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年齢を直接聞くという慣習(3)

前回まで、旅コラムを掲載する「TRIP EDITOR」の2月24日記事「なぜ日本人は年齢を聞かないのか?ベトナム人が不安に思う日本への印象」から、「ウチ」と「ソト」の使い分けについて考えました。

「ウチ」と「ソト」を分ける区分となるものが、多種で重層的なところに、私たちの特徴の一端が見てとれるのではないかと考えます。

例えば、「同じ会社の社員同士」「同じ部署の人同士」「同期の人同士」「同じ派閥の人同士」といった具合です。

同記事にある、場によって発言内容がまったく異なる日本人というのは、その場が「ウチ」としている空間の種類が場によって異なり、それぞれの「ウチ」で許容される発言や自分が発したい意思が変わっているということなのではないかと、想像します。

「会社」や「党」という区分の「ウチ」を意識する場面で居合わせたメンバー同士の会話と、その「会社」や「党」の中にある「派閥」というより細部の区分で「ウチ」を意識する場面とでは、同じ人相手に対しても話の発し方が変わってくるというイメージです。

例えば「会社」や「党」という区分なら同胞のような関係性となる相手であっても、「派閥」の区分のときは同じ相手でも対立する関係性になってしまう、というような。

もちろん、こうした「ウチ」「ソト」区分の概念や、区分にも種類があることはどの文化圏や社会でも同様に存在するのではないかと想像しますが(例:ある政党や立候補者を支持するコミュニティ)、日本ではその種類の多さと見えにくさがあり、かつ職場など日常的な場面においての「ウチ」「ソト」区分による行動の使い分けの格差が大きい、という指摘はできるのかもしれません

そして、世代によってこの区分の概念も変わっていくのだと思います。

新入社員に対して、「歓迎会の花見を企画しているから、金曜日の新人研修終わってから就業時間後もそのまま予定をあけておいて」と声かけしたところ、「その花見は、残業時間の対象なのですか?」という反応が返ってきたと聞いたことがあります。一昔前では聞いたことなかった反応だと思います。

これなども、前回例に挙げた、休日は「ソト」同士の関係になることを参考に、次のように整理してみるとその背景が見えやすくなるのかもしれません。

「この新入社員にとっては、就業時間が終わった瞬間に会社の人間とは「ソト」の関係性に移行するのかもしれない。よって、就業時間が延長した残業時間中として一緒にいるのなら違和感がないが、就業時間でもない自由時間中についてのお誘いだとしたら、なぜ当然のようにその時間枠も「ウチ」であることを求められるのか?、という捉え方になるのかもしれない」

以前から、職場の飲み会に対して上記のような「ソト同士となる時間に、ウチの関係を持ち込まれたくない」という反応は人によって見られたわけですが、さすがに新入社員の歓迎会はその対象外だったと思います。それが、対象範囲に加わりつつあるのかもしれない、というイメージです。

外国人従業員や若手世代のメンバーは、既存のメンバーが自然体で獲得している「ウチ」「ソト」の概念とは異なる概念・距離感で行動したり、思考したりしているかもしれません。相手との対話や説明の際に、頭の片隅に入れておくと便利ではないかと思います。

ちなみに、ベトナム人同士の挨拶では、どの時間帯や場所であっても、「chào anh」(前々回の内容の通り、anhは相手によって別の人称代名詞に変わる)のようにchàoが使われます。朝晩時間帯問わず、会った時でも別れる時でも、いつでも使える万能な挨拶言葉です。日本語で「おはようございます」にあたる「chào buổi sángといった言葉もありますが、ほとんど使われないそうです。

そのかわり、「ご飯はもう食べましたか?」が人に会うとよく二言目に話される日常的な挨拶言葉だそうです。このあたりにも文化を感じます。

<まとめ>
「ウチ」「ソト」区分が、世代で変わっているかもしれない。

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