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アイディアとコンセプトは違う

さいきん、アイディアとコンセプトの違いの説明にこなれてきた感じがあるので、文章化してみる。書いてたらまたなんか発見があるといいなぁ。

アイディアとコンセプトは違う

アイディアという言葉はいろんな人が聞いたことのあるものだと思う。色んなことを思いつく人をアイディアマンと呼んだり(最近はあんま聞かないけど、死語化したかな…)。

コンセプトというものは、聞いたことがない人もいるかもしれない。

この2つはとても似ているけれど全然違う。

例えるなら、
ラグビーアメフト
ジャズロック
日本酒
焼酎
くらい違う。

この「いゃ、似てるんだけど、全然違うんだよ」具合がアイディアとコンセプトを使い分ける上での難しさになる。

例えば、ディズニーランドに行こう

アイディアとコンセプトの違いをわかりやすく表現する例え話に、ディズニーランドに行く話をよくする。

例えば、めっちゃパレードが見たい友達と、めっちゃアトラクションに乗りたい自分は一緒にディズニーランドに行っても一緒には楽しめない。
(会場入りしたら別行動したらいいじゃんとか、そういう話はしていない。)

この場合、
ディズニーランドに行く
というアイディアは一致しているけれど、
ディズニーランドで何をしたいか?
というコンセプトがズレている

だから、パレードの時間はアトラクションが空くから乗りたいけど、あいつはパレードが見たい。
という現場レベルでの悲劇が起こる。

「一緒に●●やろうよ!」がうまくいかない理由

コンセプトがズレていると、一緒に●●やろうよ!というアイディアが一致していてもうまくいかなくなる。そしてよく起こる。

逆に、全然違うことをやりたい(つまり、アイディアが違う)人同士でも、コンセプトが一致していたらうまくいく場合が多い。

めっちゃパレード好き同士なら、別にディズニーランドじゃなくても川崎のハロウィン行列を楽しめるかもしれない。

コンセプトはアイディアの中にある

じゃあさっさとコンセプトを見つけようよ、という話になるけれど、これが難しい。大抵の場合、コンセプトはアイディアの中に隠れているからだ。

わかりにくい例え話をすると(読み飛ばしていいよ、書きたくなっただけなので)ただのアイディアは大福で、コンセプトが隠れたアイディアはいちご大福なのだ。
いちご大福のプロなら、匂いとか僅かな形の違いから「お前がいちご大福だ!」と見抜くけれど、それは難しい。
大抵の場合は、とりあえず食ってみないとわからない。たくさん食べるうちに、これはいちご大福っぽいぞ、ということがわかるようになってくる。

それがアイディアなのかコンセプトなのかを見極められることが企画を仕事にしている人の専門性だと思う。

問いかけながらコンセプトを探す

アイディアの中からコンセプトを見つけるには、適切な問いを投げかけるのが一番いいと思っている。というか、それが僕の今のスタイルになってきている。

「なんでそれをやりたいの?」
「それのどこにワクワクするの?」
「今までのとどう違うの?」
「それ、やっててなんで楽しいの?」

こういう質問を重ねていくとまるでツルハシが岩に当たった時みたいに「カチンッ」と音がするように答えが止まる瞬間が来る。
そう、いちごに当たったのだ(さっきのわかりにくい比喩より)。

アイディアは広げる、コンセプトは深める

カチンッと、質問というツルハシを使ってアイディアの山の中から掘り当てたものがコンセプトだ。ただし、多くの場合コンセプトの原石というような状態にある。

つまり、そのまんまじゃまだコンセプトとして不十分。

コンセプトは、人によって比喩が違うけれど磨いたり育てたりするものなのだ。もっともっと、さっきみたいな質問を重ねて精錬していく必要がある。

先にイメージから話すと、
アイディアは多くの人に届けるために広げる必要がある。まるで大きなテーブルクロスのような、パッチワークのようにつなげていくものだ。
コンセプトは「ステキなアイディアAと素晴らしいアイディアBがある。2つ同時にはできない。どうする?」という時にぶつける試金石のようなものだ。つまり、強度が求められる。
素晴らしいコンセプトは、どんな難関にも立ち向かえる強さがある。そして、強さはシンプルな姿の中に宿る。

