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MANABIYA Report vol.14【石原凌河さん】

2018.04.24(火)19:00~21:00
00.Work Shop space & Office
災害という想定外に備えて
~防災から始めるまちづくり~

龍谷大学政策学部 講師 石原 凌河さん

◆プロフィール

1987年京都府宇治市生まれ。関西学院大学総合政策学部卒業、大阪大学大学院工学研究科博士前期課程・同博士後期課程修了。専門は地域防災、災害復興、持続可能な都市・地域への再生。大阪府立大学地域連携研究機構、人と防災未来センター研究員等を経て、2016年4月から現職。
NPO法人リスクデザイン研究所理事、自治体の各種会議委員や地区防災計画・避難所運営訓練等のアドバイザーを兼任。

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◆イベントのねらい

 安全と思われていた阪神地域、1000年に一度の津波、連続する本震
災害は私たちの『想定外』で起こります。防災とは『想定外』を出来るだけ『想定内』にすることだと思います。幸い私たちが住む瀬戸内は気候に恵まれ、大きな災害も非常に少ない地域です。でも、何か起こったとき『想定外』と『想定内』との差が激しく思わぬ災害を引き起こす可能性があります。
 Guestspeakerは龍谷大学でゼミ生とともに学び研究をされている石原凌河(りょうが)さんにお願いしました。柔らかな笑顔を持つ石原さんの中に眠る“防災に対する熱い想い”を感じながら、日常のひとときに非常時を考えてみませんか。石原さんは地域の方々とワークショップなどを通じて『防災』と『まちづくり』について話し合い、地域に応じた防災まちづくりを実践されています。

チラシ vol.14 石原凌河 01

チラシ vol.14 石原凌河 02

1.たどり着いた先は『防災』

1)防災と関りながらもまちづくりを目指す
関西学院大学に進学し建築に興味を持ち始めた石原さんは、学内で防災や建築に精通している室崎先生のゼミに参加しました。大学では建築や防災について学びましたが、次第にまちづくりに興味を持つようになり大学卒業後は大阪大学大学院に進学しました。その後、インターン先の建築事務所が気に入り、就職試験を受けますが、最終面接で不採用になりかなり動揺されたそうです。そんな気持ちを抱えたまま、石原さんは3.11を研究フィールドである徳島県阿南市で迎えました。

(2)防災に目覚めた東日本大震災
阿南市は太平洋に面するまちで、東日本大震災では大津波警報が発せられました。石原さんは、まちの人たちと一緒に高台避難をしがら、防災を学んだにも関わらず災害時には何もできない無力な自分を痛感しました。その後は取りつかれたようにボランティア活動に奔走し、大学の博士課程を経て「人と未来防災センター」に就職しました。そして、大阪府立大学の特任教授を経て現在は龍谷大学で『防災』について実践・研究されています。

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2.防災の経験者として伝える

(1)東日本大震災
石原さんは東日本大震災で被害を受けた陸前高田市に訪れたそうです。すべてが壊滅状態の都市を見て、防災に携わる研究者として衝撃的を受けたとおっしゃいました。その経験を経て研究フィールドである徳島では、ハードに頼る防災ではなく防災マップなどを利用しながら地域の防災力を高めるソフトを中心とした防災を地域の人たちと取り組んでいるそうです。

(2)平成24年京都府南部地域豪雨災害
平成24年の京都部南部地域で起こった豪雨災害では実家周辺が被災されたそうです。ボランティアの方々が地元に来る光景は石原さんにとって災害を自分事とするのに十分な出来事でした。
災害が起こったのは8月で、夏の暑い時期に孤立した集落に配布された食料は食中毒の原因となりました。この事例から人的支援が二次被害を生むリスクを学び、現在は被災した行政に対しアドバイスを行っているそうです。

