大事では仮定し、小事では仮定しない

先日、ある経営者様とお話する機会がありました。「仮定の話はしないことにしている。うちの役員にもそう言っている。」というものです。

最近の環境下では、特にいろいろなことが流動的に変わっています。
1か月前の3月中旬の時点でも、4月20日現在のここまでの経済的影響・行動制限を予想できていた人は、ほとんどいないでしょう。

今の環境下に限らず平時でも同じですが、企業活動・事業活動では(個人の生活でも)、気になることが日々新たに発生します。

・取引先A社様が取引条件の変更を依頼してきたらどうしよう
・参加を募っていたイベントを中止にすることで、クレームを受けたらどうしよう
・緊急事態宣言が5月6日以降まで延びたらどうしよう
・10万円はいつもらえるのだろう・・・など

人間は、「忘れる」という、生きるための大切な機能を備えています。昨日の晩御飯に何を食べたのかはすぐに思い出せても、一週間前の晩御飯に何を食べたのかは思い出せません。生きていくためには、脳のキャパシティを集中すべきものに集中できるよう、重要でない物事は忘れて、重要なことがキャパシティから溢れないようにしなければなりません。

冒頭のお話は、「短期スパンでの、自分が直接決められない物事について仮定し、悩むことはしない」という示唆です。まだ起こっていない小事を「もしこうなったら」と仮定して悩み対策検討などし始めると、そうした小事で「考えるキャパシティ」を使い切ってしまう。よって、小事の仮定話は極力やめ、それが実際に起こった時の意思決定や、もっと大事の仮定話にキャパシティを使うのを信条にしている、ということです。

よく言われる例えで、「明日雨が降るかどうかを自分が心配しても、結果は何も変わらない。」というのがあります。自分が天に影響を与えることはできません。よって、やるべきは、明日の天気を見て対応を決めるか、天気予報を見て準備をしておくかです。この場合、台風や大寒波の接近予報などなら別ですが、曇りか小雨か程度の小事であれば明日雨が降ってから考えればよい、ということです。

これは、選択理論心理学の観点からも、同じことが言えます。
グラッサー博士の提唱する選択理論には10の原理などがありますが(興味ある方は、検索すると出てきます)、エッセンスとしては「悩む対象は自分がコントロールできる範囲とし、自分がどう行動するか決めること」というものです。

例えば、「SNSで気になる件の連絡が入ったらどうしよう」と悩んで枕元にスマホを置いて寝ると、ついつい見てしまい、睡眠も妨げられます。「連絡が入ったらどうしよう」と気にし続けることで、キャパシティがひとつ埋まってしまいます。そうではなく例えば、アラームをかけて一度起き連絡の有無を確認してから寝ることにするか、次の日までは見ないと決めてスマホをオフにして気持ちよく寝るか、どちらかの方がいいということでしょう。

冒頭のお話は、事業活動でもこうした目の前の小事でキャパシティを次々埋めていくのではなく、小事の仮定話はやめてキャパシティを維持しようというものです。

他方、長期スパンの大事には仮定を置くべきだと言います。経営には、「上り坂」「下り坂」以外に「まさか」があるからです。今回のコロナの件などは、誰もが事前に想像できなかった「まさか」でしょう。その大事に備え、例えば下記などに取り組んでおくべきだということです。

・収益源をひとつ(特定事業、特定顧客等)に依存しすぎないようにする
・原材料の仕入れ先を分散させておく
・自社サービスの陳腐化の可能性を考えて、新規事業を実験しておく
・いざという時に必要額を借りられるよう金融機関と関係をつくっておく
・いざという時に申請できるよう、助成金について専門家から情報収集しておく

このことは、すべての組織や個人に当てはまる視点だと言えるでしょう。

<まとめ>
考えるキャパシティを保つために、小事での仮定話は捨てる。

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