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年齢を直接聞くという慣習(2)

先日の投稿「年齢を直接聞くという慣習」では、ベトナムと日本の違いから私たちの労働観について考えました。旅コラムを掲載する「TRIP EDITOR」の2月24日記事「なぜ日本人は年齢を聞かないのか?ベトナム人が不安に思う日本への印象」を参照しながらの内容でした。

同記事からさらに一部抜粋してみます。

裏表の顔がある日本人に衝撃

多くのベトナム人が口にした日本人の印象は、日本人の裏表の激しさです。本音と建て前を分ける日本人は確かに多いですよね。

現に、本音を表明しない頻度の高さを国際比較した上で日本人の裏表の激しさを確認した研究もあります。この裏表の使い分けが、ベトナム人にはやはり理解できないみたいです。

例えば、日本の会社で働いた経験のあるベトナム人の方の話。会社でニコニコ話してくれる会社のメンバーと、プライベートの買い物中にばったり会ったそうです。

「〇〇さーん!」と手を振りながら、日本人の仲間にベトナム人が話し掛けたところ、冷たい感じであしらわれたそう。しかし、翌日会社で会うと、いつものように親し気に接してくれたので混乱したのだとか。

他にも、当たり障りなく普段は上司と接しているのに、お酒が入ると文句ばかり言う日本人だとか、グループディスカッションでは賛成の雰囲気だったのに、個別に話すと本当は反対だったと明かす日本人だとか。

皆の前では美味しいと言って食べた料理を、よくよく聞くと実は好きではなかった日本人の話も出てきました。読みながら「私かも」と、ギクッとした日本人もいるのではないでしょうか。

キン族(越人)が約86%と国民の大半を占めながら、53の少数民族が存在し、地続きで国境を接する隣国から国境を越えて人の出入りがあるベトナムの場合、直球でものを言わないと双方に理解ができないそうです。

感情を表に出さず、本音をなかなか口にしない日本人の性格はやはり、理解が難しいみたいですね。

勝手な想像ですが、上記で登場した日本人の○○さんが冷たい感じのそっけない対応だったのは、その方が控えめな気質だったためかもしれないと思います。公共の開かれた場では目立ちたくないため、静かにしておきたかったというイメージです。

また、私の限られた経験に基づくことですが、ベトナム社会のほうが日本より、公共の場でも声高にコミュニケーションをとる傾向もあるように感じます。そうした要因があるかもしれないものの、同記事の内容は私たちの文化様式を言い当てていると感じます。

そのうえで、本音と建前の使い分けはどの文化圏、個人にもある程度存在するとも思います。(個人差も文化の差もあるはずで、日本では全体的に本音と建前の使い分けの差が激しい傾向にあるという指摘はできるのかもしれません)

これはまったく個人的な意見なのですが、「本音と建前の使い分け」もさることながら、同記事のような場面については「ウチとソトの使い分け」という概念によって、説明できることも多いのではないかと考えます。(以下、個人的な考察によるものであり、文化人類学の研究などに基づく根拠ではありませんので、ご了承ください)

「ウチ」は同じ家に住んでいる家族を指すこともありますが、「ウチの会社」という言葉にもあるように、同じ組織に属しているコミュニティを指すこともあります。家族も組織のひとつと言えますので、同じコミュニティのメンバー全般に使える言葉なのでしょう。そして、「ソト」はその外側にいる人を指すわけです。

この「ウチ」と「ソト」が、日本社会においては場面や時間によって変わりやすく、かつウチ・ソト間の格差が激しく、しかも「ウチ」の種類が多岐にわたるということです。

ひとつ切り口を挙げてみます。

同記事にあるように、休日に買い物中の店や路上で会社の同僚や上司とばったり出会ったら、どのように挨拶するでしょうか。人と相手にもよるかもしれませんが、「あ、こんにちは」と挨拶しても不自然ではないはずです。

一方で、勤務日に出社している会社内では、他の社員に対して「こんにちは」という挨拶言葉はほとんど使われません。午前休や午前外回りで直行し、午後から出社のような場合でも、おそらく出社時には「こんにちは」ではなく、「おはようございます」か「お疲れさまです」のような挨拶言葉を発することが多いと思います。

つまり、「おはよう」「こんにちは」の使い分けの本質は、朝昼などの時間帯によるものではないということです。時間帯も多少関係しますが、より本質的には「おはようは、今日も1日よろしくお願いします」という意味合い、「こんにちはは、外の人間に対する敬意を表す」意味合いということです。

就業時間中の会社内で使えない「こんにちは」が、同じ相手でも休日の買い物中ばったり出会ったときに使えるのは、休日には会社の同僚同士が「ソト」の関係性のモードに入っているからだと説明できると思います。「ソト」同士を演じている時間帯だから、「ソト」の人向けの挨拶言葉が通用する。

他方、同居の家族に対しては、休日であろうと「こんにちは」を使う機会は一度もありません。それは、どんな時間帯・場面であっても、家族間では「ウチ」の関係性が変わることがないからです。だから、1日の始まりを声がけする「おはよう」は家族に対しても使えても、ソト向けの挨拶の「こんにちは」は家族同士では使える場面がない。

言語は文化様式や生活様式を反映します。
この「こんにちは」の事象に、私たちのウチ・ソトに関する概念が表れていると感じます。

同記事のベトナム人の反応は、この「時間帯・場面による、日本人社会のウチ・ソトの使い分けがイメージできず苦慮しているのではないか」と説明できると考えます。そして、この「ウチ」と「ソト」を分ける区分となるものが、多種で重層的なところに、組織活動における私たちの特徴の一端があるのではないかと考えます。

続きは、次回に考えてみます。

<まとめ>
「ウチ」と「ソト」の使い分けに注目する。

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