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#130【連載小説】Forget me Blue【試し読み53万文字】

【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村さむらと出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。

 そうして迷惑な酔っ払いを連れたイチと佐村は、少し歩いてヒカルの自宅に到着した。もう灯りは消えていて、暗い玄関のインターホンを鳴らすとパッと照明が灯った。
「ヒカちゃ〜ん!」
 引き戸が開くのと同時に叫んだムラケンを見たヒカルが、「しっ」と言って「慧が起きちまうから、静かにな」と注意した。
「久しブリブリ! 元気してたぁ?」
「おう。ケンぴっぴも元気そーだな」
「ケンぴっぴ……」
 ヒカルが口にしたニックネームを佐村が小さな声で繰り返して、イチはぷっと噴き出すと「ヒカル、これお土産」と言ってコンビニのレジ袋に入ったアイスを渡した。夜遅いのに手ぶらで訪問するのもどうかと思い、先ほど御用達ごようたしのロー◯ンに寄って買って来たのだ。
「おー、サンキュな。ちょうど食いてーと思ってたのよ、アイス」
「慧には明日あげてよ」
 そんなやりとりをして、三人(とししゃもキャット)はヒカルに中へ入るよう勧められて玄関をくぐった。奥の部屋で眠っている慧を起こさないように、声を落としながら手前の和室に入る。
「ふむふむ。なかなかのチョイスだな。『黒くまさん』に『大雪だいふく』、『ペルム』に『チョコモナカヒュージ』、そして『アイスの果実』……」
「ヒカちゃんはどれにしますかあ〜? 俺はチョコモナカ狙ってるんですけどお〜」
「選ばせてやる割にはめっちゃ主張するな!」
 ムラケンが畳の上に並べたアイスを指して聞いたのに、イチは眉を寄せて突っ込んだ。するとヒカルが真面目な顔をして「じゃあチョコモナカにするわ。慧のはアイスの果実」と言ったので、ムラケンは頭を抱え「オーノー!」と叫んだ。
「こら、デカい声出すなって!」
 イチが慌てて注意したら、聞いていた佐村がくすくす笑った。一方ヒカルは台所へ行き慧のアイスを冷凍庫に仕舞しまった。そうしてすぐに戻ってくるのを眺めていたら、彼は畳の上に胡座あぐらをかきアイスの袋を開封して言う。
「なんかお前、また肥えた? デリカシー溢れる俺は言わないようにしてたんだけど……」
「ええっ!?」
 思い掛けないことを言われてイチがびっくりしていたら、イチと佐村に断りなく「ペルム」を手に取ったムラケンがうんうん頷いて言う。
「確かに、ぽっちゃりしたよな、前より!」
「ええ……マジかよ」
 いつの間に太ったのだろう、と思って落ち込んでいると、ヒカルが「だからお前は黒くまな」と言ってカロリーが低めのアイスバーを渡して来た。すると佐村の分は残りの「大雪だいふく」になったので、密かに狙っていたイチはがっかりした。
「でもイチ、『大雪だいふく』食べたかったんじゃない? かえてあげるよ」
「うっ……胸がキュンとして苦しい」
 優しく笑った佐村が自分のアイスとイチの分を交換しようとしたのに、チョココーティングされたアイスバーをくわえたまま、ムラケンが胸を押さえて倒れ込むジェスチャーをした。それを見て、佐村の申し出を受けちゃっかり「大雪だいふく」を手にしたイチはせせら笑った……。

 ムラケンは翌朝九時過ぎに出発する飛行機で東京へ戻る予定で、いつも佐村が利用しているT駅発のリムジンバスに乗って空港まで行くから、イチは七時半ごろ駅前へ着くよう家を出た。
「おうおう、わざわざ見送りありがとな」
 ムラケンの実家から駅前までは、タクシーなら十分ちょっとで到着する。バスターミナルで待っていると、撮影機材をキャリーに載せ巨大なリュックを背負ったムラケンがやって来て、思わず「それ、何キロあるんだよ!」と叫んでしまった。
「全部合わせてちいちゃめのお相撲すもうさん一人分くらい。貨物室へは超過料金払っても百キロまでしか預けられないからな」
「ちいちゃめのお相撲すもうさんって! ってか、ししゃもキャットは?」
「ほら、ちゃんとおんぶしてるぞ」
 イチが尋ねたのにムラケンがくるっと背中を向けたら、全長百三十センチもある抱き枕はリュックに縛り付けられていた。それに、人質ひとじちならぬねこ(魚?)じちみたいだな、と思いながら「とにかく、道中気をつけてな」と声を掛けた。
「まああれだ、お前も頑張って? 赤ちゃん産めよ。大変だけど、体壊さねえように……」
「ありがとう」
 気遣ってくれたのが嬉しくて、イチはにっこりして礼を言った。ちょうどその時リムジンバスが到着して、ムラケンは「じゃあな」と言って荷物を預ける乗客の列に並んだ。すぐに自分の番が来て、運転手に「荷物多くてすんません……」とぺこぺこしているのを見てぷっと噴き出す。
「まったねーん! 今度は赤ちゃんと会えるかな!」
「バッ……」
 乗り込む直前、振り返ったムラケンが叫んだのにイチは思い切り動揺したが、すぐに苦笑いすると大きく手を振った……。

