【ショートショート】流しの両替商
私は財布の中を確かめた。
百円玉は二枚しかない。
これじゃ、足りないな。
衣類のいっぱい詰まった布バッグを床に置き、私はしばし、どうしようかと考えた。ここは家から徒歩三十秒の場所にあるコインランドリーだ。ちょっと古くさくて、一度に乾燥できる分量も少ないが、とくに不便は感じていない。
人の着古した衣類を盗むやつはいるだろうか。
まずいないだろう。
私は荷物を置いたまま、近くのコンビニに出かけた。なにか飲み物でも買って、百円玉でお釣りをもらおう。
千円札を出して、
「お釣りは百円玉でちょうだい」
というと、東南アジア系の顔立ちをした店員が呆然とした目で私のことをみた。
「現金はダメね」
「えっ」
「ペイペイはないか。クレジットカードでもスイカでもパスモでもいいよ」
「ないことはないが……いまは百円玉がほしいんだ」
「この機械、現金を入れることはできないね」
たしかにオートレジは、カードを使わないと決済できないみたいだ。いつからこんなことになっていたのだろう。
「みんな、ペイペイ使う。強盗やってこない。違うか」
「そうだけど……」
私は曖昧にうなずきつつ、商品を棚に戻した。
さあ、困った。
そういえば、私自身、いつも、スマホのお財布機能を使っているから、財布を取り出すのはひさしぶりだ。
あ、そうだ。銀行に行けばいいのではないか。
私はさらに歩いて、銀行に行ったが、
「うちには両替機は置いてないので」
とあっさり断られてしまった。
隣町まで行かないといけないそうだ。
「それから」と行員は付け加えた。「両替には両替機専用カードが必要になりますのでお気をつけ下さい」
小雨の降る中、私は途方にくれた。ドラッグストアやスーパーや、思いつく限りの店に行ってみたが、現金を扱っている店はひとつもなかった。自動販売機でさえ、現金は取り扱っていない。
いつの間にこんなことに……というより、むしろ、こんな時代に百円玉を要求するコインランドリーの理不尽さに腹が立ってきた。
なんであの機械は決済カードが使えないのだ?
雨の日に洗濯機を回してしまった自分を呪いたくなるが、はける靴下がなくなってしまったから仕方ないではないか。
打つ手がなくなり、コインランドリーまで戻ってくると、とんとんと背中をつつかれた。
振り向くと、首から大福帳をぶら下げた中年男がいた。
「お困りのようで」
「あなたは誰」
「流しの両替商でございます。両替いたしますよ」
「ほんとかい?」
「千円で百円玉十個。ただし、手数料三百円をいただきます」
「暴利だな」
「だって、銀行は両替手数料四百円ですよ」
なんて世の中だ。
私は歯がみしつつ、千円札を両替してもらい、四百円を乾燥機に放り込んだ。
四十分間、ぼろい椅子に座って考えたこと。
一、今後、雨の日に決して洗濯しない
一、靴下を買い足す
疲れた表情をしてコインランドリーにあらわれたお客三人に両替をもちかけたおっさんを見て、推理したこと。
大福帳をぶら下げたおっさんは、じつはこの店のオーナーなのではないか?
この推理、当たっている気がする。というのも、あれからもう一ヶ月たつが、現金が必要な場面になど、一度も出くわしたことがないからだ。
(了)
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