見出し画像

#131【連載小説】Forget me Blue【試し読み53万文字】

【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村さむらと出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。

 そうしてシャツの上に合羽かっぱ羽織はおり、スラックスのすそを膝までまくげイチのビーチサンダルを履いた佐村は、玄関まで行くときりっとした表情で「行ってきます!」と言った——愛用のビジネスリュックには四十五リットルのゴミ袋を被せている。
「誰かがマンホールのふた外してるかもしんないし、足もと気をつけてよ……」
「え!? ふた外したりするの!?」
「いや、無いとは思うけど万が一のことがあるから……」
「分かった!」
 そう応えてドアを開け出ていく佐村の後ろ姿を、イチは心配顔で見送った……。

『ウヒョー』
 佐村の言いつけに従って長靴を履いて駐車場へ出勤したイチは、傘をさして来たのだけれど濡れてしまったから、家に着くなり三階へ上がって着替えた。それから受付まで下りてきてチェアに腰を下ろしたら、ラ◯ンメッセージの通知音がしたので確認するとヒカルからのメッセージで、妙な一言が書かれていた。
『なんだよ』
『前の道水没してる。保育所休みになって慧が喜んでるわ』
『未央、来れねーんちゃう? メシ大丈夫なんか?』
 そう書いて送信すると、今頃気づいて慌てているのか返信はなかった。それに相変わらず生活力がないな、と呆れたイチはため息を吐くと、今度は未央宛てのメッセージを入力し始めた。
『旧Y橋渡れんやろ?』
 クマが「おはよう」と書かれたメッセージボードを掲げているイラストに続けてそう書いて送った。するとすぐに既読マークが付き、『無理!』と返ってきた。
『ヒカルと慧のメシどーする?』
『慧のために死んでも川を渡る……!』
『いやいや三途さんずの方の川、渡っちまうやろ』
 そんな突っ込みを入れてから、放っておいたら弟は無理矢理こちらへ来そうだな、と思ったので『俺がなんか持って行くわ』と書いて送信した。
 一応佐村に断っておこうと思い、ヒカルの家に彼の作り置きのおかずを持って行くとしたためたラ◯ンメッセージを十時過ぎに送信したが、台風の対応でてんやわんやなのだろう、既読になる気配は無かった。危ないことをすると怒られるかな、と思ったが、ヒカルは非常食にOつか製薬せいやくのカ◯リーメイトくらいしか置いていないと言っていたので、慧が可哀想だった。
「じーちゃんの宅配弁当はもう来たん?」
「ああ、朝の分は遅れてんだ。でも『宅配コックさん』はどんなことがあっても来てくれっから」
「マジ? めっちゃ良いコックさんじゃん……」
 祖父の宅配弁当の業者の主な顧客は独居老人だから、余程のことがない限り雨の日も風の日も配達してくれるらしい。それにイチは尊敬の念を覚え、自分の場合は数百メートルなんだし、と思って頑張ることにした。
「いっちゃん、本当に大丈夫か? 何か飛んで来たらいけねえし、慧ちゃんは可哀想だけど、カ◯リーメイトで我慢して貰った方が……」
 合羽かっぱ羽織はおり、セットのズボンも穿いて長靴を突っ掛けようとしているイチに、心配顔の祖父が言った。それに「危ねーけど、気をつけるから……」と言って作り置きの料理が詰まったタッパーを入れたレジ袋を手に出掛けようとしたら、突然スマホが鳴り始めたのでびっくりした。見ると佐村からの電話だったから慌てて出る。
『だめだよ!』
「えっ」
 いきなりそう言われたので、ラ◯ンのメッセージを読んでかけてきたのだと分かった。咄嗟とっさに言い訳しようとしたが、それよりも先に佐村が言う。
『ヒカルさんのところには俺が行くから、家で待っててね! 年休取ってくる……』
「ええっ」
 仕事を抜けてまで届けなくても、と思って止めようとしたが、佐村は通話を切ってしまった……。

 何度かけ直しても佐村は電話に出ないので、イチは諦めると履いていた長靴を脱ぎ、まだ合羽かっぱは着たままだったけれど受付のチェアに座った。窓の外ではびゅうびゅうと風が吹いていて、の他にレジ袋など、色んなごみが敷地内に吹き込まれて来ていた。
「掃除、大変そーだな……」
 駐車場の奥は行き止まりになっているから、どんどんごみが溜まって台風が去った後は小さな山になっているかもしれない。そう思って憂鬱になっていると、ラ◯ンメッセージの通知音が鳴ったのでスマホを見た。
『今会社出る!』
 佐村が送信して来たのはそんな一言だけで、心配になったイチは受付の前に出て待っていることにした。いつもはA製作所からここまで五分も掛からないのだけれど、前の道に佐村の姿が見えた時にはメッセージを受信してから十分くらい経っていた。
「蒼士!」
 風の音にかき消されないよう、イチは大声で叫んだ。それに合羽かっぱ姿すがたの佐村は手を振ると、足を取られないよう慎重に水没した道を歩いて来た。
 そうしてイチのもとまでたどり着いた時には髪がびしょ濡れになっていたから、手に持っていたバスタオルを掛けてやった。
「蒼士、ごめん……俺のせいで」
 イチが謝ると、佐村はバスタオルで髪を拭きながら首を横に振った。
「慧ちゃん、ご飯無いと困るからね。イチが届けるのは絶対だめだけど……」
「うん、ごめん……それじゃ申し訳ないけど、お願いしても良いか? ヒカルには連絡してあるから」
 そう言いながら、ヒカルのもとへ運ぼうとしていた、おかずの入ったタッパーを入れたレジ袋を渡すと、佐村は「これ、こっちで冷凍してたやつだよね?」と聞いたので「うん」と頷いた——イチの昼食の予備として、そして一や祖父も必要なときに食べられるよう、佐村は多めに作ったおかずをこちらの冷凍庫にローリングストックしているのだ(ベテラン主婦も顔負けの主夫っぷりである)。
「さっきより雨風強くなって来たし、看板とか飛んでくるかもしれんから、気をつけてな」
 自身が先程祖父から言われたことを佐村にも注意すると、彼はこっくり頷いて言う。
「それじゃ、行ってくるね。イチはもう中に入ってて」
「分かった……マジで気をつけてな」
 合羽かっぱのフードをしっかり被り直し、おかずの入ったレジ袋を抱えて、佐村は再び外へ出て行った。それを見送って、イチは言われた通りに家の中へ入る。それからヒカルに「今、蒼士が行く」とラ◯ンメッセージを送信した……。

