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小説・雑記

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創作物のまとめ箱 冒頭小説、掌編、端切れ
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2018年10月の記事一覧

白骨、蚕蛾、干からびた島々

 私は古本屋が好きだ。その日は神保町で古い小説数冊とベクシンスキーの画集を買い、いつもの喫茶店に入った。薄暗くこぢんまりとした店内のソファで画集を開いた。乾いた死と荘厳な退廃、終焉の画家。廃墟と十字架、骨、骨、骨。身を重ねる奇形の屍。  画集には私が知らない13枚の絵が混じっていた。オンラインデータベースでも見た記憶がない。製作年、所蔵ともに不明……。  突然、雷鳴が轟いた。窓の外は土砂降りになった。手元が暗くなった。  マスターはTVを見ていた。インスタレーションの特

愛国スイッチ

 超音波や電磁波を利用して脳の特定部位の活性化させる非侵襲的脳刺激デバイスの開発過程において偶然生まれてしまったもの、それが通称、愛国スイッチである。  被験者にこの何だかゴワゴワした帽子のようなものを被らせ、頭頂部のボタンを押す。するとこのデバイスは脳をスキャンし、バグまみれのコードに従って脳の特定ユニットを刺激していく。処置は約1秒で完了する。  被験者がもともと持つ思想に関わらず、少数者、被差別者への軽蔑が植え付けられる。自分が所属している集団や民族が非常に優れてい

エキュメノポリス

 なぜ皆、太陽も星も偽物だと気が付かないのだろうか。風雨や稲妻さえも本物ではない。緑に溢れる風景も地平線の先まで作り物だ。  最下層の貧民街に入ればよく分かる。ホログラムが途切れ本当の世界が姿を現す。日光など存在しないコンクリートの檻。非市民はこの古びた工場のような空間で電燈を頼りに生活する。  吹き抜けの周囲には金属屑やカーボンファイバー合板端材を寄せ集めた住居が集中している。見上げれば無限に続く巨大パイプ群に家々がまとわりつき重なり合う。足元を覗き込んでも同じ光景が続

食人戦記

 昔、一人の狩人が鳥と見紛い天使を射殺した。狩人は狼狽して遺体を河に投げ捨てた。その夜、生まれるはずだったの救世主は生まれなかった。  天使の死骸は下流の城塞都市に流れ着いた。原型留めないほどに腐敗した天使は、汚物とともに水路に沈んだ。  その年の冬、都市に奇妙な疫病が流行した。病人は七日間の高熱に苦しみ、回復後、生の人肉以外の食物を一切受け付けなくなった。疫病は人から人へ、街から街へと広まった。親は子を、子は親を食らった。市場で公然と人肉が売買された。  戦争が起きた

ギムレットにはサーモンを

 完全食スシはその優秀さゆえに食文化の頂点に立ち、世界の基本通貨となった。米国がドルから鮨に切り替えると、他国は次々とこれに追随した。50年前の話だ。  FBIのエージェントが指定したのはマンハッタンの最高級おスシ屋「八兵衛」。フィリップは財布にカッパとコーンツナ軍艦しかないことに不安を覚えながら店に入った。 「機密事項をスシキングやスシベルで話すわけにもいくまい」  黒服が言った。 「今回の依頼は例のスーパーS。精巧な偽造鮨だ。見てみろ」  一見何の変哲もないローストビ

メキシコの道標

 スティーブン・キングの『小説作法』、ガルシア=マルケス『物語の作り方』、バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』。ナボコフやボルヘス、カルヴィーノ、エーコの文学講義。シド・フィールドや新井一の脚本術、筒井康隆の『創作の極意と掟』。  俺はメキシコのリュウゼツラン農園で働きながら、何かを目指していた。下戸だったからテキーラは一滴も飲めなかったがね。  デイヴィッド・ロッジ、ミラン・クンデラ、ウラジーミル・プロップ、ヘンリー・ジェイムズ、ジュラール・ジュネット。ジュラルド

inner multiverse

 中世世界史、イブン=バットゥータに関する講義は毎週、楽しみにしていた。授業の内容は凡庸だったが、小教室に集まる十名に満たない学生、彼らが各々に持つ世界は非常に奇異だった。  いつも最前列に座る一人は、そこに居ると同時に、夜の砂漠を旅していた。星空と砂の海が続く大陸を、駱駝に乗って只々進んで行く。ハッブル望遠鏡で覗いたような多彩な夜。  部屋の端でノートをとる彼女は神社にいる。無限に広がる境内に無限の社が散在している。そこに存在する生き物は狐面の巫女だけ。彼女らは口を利か

