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これからの働き方を考える(2)

前回は、これからの働き方をテーマにしました。これまで当然とされてきた、「仕事の時間と仕事外の時間を区分する」という前提の見直しがますます必要になってくるのではないか、ということを考えました。

2つ目は、仕事は楽しくないもの、仕事外の時間が楽しいもの、という前提の見直しです。

一般的な「働き方改革」や「労働時間管理」が前提としていることに、「仕事というものは、できればやりたくないもの」という考え方があるのではないでしょうか。やりたくないものであるから、一定の時間内に収めたほうがよい、そしてそれを可能な限り減らし続けたほうがよい、という方向性になるのだと思います。しかし、この前提は正しくないと考えます。

ゲームをやり続ければ健康を害するように、楽しい趣味もやり過ぎはよくないもので、他者やルールによる強制か自己管理なのかによる制限をかけるべきです。また、仕事外にやることであっても、楽しくないことはたくさんあります。

例えば、私にとっては、入浴は面倒・苦痛、なるべくぱっと済ませたいもので、仕方なく取り組んでいるものです。義務以外の何物でもなく、ほとんど興味は持てません(これが、天然温泉となると話が変わってくるのですが)。運動も同様です。ジョギングやスポーツは、「健康維持のために、適度な頻度でやらないといけないかな」と思って時々義務的に取り組みますが、まったく楽しめません。

しかし、中には入浴や運動を楽しめる人もいると思います。知人の中にも「運動こそが生きがい」という人がいます。仕事も同様で、会社や仕事を楽しめている人もいて、そうでない人もいる。生活費を得ないと生活できないという制約がある以上、興味を持てなくても義務的に取り組んでいる人の割合が、仕事以外のことよりも多い。それだけの話だと思います。生活費を得るという目的が仕事には混ざり込んでくるため、少し複雑になりますが。

だとすると、仕事か仕事でないかを分けるのは、何でしょうか。個人的には、「やっていることが、自分以外の人から対価を得られるぐらい、だれかに付加価値をもたらしているかどうか」だと考えます。

適当な例で、余暇活動で個人的に写真を撮っているだけなら仕事ではありませんが、それに値段をつけて販売できるとなると、副業が成立します。副業にできるかどうかは、買い手がつくぐらい写真に付加価値があるかどうかです。写真が大好きで副業が成立した人が、「あなたは夜写真販売に時間をかけ過ぎだから、時間を減らしなさい」と言われても、単なる余計なお世話でしょう。

そして、この人の写真好きが高じて、写真一本を本業として取り組むことにし勤務先の会社を辞めたとしたら、1日中写真のことに取り組むかもしれません。その人に対しては、自由にさせればいいんじゃない、というのが普通の感覚だと思います(寝食しないまでやり続けるのは問題だとして)。このような状態で仕事をしている会社員がいたとしたら、本来は同じように見届ければよいと思うわけです。

今は働き方の過渡期のため、「終業時刻後まで仕事の問い合わせがくる」「本業と副業とを通算して労働時間を管理すべき」といった事象が問題テーマになります。しかしながら、これまでの「仕事の時間と仕事外の時間を区分する」「仕事は楽しくないもの、仕事外の時間が楽しいもの」という2つの前提の見直しによって、「対価をもらって付加価値を提供する活動を、全生活時間の中で自分は何%やりたいのか」という、シンプルな構図で定義することができれば、問題は軽減されるのではないかと思います。

それを60%にしたい人は60%にすればよいし、40%なら40%です。各人が決めて時間も健康も管理すれば、結果も自己責任にできます。60%にしたくて、それができる意欲・健康状態にもある人を、「40%以下にしなさい」と指導するのは的を外しているというのが、前回投稿にあった記事の示唆だと思います。

当然、給与は(それが本質に合っている職種を除き)労働時間に単純に比例して増える方式ではなく、成し遂げた仕事の価値の大きさに比例して増えるべきです。

いずれは、そのような自己選択と自己責任による働き方の時代になっていくのではないかと、勝手に想像しています。

<まとめ>
仕事は楽しくないもの、仕事外の時間が楽しいもの、と区分する前提は、一見自然なようだが本質的ではない。

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