家事代行サービス利用の広がりを考える
3月9日の日経新聞で「若者「タイパ」で家事代行 広がる利用、高齢者も重宝 中小の福利厚生にも補助」というタイトルの記事が掲載されました。
「コストパフォーマンス」の中でも、特に時間の効率性に焦点を当てた「タイムパフォーマンス」が「タイパ」という言葉になって社会的に定着した感じですが、若手世代を中心にタイパの観点から家事代行サービスの利用者が増えているという内容です。
同記事の一部を抜粋してみます。
若手世代を中心とする、価値観の変化による家事代行サービスの積極的な利用拡大が、今後も見込まれそうです。
うろ覚えになってしまいましたが、ある外国人の方がどこかで次のように話していた記憶があります。
「日本で子育て中の親は、保育園に送迎まで行かないといけないのに、弁当の手作りまでしている。そこまで必要なのか?弁当を買ってくることではいけないのか?」
どんな食事を子どもに食べさせるべきかの答えは、栄養学や子育ての価値観などにもより様々だと思いますが、いずれにしても、「すべてのことを完ぺきに、それも家庭内ですべて解決させなければならない」とする考え方に無理があるのではないかと、考えさせられるお話でした。
先日の投稿「年齢を直接聞くという慣習(2)~(3)」では、私たちのウチ・ソト概念と、その変化について考えました。変化とは、ウチ・ソトの線引きをどこでするかの境界線が変わることと、多種ある境界線のうち、ものによってはそれが希薄化することです。
「家」を「ウチ」と称することが典型で、日本人にとって「家」は、家族という組織内にいる内側の人とそれ以外の外側にいる人とを区分する、ウチ・ソト概念の中核をなすものでした。
外国人の方から以前時々次のような指摘を受けたことがあります。「日本では家に人を招くことのハードルが高いようだ。自国では、初対面を経て少し交流が深まったら気軽に家に招く。日本の場合は、いつまでたってもなかなか家には招かれない」
個人差、文化圏による差、同じ国内でも地域差もあり、上記の指摘が必ずしもグローバルスタンダードだとは限りませんが、日本で家族外の人を気軽に自宅に招くことが、少ないのは確かだと思います。ウチの概念の総本山である自宅に、ソトの人を入れることに抵抗があるためと思われます。私の周囲でも、家事代行は便利だと思いつつも「引っ越し業者などの必要最低限以上に、他人を半常駐のように家に入れることには抵抗がある」という人は多いです。
しかしながら、同記事も手がかりにすると、それも変わりつつあるのかもしれません。タイパを優先し、モノの所有より貸し借りやシェアで済ませることに抵抗のない若手世代で、自宅の玄関を敷居としウチ・ソトを厳格に区分する概念が薄れていくのではないかと見てとれます。
その結果、家に入れるハードルが下がります。家事代行の市場規模拡大には、タイパの概念趨勢に加えて、ウチ・ソト区分の緩和が追い風にあるのではないかと考えます。こうした価値観の変化に注目すれば、家事代行以外にも今後有望なサービスが発見できるのではないかと考えられます。
昔であれば、限られた家計の現金を家事代行などには投入せず、自宅や自家用車のローンの支払いに使うのが一般的だった。これからは、家は賃貸のまま、車はシェアで安く済まし、家事代行などに現金を使って時間を買う、というスタイルも一定程度広がるかもしれません。
そして、そうした価値観の変化は家庭以外にも広がっていくことと想定されます。
一方で、従来のウチ・ソト概念が根強く残っていたとしてもそれとは関係なく、必要に迫られた単身住まいの高齢者による家事代行サービスも広がりそうです。
上記では、顕在顧客と潜在顧客のニーズの変化を見ながら、事業へと活用することに関するひとつの事例を垣間見ることができると思います。
<まとめ>
家事代行利用の広がりは、タイパ以外にウチ・ソト概念の変化もその背景にあるのではないか。
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