豚工場の朝は早い

 豚工場の朝は早い。未明に大手牛丼チェーンから細切れ肉のパックを満載したトラックがやって来る。続いてゼラチン工場からは皮が、肥料工場からは豚骨と豚クズ粉末が来る。  製造ラインに投下された細切れ肉はプリンター施設を通りブロック肉となり、熟練の職人の手により骨と皮に貼り付けられる。出来上がった豚ブロックは別の職人により更に大きな部位へと組み立てられる。  顔と内臓の製造工程は芸術だ。圧力釜から取り出された皮を整形し1枚のマスクにする。豚粉末を焼却炉と蒸溜装置にかけて血液と血

ひとさし指クラブ

 1985年から1989年にかけ、全国の大学生の間である行為が流行した。    3人から5人の集団で電車に乗り込み、比較的乗客が少ない車両で標的を1人定め近づく。そして次の停車駅まで3分を切る頃、学生達は笑い始める。最初は声を殺した忍び笑い。時折、標的の方にチラチラと目をやりながら笑いを堪える。  続いて口を覆ってクスクスと笑う。この段階で大半の標的は自分が笑われていると気がつく。ある人は動揺し、顔を赤らめ、汗をかき、身なりに異常がないか確かめる。  停車まで残り30秒、

脳機能エンハンスメントに関する重大な副作用の報告

「彼女らは前頭葉全体に神経幹細胞を注入された」エージェントは言った。 「姉が戦略、妹が作戦レベルの計画を立案している。第6世代被験者だ」  姉妹はチェスに夢中になっている。 「女性の方は小脳が中心。俗に言う運動神経を大幅に強化。5世代。男性の方は頭頂葉、後頭葉に半々。空間把握と視覚情報処理。4世代」  二人は遊戯室の端で腕相撲をしていた。 「彼は扁桃体と海馬。感情抑制と記憶能力向上。現場で不測の事態に頼れる。3世代」彼は奥のソファで本を読んでいる。 「彼は大脳皮質の全

平成終末論

 平成31年4月29日の祝日、47のテロ事件が全国で連続して発生した。うち44件は明らかに、各地の過去の凶悪事件をモチーフとしていた。残る2件では大型テーマパークが、最後の1件では国会議事堂が標的にされた。更に次の24時間で、小規模な爆発事件も含め、東京都内で42の事件が発生した。  犯行声明は無く、実行犯の意図は不明のまま、日本政府はこれを「国家を転覆させんとする試みである」とし、緊急事態宣言を発令した。無辜の人々が次々と逮捕されたが、実行犯は1人として割れなかった。通説

シンクロニシティ相撲

 虎伏山と熊野龍の因果は根源たる集合的無意識下より来るものである。両者に頻発する偶然は、一般的な因果律を超越した非因果的連関の原理による偶然、即ちシンクロニシティであると解釈される。  故に、心理学者はユングの超心理学を再考せざるを得なくなった。特にパウリ=ユング書簡は慎重に顧みられなければならない。近年の研究ではレックス・スタンフォードによるPMIR理論、及び適合行動理論が共時性理論を補完しうる蓋然性が高い。  今回のケースにおいて、ESPとPKが明瞭に同時的かつ複合的

国立代替医療院救命救急科

 代替医師は息子の額から冷却シートを剥がしてキャベツを巻き付けた。「安心してください、自然のアルカリ性が熱の酸性を中和してくれます」 力強い言葉に妻は安心したようだった。  事の起こりは息子の突然の高熱だった。深夜のことで開いている病院はあるはずもなく、救急車を呼んだ。救急隊員はまず「正規医療院にするか、代替医療院にするか」を問うた。正規医療は金がかかりすぎて手が出ない。幸い、代替医療には国の補助がつく上にネット上での評判が良い。  妻と私は迷わず代替医療院を選んだ。私

菜園相撲

 ほどよく耕された土俵で巨体がぶつかりあった。桜島関の手にはタキイ種苗の耐病総太り青首ダイコンの種、金町関の手にはサカタの種の紅小カブの種。両者とも定石通りだがスタイルは真逆だ。  桜島関は重量を活かし、金町関を突き出さんと両手突っ張り。種を三点撒きにする。黒マルチの穴に適確に三粒ずつ、そして遅効性IB肥料の基肥。重く、そして精密な攻めだ。  一方、金町関は素早さを活かして桜島関をかわし、条蒔きにする。間引きの手間はかかるが良い芽を残しやすい。そして米糠一発元肥。根菜には