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アスリートとコミュニティの関係性

「どうすれば、もっと上手くなれるか?」

勝利に直接関係する問いは重要です。

でも直結する問いと活動の一辺倒だと、場がチームの中だけで閉じてしまって、保護者や地域の人が関われる余地がない状況も生まれやすくなります。

甲子園の地方予選を見ていても思うのですが、周囲から応援されるチームは想像以上の力を発揮することがありますよね。

ピッチやグラウンドに立つのはもちろん選手たちなわけですが、お父さんやお母さん、選手のクラスメイトや担任の先生、過去に関わりのあった方々や地域の人たちが試合会場に駆けつける「コミュニティ」となる。

そのコミュニティが選手自身や選手間の関係性を変えることにつながり、パフォーマンスの向上にも影響します。



ずっと影響を受け続けている東海林先生から書籍をいただきました!第6章が先生の担当ですが、他の章も読んでみたいと思います!ありがとうございます!!

選手自身が「スポーツそれ自体が楽しい」と感じる体験をすることと、選手を取り巻く「良いコミュニケーションのある関係性のある場を作る」ことであった。「スポーツそれ自体が楽しい」と感じあえるチームは、「上手になるためには」「勝つためにはどのようにするとよいのか」ということを主体的に考える集団になっていく。また、選手自身が広い視野で思考し、仲間との協力を生み出せるチームは、試合の随所で発生する課題に関しても、建設的な考えや前向きな態度で振る舞うことができる。そしてこうした態度は、競技が行われるコートのなかだけでなく、練習会場や試合会場全体、応援者だけでなく試合相手、さらにさまざまに支えてくれる人たちにも伝わるから、周囲からも応援されるチームとなっていく。

ヒューマンサービスとコミュニティより

スポーツの世界において、チーム内のコミュニケーションが重要であることはこれまでも十分に指摘されてきた。トップアスリートが所属するチームにおいても、これまでのコミュニケーションは勝利に直接関連づけられる「内部」との関係性を志向するものであり、それを「外部」も含むコミュニティを作り、そうした広い関係性のなかで活動を行うという視点は乏しかった。もちろん、トップアスリートにとって勝敗は何より重要なことに違いない。しかし、その勝敗のみを起点にコミュニケーションを捉えることは、ともすればチーム外や社会への視界を遮ることになり、このことは結果としてチームのパフォーマンスや選手自身にも影響するというジレンマにつながりかねない。

ヒューマンサービスとコミュニティより

日本のアスリート観は、ともすれば、禁欲的鍛錬による目的達成を目指す存在として見られがちであり、競技力を高めるには、苦しさを伴う修行を乗り越えてこそ価値があるという風潮が根強く残っていると思われる。そのために、苦しさや悲しさなどを含むネガティブな感情を表出することはご法度であり、アスリートは弱さを見せてはならない、いつでも強い存在でなくてはならないという、周囲からの役割期待や自身の内的規範がある。他方においても、アスリート自身が主体的にコミュニティに関わり、コミュニケーションを高める場面においては、常に」強い個人」を見せ続けることは困難となるから、さまざまな課題を抱えた「弱い存在」であることをも共有することにならざるをえない。このことは、とくに勝利至上主義が色濃く残る今日において、強さを求められたトップアスリートにとって躊躇することといえるかもしれない

ヒューマンサービスとコミュニティより

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