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日常の土木

土木職の公務員1,2年を主体とした研修を見学する機会を得た。
採用直後の若い職員はやはり「まじめだな~」と思った。
授業もしっかり聞くし、演習もまじめに解く。
こんな子たちを見てよく思うのは、
「公務員って、いつの間に理屈をこねくり回すようになってしまうのだろう?」
「自分も住民なのに、いつのまに住民対策とか言い出すのだろう?」
と思う。

そんな風に研修を眺めながら
ふと気づいたことがあった・・・・。

「土木の話題って災害ネタが多いなあ~」

台風による被災によって川が氾濫し、まちが浸水したため川幅を広げポンプを設置した事が事例紹介として挙がっていた。確かに、生活基盤を支える土木としては「人の命を守る」というのが根っこにあり、それを若い人たちに知ってもらうことは良いことだと思う。

でもそれだけでいいのか?

あまのじゃくが僕の思考を動かしていた。
そして、事例紹介のあとの現場視察

・川幅が広くなった河川
・一分間に25mプール一杯分の水を吐き出すポンプ

どちらも次の災害を起こさないという強い意志を感じた施設だった。
でも・・・・どこかで他所事のようにも感じた違和感
ただ広い川幅、直線的な堤防、無機質なその河川が周辺の風景と切り離されているような気がしてならなかった。

川がかわいそう・・・・

あまのじゃくが更に僕の思考を回転させていったとき、
ふと、場づくりのエキスパート達(大阪府立大学の武田先生、広場ニストの山下さん、ハートビートプランの園田さん、龍谷大学の石原先生)が言っていた言葉が思い浮かんだ。

「meaning」
場所に意味をもたせる

土木技術者は災害という非常時でしか、河川に対し意味を見出していないのではないのだろうか?
非常時に水を流すという機能のみに着目して河川を見つめ整備してはいないのだろうか?

僕にはどこか河川や水を自分たちの生活と切り離して考えているような気がしてならなかった。

日常にある河川に意味(meaning)を持たす。
日常の中に土木を溶け込ます。

それこそが、僕が常に疑問を感じていた土木技術のあり方に対する答えではないのだろうか?と思った。
そして、僕も含め周りがそうなっていない状況に悲観してひとり川を眺めていた時、広くなった河川空間を数羽のツバメが気持ちよさそうに舞っていた。

僕は思った、
悲観することは無い、ツバメは広くなった川を自分なりに使いこなしている。
だったら、僕たちもその広くなった川に日常の意味を見つけ使いこなしを考えていけばいい。

だから僕は思う、
どうやったら日常に土木技術者が意味を見つけ溶け込ますことが出来るか?

河川は水を流すだけでなく、人々の生活と繋がった空間だと。
道路は人が通るだけでなく、さまざまな触れ合いが起きる空間だと。
橋は何かを越えるだけではなく、そのマチの顔になる施設だと。

事例だってある。
何かをくぐるという役目を終えたトンネルは、素敵なコンサートホールとなり、人々を魅了する空間となっている。

そう思いながら、地元に戻りまちなかを歩いていたら、誰が作ったか知らないがアーケードの柱にある小さなテーブルで、学生たちがコンビニで買った焼きそばを食べていた。
一人の学生が、道路の溝を使って湯切りをしていた。
その何気ない行動が僕には衝撃的だった。

「道路の溝って雨の水を流すもの」

そんな僕の固定観念をぶっ潰してくれた。
学生は自分たちの目で現実を捉え、使いこなしをしているじゃないか!
既存の価値観を押し付けないでも、若者にはその場をとらえ使いこなす力はある。

僕たちは、その力を大切にしてあげないといけないし、自分たちも現場に飛び込み場を読む力を育てないといけない。

少しづつ、僕が思う土木技術というものの輪郭が見えてきたような気がした一週間だった。

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