これからの働き方を考える
前回は、月間致知7月号の記事「働き方改革から働きがい改革へ 日本人の働き方はこれでいいのか」に関連する内容をテーマにしました。今日も引き続き、同記事から考えたことをテーマにしてみます。
同記事の一部を抜粋してみます。
周囲で転職話を聞くこともあるのですが、多く挙がるのは「給与に不満」「極度なサービス残業が常態化」「人間関係に不満」「仕事内容が根本的に合わない」などの理由です。
一方で、「ゆるブラック企業」の問題も、いろいろな方から聞く機会があります。「仕事内容はよいのだが、踏み込んでやろうにもそれができない環境だから、別の環境を求める」という理由も相応に聞きます。そして、その「できない環境」を生み出している要因が、一律の労働時間制約だったりします。これでは、本末転倒の働き方改革です。
上記記事の示唆も手がかりにすると、これからの働き方は、これまで当然とされてきた前提を2つ見直すことが必要だと感じます。ひとつは、仕事の時間と仕事外の時間を区分するという前提の見直しです。
私たちにとって、会社でタイムカードを押して勤務開始、夕方にタイムカードを押して勤務終了・退勤とする慣習は、ごく自然な生活の営みの感覚になっています。しかし、就業時間と就業外時間を完全に区分する考え方は、人類の長い歴史全体から見ると、それほど歴史はないはずです。
この区分と労働時間管理の概念が確立されて広がったのは、産業革命以降でしょう。資本家が無尽蔵に労働者を働かせて労働資本を搾取することがないよう、また健康維持の観点からも規制をかける必要が出てきたのが、この頃です。それまでの仕事の進め方では、仕事の時間と仕事外の時間を一律のルールで別々に区分する考え方は、あまりなかったと思われます。
例えば今でも、農業においては法定労働時間の適用除外となっています。「何時から何時までで仕事を完結させる」というやり方では、自然を相手にする農業では対応できないからです。産業革命前は、この考え方のほうが一般的だったわけです。
最近では、ボーダーレス化・オンライン化によって、「時間の線引きを超えて仕事が際限なく広がって、対応するときりがない」と言われることがありますが、もともと、仕事というのはそのような性質のものだと、個人的には考えます。関わる相手が必要とするタイミングまでに、必要とされるものを期待通り(あるいは期待以上)に届けるのが、仕事だからです。「自分の労働時間じゃないから対応しません」などは、本来仕事としては通用しない考え方です。(もちろん、必要な休息はとることが大前提ですが)
ボーダーレス化・オンライン化は今後も進み、場所・時間を問わずお客さまが要求してくることは、今後も拡張していくはずです。よって、仕事中と仕事外とを一律の時間で区切るのは、ますます無理が出てくるでしょう。難しいテーマではありますが、メンバーや自分自身に対して一律の時間区分適用という概念の見直しも、ある程度は必要となってくるのではないかと思います。
2つ目の前提については、次回以降の投稿で取り上げてみます。
<まとめ>
労働時間管理は必要だが、一律のルールに当てはめるのは無理があるかもしれない。
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