3.防災の専門家が考える「防災」の疑問

(1)どこまでが防災なのか?
a)日常に潜む防災
まちづくり活動は公共空間を主体とするものが多くあります。公共空間に多くの人が集まれば災害を受けるリスクは高まります。例えば、水都大阪のようなイベントでは高潮など水辺に関する危険性を認識する必要があるとおっしゃいました。

b)防災は自然災害だけが対象なのか?
防災と言えば自然災害を想像しますが、防災という言葉には自然災害だけでなく、事故なども含まれます。実際、交通事故は自然災害より亡くなる方は多いのですが、防災といえば現実は自然災害にフォーカスしています。また、自然災害においても、風水害は毎年ありますが、地震や津波は頻繁には起こりません。しかし、ひとたび起これば大きな死者数を記録することがあります。一括りに『防災』と言っても違いを認識することが大事だということを学びました。

(2)防災対策をすれば災害から命が守れるのか?
a)防災を必要とする人とは?
被災している人の傾向として高齢者や貧困層などが多いのですが、普段の生活がままならない人たちに防災活動を勧めるのは無理があります。また、防災グッズは被災時に生き残っていることが前提となっているため、「防災対策をすれば災害から命を守れる」と言い切れないところに防災の難しさがあるとおっしゃいました。なかなか難しい問題だと思います。

b)知らしめることによる問題点
南海トラフ巨大地震は3つのプレート型地震が同時に起こった最悪のケースをシミュレーションしていますが、3つが同時に起こるかどうかわかりません。わからない中で、絶望的な数字を提示されると住人は防災活動を「諦めて」しまう恐れがあります。また、高台避難を推奨し事前に高台へ移り住むように行政は施策を行いますが、費用が負担できない生活弱者は高台に避難できず取り残される状況になってしまっています。このような事例は知らせることだけが正解ではないということを教えてくれています。

(3)立場によって異なる被害の許容度
東日本大震災で遺族の方と話された石原さんだからこそ、被災者と研究者の視点による防災の違いについて教えてもらいました。
遺族の目線で話すなら、「被害を許容するなら、親族の死は許容できません」しかし、研究者目線では「すべての人を救うことはできない」と言えます。この違いは乗り越えることが出来るのか?本当に難しい課題だと思いました。

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4.目指すステージは「防災とまちづくりの架橋」

(1)防災を自分事にする
石原さんは自分で出来ることから始める防災として「生活防災」について話してくれました。例えば、堤防沿いの花見は人が集うことで土を締固め堤防を強固にしていますが、そこに防災の意識はありません。また、私たちが日常的にやっているバーベキューは避難生活と類似した体験ができます。何気ない普段の活動の延長上に防災があるということを教えてもらいました。
「夢と防災」という取り組みがあるそうです。子供たちが持つ将来の夢、その夢に防災がどうかかわっているか?それを想像することで防災を身近に感じてもらう取り組みです。さまざまな視点から防災を自分事にする取り組みを紹介してもらいました。

(2)歴史・文脈を読み取り伝える。
防災を考えるためには、過去の事例を振り返ることも大切です。例えば、東日本大震災があった地域では、神社は津波被害に遭っていない高台に祀られ、お神輿の巡行路が津波被害の境界線になっているなど、昔の人は建物や行事に災害の記憶を遺してくれています。一方で、私たちが作った未来に遺すための「震災遺構」が災害の記憶を伝えきれていないこともあります。阪神淡路大震災の遺構を伝える目的でつくられた神戸港にある震災メモリアルパークは人々に認知されず、その機能をはたしていません。
震災遺構の難しさは過去に寄り添う「追悼」、未来に伝える「歴史・教育」、現存させる「まちづくり、経済」が複合的に絡み合っているところにあるとおっしゃいました。

災害時にはどうしても遺そうという動きが起きますが、時間を経て震災を伝える施設になることもあるようです。例えば、新潟県中越地震では被災した家屋が解体せずに残っていたところ、12年後に震災遺構になりました。また、90年前に起こった北但馬地震の復興建築がリノベーションにより若者やよそ者が集い震災の歴史を共有するきっかけになっているそうです。
震災遺構はモノがあるだけではなく、そこにある理由を語りかける意味を持たないと成立しない。とても大切な視点です。

