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アルマ・カルリンを訪ねて~2022スロヴェニア紀行④~

レースで4位になってしまったが、悪いことばかりではない。なぜなら表彰式に出る必要がなくなったおかげで予定より2時間近く次の目的地「ツェリェ(Celje)」にたどり着くことができたからだ。

レース会場からバス停まで急ぎ足でキャスターバックを引き、たどり着いてしばらくするとリュブリャナ中央駅行きのバスが。素晴らしいタイミング。

飛び乗って一息。レース中から降り続いた雨も何処へやら、リュブリャナにつく頃には夏を思わせる日差しが溢れていた。

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ツェリエへ


途中の道路混雑で、電車の乗り継ぎはなかなかタイト。最終的にマリボル(Maribor)に行くのであれば、途中駅のツェリェは事情を説明すれば途中下車できると事前にアドバイスをもらったのだけど、その説明をするよりも手堅く行くことにした。乗車券売り場でツェリェまでの切符を求める。

改札を挟んで反対にマクドナルドがあるので、そこでテイクアウトをし、電車へと向かう(こんな時に限って、改札から離れたホームで再びキャスターバックを引いて小走り。ヤキモキしながらエレベーターで地下におり、別のエレベータに乗り換えホームへ)。

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ヨーロッパの電車は難しい。指定席があったり、必要なかったり、ホームのどこにど止まるか来てみないと分からなかったり。正直、電車に乗るまではあまり得意ではない。幸い、僕が乗る電車は座席指定のないタイプの電車だったので空いてる4人掛けに腰を下ろす(皆同様で、コロナ禍だからというわけでなく、思い思いにゆったりと座っている)。

腹を満たして一息。
景色を眺めながらのんびりと過ごす。

今回の旅は電車やバスの移動が多いのだけど、この移動の多さと車窓から眺める景色とは僕に思わぬ効用をもたらしたように思う。現在地と到着駅までの時間がよくわかならないこともあって、ただただ景色を眺めたり、淡々と過ごすことを以前より受け入れられるようになったように思う。流れる景色を眺めながら色んな想いが頭をよぎり、2時間弱ほど経つと、ツェリエに到着した。

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ツェリエ訪問の理由

ホームに降りると車掌に向かって「日本人見た??」と訪ねる人の声が。
もちろん、僕のことだ。
事前に乗る電車を伝えていたので、ホームまで迎えに来てくれたのだ。

今回ツェリエの街を案内してくださるBarbara(バルバラ*名前は僕の聞こえているように表記している)さんだ。6月末〜の赤坂でのアルマ・カルリン展以来の再会だが、今回の渡航までの間も度々やりとりをしていたので、僕の訪問をとても楽しみにしてくださっていた。

ツェリエ訪問の理由は、アルマ・カルリンの故郷であり、彼女に関する博物館があるだけでなく、バルバラさんはその研究の第1人者。そのバルバラさんにアルマ・カルリンに関しての諸々を案内していただくためだ。

なぜ、そうなったかというと彼女の研究の中で、アルマの台湾滞在時に縁のあった日本人がいるのだけど正体がわからない人がいる(アルマの著書の中でも"Mr.I."と表記)。から、「もしわかったら面白いよね!」って、アルマ・カルリン展でお話しされていて、僕の性格上、そういうことがあると調べてみたくなったのだ。

僕は学生時代史学科で、現在母校の同窓会の役員をしている。そこで同窓会を通じて大学に問い合わせてもらうと、なんと、台湾史に精通している教授がこの春から在籍している事がわかった。なんという偶然!!早速、その先生のもとへ手元の資料を持って事情を説明に伺うと、早速台湾総督府の名簿などを調べてくださったり、参考になりそうな資料を教えてくださった。

というわけで、いつの間にか僕は学生のように台湾関連の歴史資料やアルマ・カルリンの資料を読み込むこととなり、また、バルバラさんと大学の先生のパスの繋ぎ手となり、お互いの擦り合わせのためにも僕自身がアルマ・カルリンについて知っておくほうが良いと考え、バルバラさんに案内をしていただくことにしたのだ。

なんてややこしい話!
*これはひとえに僕の説明力の問題で申し訳ないのだけど、大まかに伝わっただろうか??

