<短編恋愛小説>あきらめアイ

「おめでとー! お幸せにー!」
 祝福の言葉と花弁が舞い散る。見知った顔が道を挟んで、左右に列をなしている。学生時代の同級生や職場の元同僚・上司が満面の笑みを浮かべている。私は、新郎のタケルの脇に腕を通し、笑顔のお返しをする。すると、左上から、小さな溜息が聞こえた。
「まったく、他人の事で良く喜べるね? あれって本心かな? 予定調和的な奴かな? スポーツの世界戦だけ、熱狂する奴みたいな感じ? 幸せだから、結婚するんだよ。ねえ? アリス? イテェ!」
「黙ってろ」
 私は、顔面に笑顔を張り付けて奥歯を噛み締める。周囲にばれないように、タケルの脇をつねった。
「この見世物感ハンパないね。パンダになった気分だ・・・イテエ!」
 周囲から笑いが起こった。私がタケルの足を踏んづけてしまい、よろめいたからだ。慣れない高いヒールでのご愛敬というていで、私は気恥ずかしそうに苦笑いをした。と、いうのは演技で、勿論わざとだ。タケルは、私を支えながら、何食わぬ顔で歩き出した。周りから見たら、冷静で臨機応変に対応するスマートな新郎に見えたのだろう。
確かに、その部分は、プラスな面だ。冷静沈着で、頭の回転も速い。動揺しているところを見たことがない。なんでも、そこそこ、そつなくこなす。だけど、視点を変えると、冷めているように見えるし、他人にあまり興味がない気がする。理論的で理屈っぽい。感情をあまり表に出さない。タケルのことを色々考えていると、褒めているのか、貶しているのか分からなくなってきて、少し笑えてきた。
「ねえ? アリス。やっぱり、ブーケトスって奴、やった方が楽しかったのかもね?」
「え? そうかな? でも、あんまり好きじゃないよ。売れ残り感がでちゃう気がするしね」
 タケルの耳元に唇を寄せ、囁いた。
「それが良いんじゃん? 必死に花に群がる感じが。人間がゴミのようだー! て、言いたかったのに・・・」
 腕を引いてタケルの体を寄せた。その時に左肘を突き出すと、彼の脇腹に直撃した。タケルは、体を屈め、悶絶している。周囲からは、さらに大きな歓声が沸いた。新郎新婦がじゃれ合っているように見えたのだろう。
「お前なあ・・・それは、さすがに痛いって」
「大丈夫? ごめんね」
 涙目になっているタケルに、心配するフリをして、口元を押さえた。あまり大袈裟に笑うと、心証が悪いだろう。タケルの仕事関係の方々もお見えになっているのだから。健気な妻を演じておかなければ。
 良い意味でも、悪い意味でも。私達の関係は、こんな感じだ。さすがに、度を越してしまうと、喧嘩になってしまうけど、その線引きは心得ているつもりだ。だから、タケルも怒ったりはしない。少しだけ文句は言うけれど、それで良いのだ。これが私で、これが彼だ。
―――だって、私達は、諦めたのだから。

