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60歳以上は口を出さない。

 女川という場所は、東日本大震災で被害を受けた場所ではあるが、現在仙台以外の東北地方で、人口が増えている場所だという。特に若年層の数が増えている。
 どうしてこうなったかというと、震災のあと、大変な被災を前にして、この状況を打開するには、若い人の力が必要だという事を認識し、「60歳以上は口を出さない」という決まりを作ったらしい。
 そもそも、東日本大震災の被災地は、被災前から過疎がはじまり、高齢化の問題を抱えていた。それが震災によって加速した。
 その女川で、人口の多い高齢者が、「口を出さない」と決めて、地域の復興を若い人にゆだねたのだという。

 現在女川では、起業希望者に企画書の作り方から、様々なテクニックを教えるプロジェクトを開いていて、このプロジェクトに参加した起業家は、色々な手助けをもらった上で起業に進むのだが、しかし女川での起業は前提となっていない。もちろん女川で起業してもいいが、別の場所で起業してもかまわないのである。非常に自由だ。
 でも、必ず一定数は女川に移住し、起業するという。
 またお試し移住を請け負うNPOがあり、最長1ヶ月無償で移住体験を支援してくれる。お試し移住と言っても、女川に移住する目的である必要はない。他の場所に対する移住目的でも、「移住」というもののお試しが出来るわけだ。しかしそれでも、一定数は必ず女川に移住してくると言う。
 移住者の1人で、女川で働く若い女性は、「自分のイメージしていた大人とは、「それはダメだね」と否定して、若年層を導くものだと思っていたが、女川では、「それいいね、だったらこうしてみたら」と必ず肯定的に受けいれてくれる」と話している。その自由さが気に入って、飛び込んでみる気になったという。
 
 復興がはじまったとき、女川がしたことはコンパクトシティーだった。
 デザイン性の高い商店街をコンパクトに作り、そこに新しい起業家を呼び込んでいる。
 移住してきた若い夫婦は、「職場と家と、保育園が、すべて徒歩圏内にあるので、とても生活が楽だ」と言っている。
 これは当たり前のことだ。
 普通に生活していても、職住接近がいいことはわかっているが、実際に都心部であればあるほど、そうなっていない。コンパクトシティーではなく、職住は遠く離れていて、保育園はどうしても長期保育になり、子供が熱を出せば、親は仕事を切り上げて帰ってこなければならない。
 残った仕事は他の日の残業か、持ち帰り。熱を出した子供の面倒を見ながら、自分は徹夜で仕事をする。

 こういう悪循環に陥っている人は多いはずだ。
 でも職住接近で、保育園が充実していたら、こうした問題はだいぶ改善できる。
 都心部の問題は、移動距離の問題でもあるからだ。

 被災地の姿は、将来の日本の姿 と言われているという。
 確かにそうかもしれない。少子高齢化の日本において、女川のようなやり方が、唯一の良い方向の将来像かもしれない。
 それを後押しするのは、「60歳以上は、口を出さない」であったとするなら、現在の日本がその真逆であることは明らかだ。

 例えば政治の世界は、若い政治家が入ってきたら、老人の政治家が、よってたかって自分の使いやすい形にたたき直してしまって、結局役に立たない政治家ができあがっていくというやり方が、常態化している。

 大手企業でも同じかもしれない。伝統ある業界はすべてそうだとも言える。
 それでは日本には、良い未来などあるわけがない。

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