときは「快」を感じます。
「快」が得られるように自分から動いたり、親からあやしてもらったりする中で、少しずつ「動き」を体得していきます。
ここでの動きとは、寝返り、ハイハイ、立ち上がり、などです。
頭の中に描いた映像に対し、自分がどう動けたか(動けなかったか)を繰り返しフィードバックする過程を通して、少しずつ「動き」と「快・不快」という感覚を発達させ、さらに体、頭、心(感情)を発達させるといえます。
どのような人も、必ずこの過程を通って大人になっています。
そのため、大人になっても「頭の中で思い描いたイメージ」と「実際の動き」が一致するかどうかが「快・不快」と直結しているのです。
そのため、加齢によって体が衰えれば、それだけ不快なことが増える、ともいえます。
イメージと動きを一致させるには
「じゃあどうすればいいんだよ」
と思われたかもしれません。
簡単にいえば「体を丁寧にコントロールする」という機会をしっかり作ることが大事です。
そして、体を丁寧にコントロールすること自体を楽しみ、それが「快」であることを味わっていくことです。
具体的には、
・武道
・ヨガ
・ダンス
などは体の厳密なコントロールが求められることが多いため、イメージを描いて丁寧に体をコントロールする、という実践がしやすいです。
(普通のスポーツやエクササイズでもやらないよりいいかもしれませんが、大人が趣味やフィットネスとして行う内容のものは、体を丁寧にコントロールする要素が少ないことが多い、と感じています。)
下記の私のマガジンでは、体を丁寧にコントロールしながら、体の不調の予防・改善を目指すエクササイズなどをお伝えしています。
よろしければご参加ください。
まとめ
体が思い通りに動くことは「快」である
思い通りに動けることと「快・不快」が直結するのは、人間の発達過程から
このマガジンでは、体との付き合い方を中心に配信していますが、他にも具体的なセルフケアや体の使い方について配信しています。
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