「もう、別れようぜ」
 タケルにそう言われたのは、交際して丸三年目、同棲を初めて丸一年目が過ぎた頃であった。
タケルと私は、大学の同級生で、サークル仲間であった。大学四年になった時に、サークル仲間から、彼氏彼女の間柄になった。映画や小説のような劇的なドラマがあった訳ではなく、なんだか分からない内に、そういう関係になっていた。『ちょっと、買い物に付き合ってよ』くらいの気軽さで、ヌルッと交際がスタートした。だから、青春真っただ中の若者の特権である甘々の日々は皆無であった。憧れはあったけれど、私達はどちらも甘ったるい雰囲気を作ることが、すこぶる苦手だ。友達の延長戦上にいる二人ってのがお似合いだと、きっとタケルもそう思っていたに違いない。
 大学を卒業し、お互い社会人になって、一年が経過した時に、一緒に住むことになった。正確には、私が通い妻のような日々が面倒になって、特に許可を取ることも相談することもなく、勝手に居座った形だ。私の私物は、既に置いてあるから、後は持ち主が転がり込むだけのお手軽な感じであった。
そして―――同棲も一年が経過し、社会人としても少しは落ち着いてきた。近頃は、そろそろ『結婚』の文字が頭をチラつくようになっていた。
「ワカレヨウゼ?」
 私は、何故か片言で復唱し、頭を横に倒した。言葉の意味が理解できなかった。タケルは無表情で、私の顔を見つめている。その表情は、特別違和感もなく、いつもの通常の彼の素顔だ。私の聞き間違いだったかのように、平然としている。
「え? 何? よく分からないんだけど?」
「だから、別れようって、言ったんだよ」
 私は反対方向に頭を傾げると、タケルは気怠そうに後頭部を書いた。テーブルに手を伸ばしたタケルは、煙草に火を点けて、煙を天井に向かって吐く。ユラユラと揺れながら、立ち上る煙を目で追っていた。二人に見つめられた煙が、居心地悪そうに霧散した。
「ちょ! ちょっと! 待ってよ! どうして、そうなる訳?」
 茫然と立ち尽くしていた私は、弾かれたようにテーブルの前に座った。タケルと向かい合い、テーブルを叩きつけるように手を置いた。タケルを睨みつける私は、顔を寄せる。タケルは溜息を煙に混ぜて吐き、上体を後方へと引いた。いつもの面倒臭そうな態度を見せる。『少しは自分で考えろ』と、言わんばかりに、彼は無言で煙草を吸う。しかし、考えても答えは出てこない。いつも通りの、日常的な、休日の朝のワンシーンだ。いつも通りに、いつもの道を歩いていたら、突然車に突っ込まれたような感覚だ。どうして、車に突っ込まれたかなんて、分かる訳がない。私は道をそれていないし、前方不注意もしていない。運転手が悪いとしか、思わない。私は悪くないのに、突然奈落の底に突き落とされた気がした。
「ど、どうして、そうなるのよ? 意味分からないんだけど?」
 悲しみよりも、怒りに近い感情が芽生えていた。知らず知らず、声に棘が生えている。タケルが、首を振りながら、煙草を吸い続ける。ヤレヤレと呆れたように見えて、腹が立ってきた。
だって、いつも通りの朝だったじゃない? いつまでもダラダラとテレビを見ているタケルの周りをわざとらしく掃除機かけて、朝食で使った食器もテーブルに出しっぱなしだし。私はいつもいつも、食器くらい片付けてと口を酸っぱくして言っているのに、全然言う事を聞いてくれない。嫌みの意味を込めて、私の分の食器だけを洗った。そのことで文句を言って何が悪いの? 悪いのは、タケルじゃない? 全然、私の言うことを聞いてくれない。このことを早口で捲し立てた。頭の回転と舌の回転の歯車が噛み合わず、だいぶもつれてしまった。でも、私の想いはちゃんと言えたはずだ。私は悪くない。悪いのは、タケルだ。共同生活をしているのだから、互いに協力していくべきだ。

「そう。まさに、それだよ」
 タケルが、私を指さし、見つめてくる。
 どれだよ? 色々言って、どれのことを指しているのか、見当がつかない。
「私の言うことを聞いてくれないって何? アリスは、俺を支配したいの?」
「は? どうして、そうなるのよ? 私は、ただお願いしているだけじゃない!」
 感情が先立ってしまい、まるで叫び声のようになった。声の大きさに、驚いた。
「うん。つまり、自分がムカついたから、自分がもっと楽をしたいから、文句を言っているんでしょ? 俺の意思は度返しで、俺の言動を制限して、自分の思うがままに支配しようとしているよね?」
 そんなこと・・・支配だなんて。支配と言う言葉に、脳味噌が支配されたかのように、支配という言葉が、グルグルと駆け回っている。なかなかに、凶悪な言葉だ。そんなつもりはないけれど、出すべき言葉が見当たらない。
「アリスは、気づいていないかもしれないけど、最近日に日に文句が増えているよ。文句ばっかり言っていて楽しいの? 楽しい訳ないよね? 俺も楽しくない。楽しい訳がない。文句言われる為に生きている訳じゃないんだからね」
「で、でも。そんなの仕方ないじゃない? 共同生活なんだから、お互いルールは守るべきでしょ?」
 何故だか、すっかり意気消沈してしまい、キレの良い言葉が出てこない。
「それは、アリスの都合で決められたルールだよ。ルールと言うか、勝手に決められた命令だね。まあ、ちゃんと否定しなかった俺にも責任は、あるんだけどね」
 タケルは、立ち上がってキッチンへと歩いていく。冷蔵庫を開け、コップにお茶を注いで戻ってきた。私も喉が渇いていたけれど、『私にもお茶入れて』と、言えなかった。タケルは、元の位置に戻り、胡坐の上でクッションを抱く。
「俺はアリスの都合良く動けないし、動く気もない。アリスは、死ぬまで文句を言い続けるつもり? そんな人生下らないし、精神衛生上不健康だ。だから・・・」
 別れようと言うのか。苛立ちと悲しみがごちゃ混ぜになって、意味が分からない涙が溢れそうになる。奥歯を噛み締めて、ギリギリのところで涙を堪える。
「もう、私の事が好きじゃないってこと? 他に好きな人ができたの?」
「ん? 大好きだよ。他の女は、特に興味ないよ。そもそも、好きならなんでも想い通りにできるって発想が子供だよ。それは、愛情の搾取で、感情を人質に取ってるようなもんだ」
 返す言葉が見つからない。言われてみれば、私の都合でお願いして、聞き入れてもらえないとムカついて。私ばかりが損をしているような気になっていた。でも、実際そうだ。二人で生活して、二人とも仕事をしているのに、家事は全部私で、言ったことしかしてくれない。言ったことも嫌々こなしている感じで、腹が立つこともある。特に、近頃は、タケルの態度に腹が立って、文句ばかりを並べていた。でも、それは、全部タケルが悪いのではないのか?
 どうして、悪いのだろう? 私の思い通りに、動いてくれないからだ。これが、支配しようとしているということなのだろうか?
「今も私は悪くない。悪いのは俺だって思ってる?」
 心を読まれたみたいで、背筋がビクンと跳ねた。
「俺は俺だから。アリスの色には、染まらないよ。だって、それなら、俺じゃなくても良いでしょ? 最初からアリスの理想通りの奴か、言いなりになる奴を見つけた方が早いし、建設的だと思うけど?」
 タケルはお茶を口に含み、テーブルに両肘を置いた。両手で左右の頬を包んで、真っ直ぐに私を見る。私は真っ直ぐ向けられる視線から逃げるように、顔を背けた。
「性格の不一致。別れる理由としては、十分だ」