(3)事前復興
事前復興という考え方があります。あらかじめ起こりうる災害を想定し、災害に対する基本方針から実行方針までを事前に計画しておき、災害時が起こっても地域の営みを継続させることを目的とします。
災害は地域の課題を顕在化させる機会であり、事前復興とは許容する範囲を関係者が決めていく作業です。石原さんは事前復興のプロセス自体が「まちづくり」の一つでは?と考えました。そして、その第一段階として被災経験をひも解く作業から始めることが大切ということを教えてくれました。

5.価値観の転換点

(1)より良い復興とするために
Build Back Better(よりよい復興)
この言葉は第3回国連世界防災会議での採択文書「 仙台防災枠組 2015 2030 」で提示されました。よりよい復興を目指すために、石原さんは防災ツール(マップなど)が充実しても実際に住民が使う道具となっていないのではないか?与えるのはなく、共に作る活動が大切なのではないかと考えました。そして、共に考えるための事例を2つ紹介してくれました。

①心配性バイアス:見知らぬ人より大切な人から命の心配をされることで防災に取り組みきっかけになります。(例えば、大切な子ども、両親が被害にあったら?と考えてみること)

②津波てんでんこ:「てんでんこ」というのは三陸地方の言葉で「てんでばらばら」という意味です。まずは自分が逃げることを考える。そして、それぞれが自分の命を守るために最善を尽くした結果、他の人の命が失われても自分を責めてはいけない、という意味が込められています。この言葉に想いを馳せることで、自分が助かることや他人を助けることについて考え。亡くなった人から逃げたことがよかったとメッセージを感じ取れる機会を作ることが出来ます。

(2)「目指す防災」から「過ごす防災」へ
“防災”と“まちづくり“に携わっている石原さんだからこそ、防災の考え方に転換が必要だと感じているそうです。それは、建物の耐震性や自主防災の組織率など結果や状況を求める「目指す防災」から隣の人の顔が見える関係性の中の防災、「過ごす防災」です。この視点は防災に限らず”まちづくり“でも目的志向型(=指す)から価値共有型(=過ごす)に価値観が転換している時期であるとおっしゃいました。

命に係わる防災をどれだけ考えることが出来るか?最後に石原さんの言葉をつづります。

「本気」で学ぶ、「本物」にこだわる、「本場」で考える

◆教えて!石原さん(質疑応答)

Q いまの“まちづくり“には都市計画・建築・景観のデザインだけではなく、生業・防災・祭りなど多様な視点が必要となっていると思うが、どう考えているか?
A  まちづくりの視点が変ってきている。都市基盤が不足していた時期はモノを必要とする時期であり建物、道路など都市計画の分野において行政が主体となりまちをつくっていった。現在はモノが整備された中で質を高める、あるものを使うと言う視点から市民が主体となり価値観を共有する時期にきている。KIITOに代表されるように用途が指定されてなく、使う側が参加のプロセスを経て建物を使っていく、まちを使っていくようになってきている。

Q  昔ながらの狭い路地があるまちは防災の問題意識を住民は持っている反面、好ましい街並みとして映る。このギャップをどう埋めればよいか?
A  課題の解消に「土地区画整理事業」など市街地開発事業が行われていたが街並みを残すことは出来ないし、完了時に100%を求められている事業である。現在の事例として神戸や京都で行われている「まちなか防災空地事業」は空いた土地を徐々に空地にしていく漸進型事業であり、最初から100%を求めていない。また、空地を黒板のように活用するなど様々な余白を残している。

Q  地域のコミュニティに属していない高級分譲マンションの住民を避難所はどう受け入れたらよいか?
A  自助でやっていける人は避難所に来ずに自分でホテルや地縁を求めて避難をすればいい。災害時に避難所は人であふれかえっている。輪を作っていない人まで気を遣う余裕はないのではないか?普段から輪を作り続け、それに賛同する人を徐々に広げることしかできないと考えている。

Q 「生活防災」を取り入れるにあたって価値共有型としてみんなに自分事のように取り組んでもらうためにより具体的な方法を教えてほしい。
A  地域に対する活動全般が防災に結び付いていて、その活動をどうやって防災に意識付けできるかだと思う。具体的には防災キャンプなど、視点を防災に向けることが大事。価値共有形であると同時に「本気」の迫力が周りを巻き込む力を生んでいくと考えている。

