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【ショートショート】忘れ物

 地下鉄は暖かい。車内も駅の構内も。
 改札を出て階段を登ると、さっそく寒風が吹き荒ぶ。思わず立ち止まり、ポケットから手袋を取り出した。発熱する機能をもつ防寒手袋である。
 近くのミニスーパーまで歩いてから、ふと、右手がひどく冷たいことに気づいた。
 両手をみると、左手にしか手袋をしていない。
 取り出したときに右手の手袋は落としてしまったようだ。
 よく道端に片方だけ落ちている手袋を見つけて不思議に思っていたが、こういうことか。
 私はしばらく待つことにした。
 手袋にはアップルのエアータグに手を加えたものをつけてある。タグに足が生えているのだ。私から離れると自動的に追尾するように設定してある。
 どこにいるのか、iPhoneで確認しようとして、ポケットにiPhoneがないことに気づく。またやっちまった。きっとiPhoneも私を追跡している最中だろう。
 やがて右の手袋が追いついてきた。よちよちと必死で近づいてくる。
 私は腰をかがめて、手袋を拾い上げた。身体中からエアータグのじゃらっという音がした。
 なんでもかんでも忘れるものだから、持ち歩く荷物にタグをつけまくっているのである。
 右手に手袋をはめる。すこし寒さがやわらいだ気がした。
 さて、問題はどこでiPhoneを落としたかだ。
 たぶん買い物中だな。決済が済んで安心し、そのまま置いてきてしまったのだろう。iPhoneにはPASMOが入っているから、問題なく私についてくることができるはずだ。
 ディスプレイに「移動中」の文字をぴかぴか光らせ、iPhoneが歩いてきた。
「よしよし」
 私はiPhoneを持ち上げ、パスコードを打ち込み、さっそくデバイスを探してみる。長いリストを眺めていると、移動中のものがひとつ見つかった。帽子だ。
 帽子、どこで吹き飛んだのかなあ。
 いまは飯田橋を通過中とある。
 時間がかかりそうなので、先に家に戻ることにした。
 玄関の前で鍵を取り出す。鍵にももちろんタグをつけてある。鍵よりもタグのほうがずっと大きいが、大事なものだから仕方あるまい。
 私が玄関をがちゃりと開けると、居間のソファに腰掛けていたご主人様が、
「あっ、やっと帰ってきた」
 と言った。

(了)

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