「・・・」
 本当に不本意なのだけど、自然と涙が零れ、私は慌てて涙を拭き取った。タケルは、そんな私を表情を変えず、平然と眺めている。私は素早くティッシュに手を伸ばし、目元に当てる。
「・・・私は、別れたくない」
「それは、俺も同じ。でも、どうしようもない」
 タケルは、呆れたように鼻から大量の息を吐き出した。
「アリスは、最初はそんなんじゃなかった。でも、一緒にいる時間が長くなるにつれ、欲が出たんだ。自分の想いを押し付けるようになった。我がままになった。我がままが加速すると、心配になるんだ。将来やアイデンティティが希薄になる。そして、不安になってくるんだ」
 静寂が降る部屋に、タケルがお茶をすする音が響く。コトッとグラスを置いた。
「そして、相手を責めるようになる。今がまさにこの状態だね。もう末期だ。今のままじゃ必ず破綻する。遅かれ早かれね」
 タケルの冷たい声を注射器で打たれたような感覚に陥った。血管に入り、体中を這いずり回るような寒気を感じた。
「私が、タケルの理想に近づけば良いってこと?」
 鼻を啜りながら、恐る恐るタケルを見る。結局は、タケルの愛情が冷めたのではないのか? 愛情が強い方が負けなのだ。失いたくない方が、言いなりになるしかない。すると、大きな溜息が聞こえた。
「ちゃんと、俺の話聞いてた? そんなこと一言も言ってないんだけど? 俺はアリスが大好きで、別れたくはない。でも、別れざるを得ないって話。それは、お互いの為にね。お互いの幸せの為にね。子供のままごとじゃないんだから、今この瞬間の感情論じゃなくて、二人の未来の話をしてんの」
 もう頭が、おかしくなりそうだ。いっそのこと、おかしくなった方が、何も考えずに済んで楽かもしれない。別れたくないけど、別れる? お互いの幸せの為? 二人でいた方が幸せに決まっている。少なくとも私はそうだ。タケルは大人で、私は子供なのだろうか? 大人と子供の違いっていったいなんなのだろうか?
 確かに、愛さえあれば、他になにもいらない。とは、思わない。そこまで、子供ではないつもりだ。生きて行く為には、お金が必要だ。お互いしっかり働いて、経済的にも自立している。それは勿論、タケルの方が稼ぎが良いから、金銭的には甘えている部分が大きいのは、自覚している。だから、家事は率先して頑張っているつもりだ。でも、少しくらいは、手伝ってくれても良いではないか。それも、甘えなのだろうか。
「お願いするのもいけないことなの?」
「お願いしている態度じゃないけどね」
 振るった刀を切り返されて、そのまま心臓を貫かれた気分だ。見事にカウンターが決まった。言われてみれば、特に最近は、苛立ちが増していた。責めるような言い方をしていたと言われれば、否定する余地はない。
「横柄な態度が、目に余るね。アリスは俺よりも立場が上なの? 偉いの? 懸命に努力をして、何かを成し遂げたの? 横暴にもほどがある」
 遠慮なく、配慮なく、叩きつけられて、もう顔しか地上に出ていない。本来なら、顔を隠したいのに、無様な顔を晒している。
 重苦しい時間が経つにつれ、息苦しくなってきた。確かに、言われなければ、分からなかった。言葉としての拒否反応がなかったから、私の意見が通ったものだと錯覚していた。私は、家事をやっているが、全てをやっている訳ではない。お風呂とトイレの掃除は、やってくれているし、ゴミ出しもしてくれている。私は、自分の負担を知らず知らずの内に、タケルに押し付けていた。いや、タイミングを押し付けていた。一つの物事を行うにも人それぞれのタイミングがある。私は、私のタイミングをタケルに押し付けていたのだ。『今、片付けて欲しい』とか『今、やって欲しい』などだ。そして、わざわざ、粗を探していた時は、なかっただろうか? タケルを攻め立てる材料を探してはいなかっただろうか? 考えれば考える程、体内に溜まったアクが、瞳からポロポロと零れ落ちてくる。タケルが、無言でティッシュ箱を差し出してくれたから、数枚引き抜いた。
 煙が充満した部屋。立ち上がったタケルは、窓を開けて、背伸びをした。私は鼻をかみながら、タケルの動きを目で追う。死刑の宣告を待つ囚人は、こんな気持ちなのだろうか。『お前はこの世に必要ないから、消えなさい』と。『お前は、俺の人生に必要ないから、消えてくれ』と。
 
