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初めまして、私が藤森愛のプロデューサーです

初めて個人情報としてではなく、見える場所で「杉浦」という文字を打ちます。こんなにも緊張しながら打つ文字はありません。

今日は藤森愛としてではなく、杉浦愛として綴ります。


生まれたもう一人の自分と、消し去った本当の自分

当時19歳だった私は、"本名で路上ライブするのは危ないよ"と通りすがりの人に言われたらしく(覚えていない)、藤の字が好きでアーティスト名を藤森愛に変えた。

その日から私の中に、シンガーソングライター「藤森愛」と言うもう一人の人間が生まれた。

そんななんてことない理由で生まれたもう一人の私。学校に行けなくなった自分にとって、それは過去の自分から分離して別人でいられる唯一の居場所のようだった。

本当の自分から逃げるように隠すように、「藤森愛」と言う「虚像」を作り上げていく。小さくなってしまった私と、生まれたばかりの小さな藤森愛の二人三脚はそうやって始まった。


私のヒーロー

藤森愛でいる時は不思議と何でもできた。普段とステージのギャップがありすぎるとよく言われたのも無理ない。多分、本当の自分じゃなかったから。

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私にはできないけど、藤森愛ならできる。私はこんなこと歌えないけど、藤森愛なら歌える。私はこんな服着ないけど、藤森愛には似合う。私はあんな風になれないけど、藤森愛はこうであってほしい。

強くて、真っ直ぐで、決して諦めない私のヒーロー。

シンガーソングライターを始めてから数年が経った頃、私と言う存在はほぼいなくなり、本名を口にするのはアルバイト先か病院の窓口くらい。藤森愛が大きくなればなるほど私をしまっておくことができて安心感さえあった。


頼れなくなった虚像

表舞台に出ることはなくても、大きなプロジェクトをするようになってからは私でいる時間が少しづつ増えていた。藤森愛はあくまでステージ上のみで、企画を考えたり、スケジュールを組んだり、連絡のやり取りをしたり、デザインをしたり、グッズを作ったりするのは私。

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いつしかステージ以外の時間に追われまくり、藤森愛は大きなライブが増えていく中で体を壊し始めていた。キャパオーバーってやつだ。

それでも立ち止まれない大事な時期、私はブラック企業のように疲弊している藤森愛をステージに上げ続けた。あらゆる病院へ行き、あらゆる薬を飲んで誤魔化し続ける日々。

気持ちはあるのに身体がついていかない。いや、今思えば気持ちがついていっていないのを気づかせるために身体が警報を鳴らしていたのかもしれない。そして藤森愛がぶっ壊れる日は当然の如くやって来た。

「しばらく休むから、あとはよろしくー」

なんて言われたような気がする。自信がない私がただ一人、心の中でぽつんと佇んでいた。


一人で立ち上がるために

一時的なボイコットと思いきや、藤森愛は一向に戻ってくる気配がない。ハワイ旅行へ行ってしまったんじゃないかってぐらい遠くの方にいたり、たまに戻って来てもずっと不機嫌だったり、ライブ中に途中退場されたり。私のままでは何もできず、ステージへの恐怖心は増すばかりだった。

藤森愛がいなくても生きていけるようにしなくちゃ。

そうして裏方だった私は少しずつ表舞台にも出ていくようになった。それはこのnoteだったり、メディアのインタビューだったりする。

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でも、表舞台を藤森愛に任せて何年もひきこもっていた私は素人同然。ステージ上でたじたじしたり、藤森愛が混ざってきて変なキャラになったり、私が私として一人立ちするのは容易ではなかった。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、そのくらい私と藤森愛は完全に分離している。ちなみに二重人格ではないよ(笑)


連れ戻しに行った私

「虚像」を作るほどの私がそう簡単に私を認められるはずもなく、私が私でいることに慣れるまでには相当な時間がかかった。それは藤森愛に頼りきってきたツケ。もう何年も一人で生きていない私への「自立しろ」という藤森愛からのメッセージだったのかもしれない。

とにかくトレーニングして、とにかく考えて、とにかく歌って、とにかく私ができることを増やして、とにかく藤森愛が帰ってくる日を信じて待つ。

それは活動を始めてから感じたことがないほど長い長い日々だった。


本当の二人三脚

私が私を取り戻し始めた今、藤森愛は私と同じくらいの大きさで自分の中に存在しています。ようやく二人横並びで一緒に歩けるようになった本当の二人三脚。

9年前に消し去ってしまった私の存在を私がそろそろ認めてあげられそうなので、ここへ綴りました。


初めまして、私が藤森愛のプロデューサー、杉浦愛です。



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