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年収の壁を考える(2)

4月6日の日経新聞で、「年収の壁超え、生涯手取り増やす 厚生年金加入で大差」というタイトルの記事が掲載されました。年収が一定額を超えることで、税や社会保険の負担が増すいわゆる「年収の壁」は、労働供給力の制約の一因にもなっています。賃上げすることで、年収が一定額を超えないようますます勤務時間を減らす「働き控え」が増えることも懸念されます。

ただし、年収の壁には誤解が多く、壁を超えて働く利点が十分理解されていないということを取り上げた内容です。

同記事の一部を抜粋してみます。

東京都が都民の働き方や生き方を考えるため昨年設置した「東京くらし方会議」。有識者が参加し、2024年1月末の意見集は年収の壁について「本当に『壁』でしょうか」と問いかけた。

年収の壁には税の壁と社会保険の壁がある。主な税の壁は103万円を超えると本人に所得税が発生すること。しかし壁を1万円超えても所得税は数百円しか増えず、収入増の大半は手取りの増加となる。意見集では「税の壁はない」と明快だが、実際には多くのパート主婦が103万円の範囲内で就業調整している。

社会保険の壁は106万円と130万円の2つだ。まず106万円。従業員101人以上の企業では、月収8万8000円(年収換算で約106万円)を超え週20時間以上勤務などの条件も満たすと、厚生年金や会社の健康保険に入る。配偶者に扶養されていた第3号被保険者は年16万円程度の保険料が発生し、手取りが減る。

しかし将来は厚生年金が受給できる。会社の健康保険は病気やケガの際に収入の3分の2の傷病手当金が支給されるなど給付が手厚い。社会保険料を払って手厚い給付を受けるという一般の会社員と同じ状態になるだけだが、連合総研の調査では、就業調整をしている人の4割強が年金額への影響を「知らない」「あまり知らない」と答えている。都の意見集は「将来の年金増など生涯収入を考えれば壁とは言えない」と指摘した。

政府が始めたのが、壁超えをする従業員1人当たり最大50万円を企業に給付することなどを柱とする助成制度。助成金などを元手に企業が対象者に手当などを払い手取り減を防ぐ。2月末で約18万5000人を受理した。

すかいらーくホールディングスは制度を活用、現時点で約1500人が対象となる見通しだ。導入にあたり個別面談のほか、計28回延べ約3000人が参加した勉強会を実施。税や社会保障の仕組みなどを説明した。人財企画・運用グループディレクター、下谷智則氏は「人手不足の緩和が期待できる。勉強会などを通じて、壁を超えて働くメリットが伝わった効果も大きかった」と話している。

同記事の図表「主な「年収の壁」とポイント」からも抜粋してみます。(一部加筆)

<税の壁103万円>
超えた場合の負担:所得税が発生。
ポイント:収入増が税額を上回り、所得減は起きず

<社会保険の壁106万円>
超えた場合の負担:週20時間以上勤務などで厚生年金に加入(条件による)。保険料は年16万円程度。
ポイント:年収125万円で手取り回復。将来の厚生年金が増え、健保などの給付も手厚く。

<社会保険の壁130万円>
超えた場合の負担:被扶養者の配偶者が社会保険の扶養を外れる。週30時間以上勤務などでないと厚生年金に入れず(他にも条件あり)、国民年金などの保険料発生。
ポイント:勤務時間延長で厚生年金加入が一案。106万円で加入できる勤務先に転職も一案。

上記に関連して、3つのことを考えました。ひとつは、固定観念は根付くと強いということです。

私たちは、「これについては、○○というものだ」と、何かのテーマに対して一度固定観念を持ってしまうと、固着してしまい、それに執着してしまうという性質があります。それを覆すのは簡単ではありません。

年収の壁に直面してそれが行動に影響している人がいたとしたら、年収の壁に敏感ということは、社会制度に関連する情報にある程度敏感ということです。よって、多くの人が「年収の壁は実はそこまで壁ではない」「政府が音頭をとって改善しようとしている」といった情報に対して、何らか感じ取っている人が多いのではないかと想像します。

それでも、「壁を守るほうが得」のような思い込みが一度固着してしまうと、なかなかそこから離れられません。同記事を参照すると例えば、「収入増の大半は手取りの増加となるが、実際には多くのパート主婦が103万円の範囲内で就業調整している」「就業調整をしている6割弱の人が、年金額への影響に何らか気づいている(しかし就業調整している)」ということです。こうした事象も、固着の影響を表していると思われます。

2つ目は、長期的で見えにくいメリットより、短期的で見える実利のほうに目が向きやすい、ということです。

私たちには、現在(現在志向)バイアスと呼ばれるものが存在しています。将来の大きな利益(遅延報酬)より、目の前の小さな利益(即時報酬)を追いたくなることです。今すぐ手に入る手取りの現金のほうが、将来受給できるより多くの年金より重要だというわけです。

これと似たことは、もっと日常的にも起こっています。

例えば、1年後に大きな影響の出そうな問題について考え、対策を打つよりも、目先の小さな問題や享楽のために時間をつかおうとする行動です。もちろん、局面的にはそうした行動も必要ですが、先延ばしにし続けた結果、そうなることが以前から分かっていた「手遅れ」になることはよくあります。上記の年収の壁問題も、構造的に現在バイアスに通じるものがあります。

3つ目は、変わることへの不安から回避しようとするということです。

行動を変えなければ、(将来的には疑問ながら)少なくとも今すぐ新たな損失が発生することはありません。一方で、行動を変えた場合、新たな利益を得られることもありますが、新たな損失が発生する可能性もあります。そして、不安を回避して現状維持をしようとする欲求のほうが勝りやすいということです。

こうした3つの点も踏まえて、経営・雇用側のできることとしては、同記事にあるすかいらーくホールディングスの例のように、確かな情報に基づく勉強の場をつくって理解を促すことが挙げられるかもしれません。就業調整が軽減されれば、企業側にとってのメリットもあることが同社の例からもうかがえます。最終的に意思決定するのは各労働者ですが。

年収の壁に合わせて就業調整するのは、別に違法行為ではありません。また、どのような就業生活を送りたいかも個人の意思による自由です。ですので、個人で自身のライフスタイルやメリット・デメリットをよく判断したうえでの就業調整であれば、その人にとって適切な行動と言えます。

しかし例えば、将来不安への観点から民間の保険等で持ち出しをしながら就業調整をしていて、就業調整せず所得を増やしたほうがよほど将来不安の観点からも適切、しかしそのことに気付こうとしていない、などであれば、確かな情報入手と考察でより望ましい意思決定に変えたほうがよいかもしれません。

年収の壁については、以前も取り上げたことがあります。よかったらご参照くだされば幸いです。

<まとめ>
固定観念やバイアスで、本来ありたい状態とは違う意思決定をしているかもしれない。

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