しばらく、外の景色を眺めていたタケルが、ゆっくりと振り返った。私は、反射的に、体が震えて硬直した。
「俺はさ・・・アリスに文句言わないでしょ? 気づいてた?」
 タケルは、柔らかい口調で、目を細めた。私は、無言のまま首を左右に振る。
「どうしてだと思う?」
「それは、タケルが優しいから、我慢してくれていたんじゃないの?」
 今度は、タケルがゆっくりと、頭を振った。
「別にアリスが完璧で非の打ちどころがない女性だった訳じゃないよ。当然、嫌なところとか、納得できないところとか、色々あるよ。まあ、それが、限界に達したんだけど」
 もう、落ち込むしかない。更に、奈落の底へと落とすのか。
「諦めたからだよ」
「・・・は?」
 それは、いったいどういう意味なのだろうか? 言っても無駄だから、諦めたってことなのだろうか? 懸命に過去の出来事を思い出そうとするけど、何も心当たりがない。諦められる程、何かを求められた記憶がない。
「諦めるってさ、今の状態を受け入れるってことだよ。つまり、変化させず、現状のままでいるってこと」
 ミシッと床が軋む音がして、ハッと顔を上げると、タケルの優しい顔が目の前にあった。私は茫然と、タケルの瞳を見つめる。彼の瞳に映る私は、あまりにも情けない顔をしていて、思わず俯いた。
「俺はね、アリス? アリスの良い所も悪い所も、全部受け止めていたんだよ。受け入れていたんだ。でも、アリスは、変わってしまった。我がままになった。だから、もう無理だって、思ったんだよ」
 タケルは、そのまま、私を抱きしめた。すると、タケルの体が小刻みに震えているのが、伝わってきた。冷静沈着を装ってはいるが、タケルも焦っているのかもしれない。緊張しているのかもしれない。彼の喉元から、唾を飲み込む音が聞こえた。
「俺はアリスと、別れたい訳じゃない。でも、今のままなら、お互いの為にも離れた方が良い。アリスは、どうしたい?」
 涙が溢れ返ってきて、タケルのシャツを濡らしてしまっている。私は懸命に頭を振って、彼の体にしがみつく。
―――離れたくない。

「何、笑ってんの?」
 突然、頭上から降ってきた声に、意識が戻った。
 一年くらい前の出来事を思い出していた。
「内緒!」
 私は、満面の笑みを浮かべ、タケルの腕にしがみつく。彼はよろけながらも、しっかりと私を支えてくれた。
「さて、皆さんをお見送りして、二次会に行こう!」
 私は元気溌剌に、拳を高く突き上げた。
「ああ、お腹空いた! 二次会では、超食って超飲んで、日ごろの溜まったストレスを発散させなきゃ!」
「は? 溜まってんのは、俺の方なんだけど」
 タケルは、唇を突き出して、そっぽを向いた。盛り上がった気持ちが一瞬にして、下降していく。私は、また何かしてしまったのだろうか? タケルが嫌な気持ちになるようなことを知らず知らずの内に、やらかしてしまったのだろうか?
 タケルは、私を見つめたままゆっくりと接近してきた。相変わらずの無表情に戻っていて、何を考えているのか分からない。私はギュッと目を閉じた。タケルは、そっと私の腰に手を回し、耳元へ唇を寄せた。私は、体がビクッと、反応した。
「二次会ばっくれて、子作りしようよ」
 もうこれは、反射神経の良さとしか、言いようがない。
 気が付けば、私は、タケルのお腹をぶん殴っていた。

<完>



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