 そうしてムラケンを見送った後、イチは駐車場ではなく佐村の部屋に戻りまた出掛けた。今日は月一回の呼吸器内科へ通院する日で、昨日は近くにあるYレディースクリニックへ行っていたからついでに診察を受ければ良かったのだけれど、生憎あいにく予約がいっぱいだったのである。今日も混んでいたが正午ごろ診察室へ呼ばれて、いつも通り聴診や血圧測定をしてもらった。
「体調はどう? 今は何週だったかな?」
「十二週です。今週末に十三週になります」
「そう。手術も頑張ってね。緊張し過ぎるのも赤ちゃんに良くないから、なるべくリラックスして受けよう」
「はい……」
 Yレディースクリニックのいつきからも話を聞いているのだろう、主治医の田辺はそう言って励ましてくれた。昨夜はムラケンたちとわいわい騒いで楽しかったのだけれど、ちょっぴり憂鬱な日常が戻ってきた……。

 夕方になり、帰宅した佐村といつものキョー◯イで夕食の材料を買ってきた。作るのは「エビ入り野菜ビーフン」で、野菜たっぷりヘルシーメニューだ。
「ビーフンって、うちでは食べる習慣なかったんだよな。前に食べたのは学校の給食かも……」
「ええっ、そんなに前!?」
 キャベツを切っている佐村の手元を覗き込みながらイチがそう言うと、彼はびっくりした顔で振り返り、それからくすっと笑って言う。
「でも、給食って美味しかったよね。特にカレーなんかは大きい鍋で作るから、家では再現できない味……」
「それな。大人になってからも無性むしょうに食べたくなるときあるわ。俺、特に好きだったのがデザートの『青リンゴゼリー』なんだけど、滅多に売ってねえの……」
「青リンゴゼリー、懐かしいね! 凍らせてあったのが完全に解凍出来てなくて、でもそれが美味しかった思い出……」
「それな」
 そんなやりとりをして懐かしいな、と思い微笑ほほえんでいたら、佐村が「そういえば、この前Sに見に行ったきり保留になってたけど、指輪のことどうする? 確か、近くに専門店があるんだよね」と言った。
「ああ……」
 イチは完全に忘れていたが、佐村はやっぱりすぐに欲しいみたいだな、と思って腕組みした。けれども、昨夜ヒカルとムラケンの二人に太ったと言われたから、今のサイズで決めるのにはやや躊躇ちゅうちょする。
「俺、太っちゃったからな……指のサイズ大きくなってるかも」
「そう? でも二、三キロなら全然変わんないと思うよ。それに、二人はああ言ってたけど、俺はそんなに太ったと思わない……」
 そう言うと佐村は包丁を置いて手を洗い、タオルで拭いてから振り返るとイチの体をギュッと抱き締めた。
「ちょっ……! いきなり何なの!」
 じたばたともがいていたら、佐村は抱き心地を確かめるようにイチを抱く腕に何度も力を入れ、それから「うーん……ほんのちょっと、柔らかくなったかもだけど、可愛いよ」と言ったから真っ赤になる。
「やっぱり、太ってんじゃん!」
「でも、ママなんだから仕方ないよ。お医者さんもちゃんと指導してくれるんでしょ?」
「そうだけど……」
 「ママなんだから」という彼の一言に、嬉しいような恥ずかしいような、どちらとも言えない気持ちになって、イチは益益ますます赤くなった……。

 昨夜から天気は崩れていたのだが、朝になるとかなり雨風が強くなっていて、窓に雨粒が当たる音のせいでイチはアラームが鳴る前に目覚めた。かたわらの佐村は気持ちよさそうに眠っていたから気が引けたが、早めに準備した方が良いと思い揺り起した。
「蒼士、起きて。台風、来たみたい」
 昨日の予報ではS地方には上陸しないはずだったのだけれど、夜の間に進路が変わったようだ。スマホの天気予報アプリを見ると予想通りで、イチたちの住むT県北部には大雨・波浪はろう警報が発表されていた。
「うーん……警報、出てるの?」
「うん」
 ぼけまなここすりながら佐村が聞いたのに、こっくり頷いたら彼は大欠伸おおあくびをして起き上がった。学生時代とは違って、警報が出ても社会人は休みにならないのが辛い。
「こりゃ、長靴要るね……」
 カーテンを開け、窓から外を見た佐村がそう言って、イチは「まじ?」と応えた。実家には自分用の長靴を置いてあるが、この部屋には持ってきていなかった。
「まあビーサンで行って足洗えば良いか……」
「え!? 汚くない!?」
 イチの呟きに、ぎょっとした顔で振り返った佐村が叫んだ。それから「長靴、一つしかないけど貸してあげるよ!」と申し出たのに首を横に振る。
「だって、蒼士こそ長靴ないと困るじゃん」
「やだやだ、街中の水なんて何が入ってるか分かんないんだから、裸足はだしなんてもってのほか!」
「ええ……」
 大きくかぶりってそう言った佐村は、ぽんと手を打つと「俺がビーサン履いて会社行くから、イチは長靴履いてよね」と言ったので、渋渋しぶしぶ頷いた……。

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