見出し画像

賃金の外部公平性と内部公平性

5月23日の日経新聞で、「実験で考える労働生産性(5) 「報いたい」という気持ちの効果」という記事が掲載されました。今日は、賃上げというテーマについて、同記事の観点から考えてみます。

同記事の一部を抜粋してみます。

社会学や心理学の「贈与交換(ギフト・エクスチェンジ)」の理論を用いると、賃金を高くすると労働生産性も高くなると予想されます。

贈与交換のメカニズムの1つは、高賃金にしてくれた使用者に対し、労働者が「お返しをしたい」と思う返報性(互酬性)です。スイス・チューリヒ大学のエルンスト・フェール氏らによる一連の研究で、実験室では贈与交換が見られることが確認されました。

米カリフォルニア大学サンディエゴ校のウリ・ニーズィー氏は、大学の図書館の仕事でフィールド実験をおこないました。書籍の情報をコンピューターに打ち込むものです。大学の学部生を対象に6時間・時給12ドルの仕事として、実験とは明示せず募集しました。

実験は2つの群に分け、「ノーギフト」群は時給12ドルでそのまま働き、「ギフト」群には作業開始前に時給が20ドルに上がったとアナウンスしました。生産性はデータを入力した書籍の数で計測しました。

結果として、作業の前半3時間ではギフト群の方がノーギフト群より高い生産性を発揮しましたが、後半3時間ではその差は無くなりました。米シカゴ大学のジョン・リスト氏が実施した、寄付集めについてのフィールド実験でも同様の結果がみられました。このため、贈与交換の効果は短期的と結論付けられました。

贈与交換はその後も様々なフィールド実験がおこなわれています。ドイツ・ボン大学のセバスチャン・キューべ氏らの実験では、賃金上昇による「金銭的ギフト」では生産性上昇の効果は薄い一方、プレゼントなどの「非金銭的ギフト」は効果があるという結果を得ました。同氏らの別の実験では、賃金カットで生産性が低下していました。

前回までの投稿で、賃上げをテーマに考えました。個人的な意見になりますが、賃金については次の通りで捉えるのが適切ではないかと考えます。

1.賃金は、「不満を生み出す要因にならない」十分な水準で支給する。しかし、それ以上の追求はしない。

2.外部公平性を担保する。外部相場と自社の賃金水準を比較し、比較対象とした外部相場と同等~1割増しぐらいを目標とする。

3.内部公平性を担保する。

賃金は、「衛生要因」や「外発的動機づけ」と言われるように、「ないと不満だが、あることで継続的な動機付けを促すものにはならない」とされる存在です。例えば、今期に予想していた以上の昇給や賞与支給があったならば、「これだけもらえるのだから、もっとがんばろう」という気持ちになります。

しかし、それは一時的なものではないでしょうか。3年たった後で、「3年前に昇給や賞与をはずんでもらったから、今年もまた頑張ろう」とはならないでしょう。それらがすぐに「もらって当たり前」の水準となってしまうからです。上記記事で「賃金上昇による「金銭的ギフト」では生産性上昇の効果は薄い」と示唆している通りです。仮に、自分が予想しているより高い昇給や賞与を永遠に受け取り続けることができれば、もしかしたらギフト効果が続くのかもしれませんが、そのような報酬設計は物理的に不可能です。

他方で、上記記事に「賃金カットで生産性が低下」とあります。この観点からも、適切な賃金を支払うことは大切です。ただし、賃金の目的は、「不満が出ないようきちんと支払う」と設定し、「満足させて動機付けを引き出すために支払う」と位置付けないことが妥当ではないでしょうか。

外部公平性とは、社外の世間一般の労働市場と比較して、妥当な水準の処遇を受けていると思えることです。例えば、A社・B社・C社がいずれも同業の上場企業で、A社の社員が「自分と同じような職種・仕事内容・経験値・年齢の人が、B社やC社なら明らかにもっともらっているらしい」と聞くと、不公平な感じを受けます。これは、外部公平性が毀損している状態です。

経営コンサルタントの一倉定氏は、「従業員には同じ地域の同業他社よりも1割高い給料を払うのを目指せ」という言葉を遺しています。1割高ければ、従業員に外部公平性を十分に感じさせたうえで、「自分はよい会社で働けている」とプライドを持たせることになります。しかし、2割や3割ではないわけです。そこまでの水準を追求しても効果は限られているからです。賃金を操作しても結局は、自らの内面から仕事に対する自律的な向き合い方を生み出して無限のモチベーションにつながる「内発的動機づけ」にはならないわけです。

一方で、高賃金を追求しすぎると、人件費が高騰して収益性を圧迫します。加えて、従業員が自分の市場価値を勘違いすることにもなってしまい、従業員にとってもよいこととは言えないと思います。各社が「外部相場同等~1割増し」を目指して切磋琢磨するだけでも、賃金上昇を伴う高経済のスパイラルを起こすには十分だと考えます。

なお、一倉定氏が上記言葉を遺した時代から、業種や職種、地域間での賃金相場の差は広がってきています。特定の業種のみを比較対象とするより、全産業の平均を比較対象とするほうが自社にとって妥当な場合もあると思います。あるいは、業種や職種によっては地域の条件はあまり関係ないかもしれません。何を外部公平性考察の比較対象とするかは、自社を取り巻く状況から検討するべきです。

そして、内部公平性の担保です。「私は組織貢献度高いと上司からも周りからも言われている。私もその自負がある。でももらっているものは周囲と同じ。やってもやらなくても変わらない」と感じてしまうと、不公平感につながります。これは、社内の内部公平性が毀損している状態です。外部相場と比べて良い処遇の会社で働いていると思えていても、社内での公平性が担保されていなければ、環境設定としては不十分です(賃金ルール設計によってのみ、この問題の解決を目指すかどうかは別ですが)。仕事の面白さなど、他の要素で働きがいが感じられていても、それを削ぐ結果になりかねません。

外部・内部公平性を担保する。それらの担保をもって、不満を生み出さない環境設定はつくれたとみなす。賃金や賃金制度の見直しについては、この視点を基本と考えるとよいのではないでしょうか。

<まとめ>
賃金設計は、外部・内部公平性の担保を目標とする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?