 結局、台風が通り過ぎたのは夕方になってからだった。佐村はちゃんとおかずを届けて、珍しくヒカルからお礼の電話があった。その後会社に戻った佐村からも「ちゃんと届けたよ!」というメッセージが送られてきた。
 そうしてホッとしたイチは、掃除は完全に雨が止んでからすることにして、パソコンに向かった。ちょっとした事務仕事をして、東京に戻ったムラケンから新しく貰った、地方企業のCMシーエム脚本の原案を考えた。
 そんな風にしていたらあっという間に時間が過ぎて、佐村が仕事を終える時間になった。会社に着替えはあると言っていたがすっかり濡れてしまったから、風邪をひいてしまわないか心配だった。
『今から帰るね。晩ごはん何食べたい?』
『今日は作らなくて良いよ。テイクアウトでもする?』
 六時前、佐村からそんなメッセージが送られて来たので、この上料理までさせる訳にはいかないと思いそう提案した。すると『久しぶりに◯ック食べたいなあ』と返って来たのでぷっと噴き出した。
 家から一番近いマ◯ドナルドは車で五分もかからないから、佐村は駐車場に帰ってくるとイチを乗せて出発した。
「寒くない? めっちゃ濡れただろ」
「ううん、大丈夫だよ。ちゃんと拭いたし」
「そっか……本当ごめんな。無理言って……」
 ハンドルを握っている佐村は、昼間大変だったのに疲れた様子も見せず、いつも通りに穏やかな態度である。助手席のイチはそれを見て「本当に良い奴だな……っていうかお人好ひとよし」と心の中で呟いたが、もちろん有難かったし嬉しかった。
「ドライブスルーなんて久しぶりだな。通勤に車使わないし、出先でも行かないから……」
「それな。俺は歩きだし……たまに、人間ドライブスルーもあれば良いのにって思うわ。入るのめんどいときとか」
「ははっ人間ドライブスルーって」
 思ったことを何気なにげなく言ったら、予想外にウケたのでイチはまた嬉しくなった……。

「おなか、ちょっと膨らんで来たね」
 風呂上がり、寝間着ねまきにしている短めのTシャツを着て冷蔵庫から取り出した麦茶をガラスコップに注いでいたら、一人掛けのソファに掛け歯磨きをしていた佐村がそう言った。
「ああ、うん。いつもダボダボの着てるから、まだ知らん人にはバレんくらいだけど」
「はは。イチのゆるゆるファッション最強だよね」
 くすくす笑いながらそう言われて、イチはちょっと口を尖らせた。律子がTに来た時以来、ちゃんとした(?)服にはそでを通していない。
「……可愛い」
「え?」
 シャコシャコ、と歯磨きを再開した佐村がぽつりと言ったのに、シンクにコップを置こうとしていたイチは振り返った。すると、佐村はぽっと頬を染めていたので何だろうと思った。
「可愛いっていうの変かもだけど、おなかが大きくなってきたの見たら、可愛いなって思っちゃった」
「ブッ」
 佐村らしい感想だとは思ったが、恥ずかしくてイチは真っ赤になった。つまりは「愛しい」ということなのだと分かって嬉しいのだけれど、相変わらず素直に言葉にするよな、と思う。
「まあ、もっと大きくなったら、下腹ポッコリで太ったな、って思われそうだけど……」
「ポッコリは、俺も気をつけないと!」
「たまに『何ヶ月ですか?』って聞きたくなるようなオッサン居るよな……」
 男性が内臓脂肪で腹が膨らんでいるのと、妊婦の腹の膨らみは似ているようで違うのだけれど、確かそれを題材にしたインターネット・ミーム(ギャグ画像)があったな、と思ってスマホで検索し、佐村に見せた。
「あはは、何これ、可愛い」
「え!? 可愛くはねーだろ」
 佐村に見せたのは、話題にしていた腹が出ている中年男性が、腹に「マタニティペイント」をして頭に花輪を載せ、聖母のような微笑ほほえみを浮かべているのを花畑などで撮影した偽の「マタニティフォト」だ。爆笑画像として有名なものだが佐村は微笑ほほえましく思ったようで、イチは流石の反応だな、と思って呆れた。
「ねえ、これ、イチもやらない? お腹に絵描くやつ」
「は!? やだよそんなの……まさにこの画像みたいになるやん」
「そんなことないよ。イチはおじさんじゃないし……」
 突然そんなことを言い出した佐村は真剣な目をしていて、イチは墓穴ぼけつった自分を呪いたくなった……。

次のお話はこちら↓

前のお話はこちら↓


この記事が参加している募集

いつもご支援本当にありがとうございます。お陰様で書き続けられます。