この辺は僕の美意識が反映されているから違う意見もあるかも。あったら聴きたい。

つよいコンセプト

いいコンセプトはつよい。では、つよいコンセプトとはなにか。

それは、誰にとっても明確な基準になりえるものだ。
そして同時に「なぜそのコンセプトなのか?」という問いに答え続けられるものでもある。

例えば、有名な建築家のこんな言葉がある
「神は細部に宿る」
これはとてもつよいコンセプトだと思う。

荒いけど早いし安いA案と、時間かかるし高いけどきめ細やかなB案があった時、この「神は細部に宿る」というコンセプトの人たちはどっちを選ぶだろうか?
迷う事なくB案を選ぶだろう。

他には、プレゼン動画で有名なTEDの「ideas worth spreading」がある。和訳すると「広める価値のあるアイディア」で、そのために何をするのかといえば、いろんな分野のアイディアを持つ人のプレゼンを聞いたり、動画を配信したりする。

コンセプトをさがす究極の質問は「なぜ生きるのか?」

さっき、つよいコンセプトには2つの条件がある、と書いた。

1.誰にとってもわかりやすい基準になるもの
2.なぜ?という問いに答え続けられるもの

この2番の理由はこうだ。

コンセプトを掘り当てる質問を繰り返していく。いろいろな角度から、時に共感しながら、時に否定しながら。
ただ、どんな質問を重ねても結局のところ1つの問いに収束していく。

「なぜ生きるのか?」

あなたという命はどこから、どこへ向かっていきたいのか。なぜ、なぜ、なぜ。
極端な話、この1つの質問に答えられればコンセプトは見つかる。コンセプトの理由の先に生きる理由が重なってくる。

だから「なぜそのコンセプトなの?」という問いにも答え続けられる。

ただ、多くの人はこの問いの答えを持っていない。

それは、考えたこともない人から、言葉にできずにいる人、予感を感じている人。さまざまにいる。

コンセプトを探す道のりは、だから苦しいしめんどくさい。できることなら、誰かのコンセプトをコピペして生きている方が楽だ。

「会社のために働きます」
「お国のために命を捨てます」
「親のために頑張ります」

こんな風に、世の中にはコピペしやすいコンセプトがたくさんある。自分のコンセプトを持たないのも自由だし、探すのも自由だと僕は思っている。
ついでに、誰かのコンセプトをコピペして生きるより、自分のコンセプトを持って生きる方が、辛くて苦しいけど生きてる実感があると思っている。

誰かのアイディアは誰かのコンセプトかもしれない

例えば、おいしいコーヒーを飲みたい、というアイディアがあったとする。

僕にとってこれは、ただのアイディアかもしれない。でも、ある人にとっては大切なコンセプトかもしれない時がある。

それは例えば、毎日コーヒーを飲んで自家焙煎までしちゃうようなコーヒー好きにとって、一杯の究極のコーヒーに出会うことは無常の喜びだろう。
世界を巡りながら、どの国のどの農園の誰のコーヒー豆はどう飲むとおいしいのか探求する時に「おいしいコーヒーを飲みたい」は立派なコンセプトになる。

なぜなら、その人にとって生きる理由はおいしいコーヒーを飲むことだからだ。

たかがコーヒー好きなどと笑うなかれ。
他人のコンセプトをコピペしながら生きてる人より、究極のコーヒーを求めて探求する人の方がよっぽど生産的だし面白い。

課題…組織のコンセプト

今のところアイディアとコンセプトを見分けたり、コンセプトを掘り当てて磨くところまでは自分の中でメソッド化できてきた感じがある。
で、次に感じている課題がこちら。

コンセプトが「なぜ生きるのか?」という問いに収束するのなら、組織や集団にとってのコンセプトはどうなるのだろうか?

特に、起業家が立ち上げたスタートアップのようなトップダウンでコンセプトを決めるのではなく、すでにある組織の中からコンセプトを生み出すにはどうすればいいのだろうか?

会社でも、自治体でも、NPOでも。
僕の周りにはコンセプト難民な組織がたくさんある。それらを外からコンセプトを輸入するのではなく、内面からコンセプトを生み出すにはどうすればいいのだろうか?

アイディアとコンセプトの違いについて、自分なりの考えを持った次に当たったのはこんな壁でしたとさ。
あぁ、楽しい笑

おまけ

この文章の中のコンセプトという言葉は、ミッションやビジョンと言い換えられる。また、信念や方針と言う人もいる。表現なんていくらでもあるなー、と思ってます。

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