Q  インバウンドが増えている中で観光客に対する防災をどのように考えればよいか?
A  地域の住民は小学校や中学校に避難している。観光客は地域とは違った場所での支援が必要であり、京都では龍谷大学や水族館などが受け入れ施設となっている。但し、表示についてはそこまで整っている状況ではない。                                          

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◆振り返り

1.主催者の感想
今回のテーマは「防災」でした。僕自身、東日本大震災で石巻の支援に行った経験から、とても思い入れのあるテーマです。反面、大上段的に物事を語りそうになるジレンマもあり「防災を自分事に」と言ってもなかなか日常の生活に落とし込む難しさを感じていましたし、自分自身も日常には落とし込めていません。また、当事者ではなく被災後の現地に入った人間としては防災というより復興のプロセスに疑問を持っているだけで、災害時の混乱や命の確保など、防災の大切な部分に対して想いを持っているわけではないことも、防災に関して積極的に取り組めていないことかもしれません。

今回の石原さんのお話は命の大切さ、本当に支援を必要としている人たちへの配慮、防災が持つジレンマ、伝えることの難しさ、復興の本質などすべてを余すところなく話していただいたと思います。印象的だったのは大上段に構えそうな「防災」という学問に対し常に疑問を持ち、僕たちにもわかるように表現する姿勢でした。そして、マイナス的に思考しがちな「防災」を常にポジティブにとらえようとする眼差しでした。それは、石原さんが防災を目的とせず日常を過ごすための手段として「防災」を捉えているからかもしれません。

今回のお話は僕自身も目からウロコの話がたくさんあり、とても刺激的な回となりました。そして、土木技術者としては震災復興で土木が果たして来た役割に誇りを持ちつつも、人々の生活に根差さない大規模な構造物に憂いを持っていました。でも、石原さんの前向きな姿勢をみるとその土木構造物にどれだけ意味(meaning)を持たせるか?そして、住民とその意味を共有するプロセスづくりこそが取り組むべきことだと思いました。
石原さんが言う「防災とまちづくりを架橋する」という考え方。同じまちに対し違う目線を持ちながらプロセスは実は同じというところがすごく勉強になりました。防災は「迅速に日常生活に戻す」に対しまちづくりは「日常生活の質を高める」。流行りの横文字を使うとレジリエンス(防災)とサスティナブル(まちづくり)という感じなのかなと思います。

社会がシステマティックになり、実生活や思考に余白がなくなりつつある現在、特に防災という命に係わる部分には余白を持ち込む余地は少なそうに見えますが、そこに余白を見つけ違う価値観を少しずつ広げていく石原さんの活動はとても素晴らしいことだと思います。

石原さんは出会うたびに僕に刺激をくれる人であり、今回も大きな刺激をもらえました。また、いろいろな分野の人と話すことの楽しさを再認識することが出来ました。(藤輪友宏)

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2.参加者の感想
私自身、東日本大震災のとき、関東に住んでいたのですが、当時は知識もなく、備えもない中で幼子を抱え、不安な日々を過ごした経験があり、それ以来、自分が出来る範囲で防災・減災に取り組んでいました。周りの大切な人々、当時勤めていた会社のメンバーなどに“少しでも自分事として捉えてもらうにはどうしたらよいのか?”と考えていたとき、先生のお話を聞くことができました。

日常やっている些細なことの中にも、防災に繋がることもあると認識しました。

お陰様で、災害に関する対策を全くしてなかった当時の会社で災害対策チームを発足し、災害時を想定したシミュレーションを行い、ガイドライン作成・組織体制・連絡網・事業継続計画などを確立することができました。また災害マップなどを用い、メンバー全員への周知、会社オリジナルの防災手帳を作成し、全員への配布も行うことができました。

このような貴重な機会をいただけたことに感謝しております。

株式会社ワンピース/別府 純子さん
※参加時の所属で表記しています

vol.14 別府純子

全部で7051文字でした。(タイトル除く)

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