参考:wikipediaより"アルマ・カルリン"について


ツェリエの街を巡る

長い前置きから本題に戻って、早速バルバラさんに連れられ、街へと繰り出す。

ツェリエの人口は約5万人ほどで、スロベニア第3ないし第4の人口規模。
*1位:首都リュブリャナ、2位:マリボル、3位:クラン(最近人口急増中)で、
 4位にツェリエとの事。

駅前から旧市街が広がり(ヨーロッパの昔ながらの町は駅と旧市街および中心部が離れている事が多い印象なのでこの点は特徴的)、信号を渡ってまず目に飛び込んでくるのが”アルマ・カルリン像(*TOP画,奥に見える建物が駅舎)だ。

ちなみにアルマは大変に小柄な女性で、この銅像よりも実際はかなり小さいそうだ。また、駅からもよく目につくので、
「これは誰?」
となり、それをきっかけにアルマ・カルリンについて関心を持ち、街中の博物館へ足を運ぶという事例もしばしばあるのだという。

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ツェリエ旧市街に掲げられた旗は町のシンボル青と黄色をモチーフにしている。


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アルマ・カルリンの生家跡地。


市内の博物館は2ヶ所に分かれており、アルマ・カルリンの展示を中心に案内をしていただいた。下の建物が1つ目。

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この2つの建物は繋がっていてこれで1つ。昔の建物と新しく建てた博物館をうまく組み合わせている。なお、この地下にはローマ時代の遺跡が再現されている。ツェリエの街は古くから交通の要衝で現在も各所からローマ時代の遺跡が発掘され続けている。それらをうまく展示に取り込んでいるので当時のスケールを感じながら、楽しむことができる。


もう1つ。こちらにはアルマの展示が充実しており、2階には素晴らしい天井画があるのだけど時間切れで拝むことはできず。再訪の理由が増えた。

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こちらは観光案内所。比較的新しく建てられている。なぜなら、遺跡が発掘された場所の上にガラス張りの展示館のようにして建設されているため。観光案内所がそのまま博物館のようになっているという事例はなかなかないのではないだろうか?想像力って改めて大切だと思う。*観光案内所は夕方までで、写真は明るいが日が長いのでこれでも18時過ぎ。そのため中に入ることは叶わず。

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夕飯、そしてマリボルへ

休日ということもあり、電車の本数はとても少ない。時間が半端だったので夕飯を一緒に食べてから移動することに。Barbaraさんのアルマとツェリエに関する贅沢な講義で頭はパンクしていたので、夕飯を美味しくおしゃべりをしながら頭の整理をすることに。

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Lasko(ラシュコ)。スロベニアの2大ビールの1つ。

リュブリャナから電車でツェリエに向かうと1つ手前がラシュコ。であれば、飲まないわけにはいきません。ラシュコはとても小さな街だけど水がとても綺麗で有名なのだそう。


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これもスロヴェニア来た時の僕の定番ヌードルスープ。コンソメベースで温まるので移動の疲れや食欲のない時、到着時間が遅いけど何か胃に入れたい時などに重宝する。


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ジェノバ風の焼きパスタ。熱々具沢山で品目も元気もこれで全て補える。我ながら素晴らしいチョイスをしたものだ。


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Barbaraさんとアルマと3人で。

アルマに関する展示は日本国内でも今後行われるそうです。また、機会を見てBarbaraさんも来日するとのことなので再会が楽しみだ。

駆け足だったけどツェリエは素晴らしい滞在となった。


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マリボルについて、ホテルを探そうとすると土曜の夜ということもあり、お店は空いてないし、すぐに真っ暗に。タクシーで宿に向かってこの日はバタリ。強行軍だったけど、充実の1日であった。



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